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ランドセル 角田 光代
子どもというのはどのくらい大人なんだろう。何にもわかってなさそうな顔をしているが、しかし、いろんなことをわかっているものだ。
ともあれ、私はちゃんとわかっていた。幼稚園児のとき、私は本当に何にもできない子どもで、字も読めなけりゃはさみも使えない。何か話しかけられてもすぐに答えられないし、どこかが痛くても痛いとも言えない。おしっこという一言が言えなくて、結果、我慢できずにいつもおもらし。廊下の隅で、替え用のパンツに着替えさせてもらう。ぬれたパンツはビニール袋に入れられて、持って帰るよう渡される。
ほかの子ができることを自分はなぜかできない、ということを私はわかっていた。話しかけても黙っているから、話しかけた子が困っているのが、もう二度と話しかけてくれないのが、わかっていた。ちょっと困った子だと、先生が思っていることをわかっていた。替え用パンツはほとんど自分専用だということもわかっていたし、ビニール袋に詰められたぬれパンツの情けなさもわかっていた。
全部わかっているから、私は絶望した。幼稚園児の絶望なんてたいしたことないと思うかもしれないが、世界が狭いぶん、絶望の色合いはうんと濃いのだ。だってそこしかいる所がないんだから。
私って、きっとずっとこんな感じなんだろうなあ、と、大人語に変換すればそんなようなことを、私は漠然と思っていた。誰ともうまく話せなくて、だから友達もできなくて、みんなのできることはずっとできないで、何だか格好悪くて、先生や親を困らせて、楽しいと思うようなことがあんまりない。そういう場所で、こういう具合に私はずっと生きていくんだろうなあ。嫌だけど、ほかにどうしようもないもんなあ。幼稚園児の私は大人語をまだ持っていなかったので、ただぼんやりと重暗い、窮屈な気分だけを抱いていた。
ここを出ていったって世界はさほど変わらんだろうとわかっていたから、卒園式も、晴れがましい気分ではなかった。いつもよりきれいな服を着せられ、列の後ろについて、みんなが動けば遅れないように(でも遅れるが)動き、いつもとはまるで違う一日を、何とかやりすごした。
まだ空気の冷たい春の初め、もはや幼稚園児でもなく、まだ小学生でもない私のもとに、いろんな物が続々とやってきた。学習机、真新しい体操服、運動靴、お道具箱、教科書、ノート、筆箱、鉛筆。そのすべてに母は名前を書いたり縫い付けたりした。
小学生というものは、何とまあ所有物が多いんだろうと感心した。これ全部私の物になるんだと、子ども部屋に散らばった、真新しいそれぞれを見て私は思った。やっぱり晴れがましい気分にはなれず、どちらかというと気が重かった。
汚れたらどうする。忘れたらどうする。なくしたらどうする。私はきっと、恐れることの全部をやらかすだろう。汚して、忘れて、最後にはなくすだろう。私の名前の書かれたさらっぴんのこれらは、みな一つずつ、世界の隙間に落っこちて、永遠に戻ってこないだろう。
そんなある日、大きな箱が届いた。きちんと包装されて、リボンが付いていた。おばあちゃんからだ、と母親は言った。
もう慣れっこになっていた重苦しい気分で、私は包装紙を破いた。汚すかもしれない、忘れるかもしれない、なくすかもしれない所有物が、またきっと出てくるに違いない。
出てきたのはランドセルだった。赤くつややかに光っていた。やけにばかでかく見えた。体をうんと折り曲げれば、私自身がすっぽり入れそうだった。下部に留め金があって、開けると、かちゃりと小気味いい音がした。ふたをべろりと持ち上げて中をのぞいた。ベージュの空洞があった。顔を突っ込むと、不思議な匂いがした。臭いというわけではないけれど特別いい匂いでもない。何だか懐かしいような匂い。大人語で言えば革の匂いだが、嗅いだことのないそれは、幼稚園児でも小学生でもない私にとって、未来の匂いに思えた。
足をルの字に折って座り、膝にランドセルを載せて、私はぼんやりと、何にも入っていない中を眺め続けた。真四角の空洞。それは相変わらずばかでかく見え、何だって入るように見えた。こんなものを背負って毎日学校に行くのか。こんなにばかでかけりゃ、なくさなくてすむかもな。
私はふと思い立って、大切にしているぬいぐるみのルルをランドセルに押し込んでみた。入った。しかも、まだまだ余裕がある。気に入りの絵本を入れてみた。幼稚園で使っていた色鉛筆を入れてみた。台所に走っていって、漫画の絵の付いた水筒を持ってきて入れてみた。何だって入った。石ころ。チョコレート。ひみつのアッコちゃんのコンパクト。スヌーピーのハンカチ。ドロップ。入る、入る。来年はもう無理ねと母が言っていた水着。見当たらないと絶望がいや増す水玉の靴下。
「あらやあだ、家出用のかばんじゃないのよ、それは。」
ランドセルに身の回りの物を全部突っ込もうとしている私に気がついて、母は声を上げて笑った。そんなことわかってる。小学校は、どんな所だか知らないけれど、石ころやルルを持っていくような所じゃないってことくらい、わかってる。でもね、でもお母さん。何か大丈夫な気がしてきた。だってこのかばん、何だって入っちゃうんだもん。
小学校が絶望的な場所だったら、そこでまたもや自分に絶望したら、私はこのランドセルに気に入りの物を全部詰めて、それでそこから逃げていこう。ハンカチや水筒の飛び出た赤いランドセルを見下ろして、私はそうひらめいたのだった。どこか、絶望しないでいられる場所を探して、たった一人、全財産を持って、逃げよう。そうだそうだ、そうしよう。もう大丈夫。
私の全財産は、ルルでありハンカチであり水筒であり、チョコでありキャラメルでありキャンディーであり、石ころであり家族で撮った写真であり、触るとガチョウが金になる絵本だった。それだけで生き延びられると私は思っていた。一人で、どこかで、大人になるまで生きていけると。
全財産を押し込んだランドセルにふたをして(かちゃりとまた留め金が鳴った)、両腕を肩バンドに差し入れて背負い、立ち上がった。背負った全財産はあまりにも重く、私はよろよろと後ろによろけた。それを見て母がまた笑った。
その夜、父が帰ってくると、母はまた私にランドセルを背負わせて、父とともに笑った。カメラを向けたりもした。自分が笑われているのに私はなぜか怒りも泣きもしないで、何だかおんなじように愉快な気持ちになって、わざとよろよろしてみせて、それで一緒に笑った。おばあちゃんに電話をかけてお礼を言うときも、私はずっと笑っていた。
その四月に私は小学生になった。「ランドセルに背負われてる。」と母に笑われながら、毎日、赤いランドセルを背負って小学校を目指した。
ひょっとしたら赤いランドセルは、もしくは奇妙な匂いのする四角い空洞は、私にとって扉だったのかもしれない。なぜなら私はかつてのように絶望しなくなったから。おはようと言われればおはようと返せばいい。おかしいことがあったら声を出して笑えばいい。できないことがあったら誰かに助けてと言えばいい。それでももし、世界が依然として私に背を向けるなら、この空洞に全財産を詰めてさっさとどこかへ逃げ出せばいい。
ランドセルからつやが失われ、あちこちにかすり傷ができ、バンドに腕を通すのが窮屈に感じられる頃には、私はごく普通の、どこにでもいる小学生になっていた。
誕生日パーティーに呼ばれ、数人の友達と秘密を共有し、秘密基地を作り、先生に怒られ、通信簿に一喜一憂する、ごく普通の小学生。全財産を背負って逃げようという必死の覚悟もすっかり忘れ、ただただ、一日一日をせわしなく過ごす。かつて影のようにひっついていた絶望という言葉は、親にばれないように捨ててしまった赤点のテスト用紙ほどに、意味のないものになった。
さて、大人というのはどのくらい子どもなんだろう。何でもわかったような顔をしているが、その実、何にもわかってなんかいないのだ。
ここへきて、私は何にもわからなくなってしまった。年齢でいえば私は二十七歳、立派に大人の年齢である。幼稚園のとき見ていたより、世界は格段に広くなった。知らなかったことを一つずつ知っていった。
例えば人が死ぬということ。ランドセルを贈ってくれたおばあちゃんは、私が十七歳のときに死んだ。今いる誰かがいなくなることがあるなんて、それまで知らなかった。けれどおばあちゃんは今やどこにもいない。
例えば自分には叶わない何かがあるということ。私はアーティストになりたかった。斬新なイラストを描くアーティストとして、早々と世界デビューを果たすつもりだった。けれど美大に入ったその年に、そんなこと、世界がおもてうら逆になったって無理だと思い知った。現在私は、社員五人の小さなデザイン事務所で地味に働いている。
例えば幸福というものが一種類ではないらしいこと。ランドセルを背負う小さな私を見て、一緒に笑い転げていた父と母は、二年前に離婚した。それぞれの幸福な未来のため、だそうだ。彼らの決断に反対はしなかったけれど、ランドセルと私の写真をばかみたいに撮りまくったあの夜こそが、幸福というものだと信じている私には、何だかちょっとショックだった。
例えばコントロール不可能な恋というもの。それまで、恋って何だかふんわりした、柔らかい感触のものだと思っていた。幾度か恋をしてさえ、そう思っていた。けれど世の中には、もっと乱暴で野蛮な恋というものもある。喜怒哀楽のただならぬ増幅に、ちょっとタンマと言ってもタンマできないし、イチヌケタと言っても抜けられない。そんなえたいの知れないものが確かに、ある。
そして、例えばそんな恋でも失うことがある、ということ。
一つ一つ、知らなかったことを体得してきた私は、今現在、そこのところを学んでいる最中だ。
どうにかなっちゃうんじゃないかと思うくらい好きな人がいて、自分の時間と気持ちと余裕のほとんどすべてを無償で差し出してきて、それでもそういう事情を、ばっさりと、思いも寄らぬときに切り捨てられるときがある。早い話が、私は振られたばかりなのだ。
こういう種類のつらさは、ほんと、知らなかった。ごはんを食べても何の味もしない。電車が私の前でドアを閉めても何とも思わない。好きなドラマを見ていても内容が頭に入ってこない。かと思うと、通りかかった薬屋から聞こえてきたどうにもばかばかしい流行歌の一節に、唐突に落涙する。
私の落ち込みようを知った友人たちが、何度も食事に連れ出してくれる。ばか騒ぎもしてくれる。彼らと一緒に私も笑い、歌い、ごはんをもりもり食べ、酒をがばがば飲み、私を振った男の悪口を言ったりする。けれどそうすればするだけ、何だか暗い穴ぼこにすとんと落ちたような感が否めなくなる。笑う友達の顔、好物の載った皿、きらめくワイングラス、すべてが薄闇のずっと向こうにある。失恋が、こんなに怖いものだなんて、まったく。
そうして私は、二十七歳になりながら、何にもわかっていないことに気がつくのである。人が死ぬことがどんなことなのか、幸福の形が違うことがどんなことなのか、恋が何を私にもたらしたのか、失恋が何を私から奪っていったのか、まるでわからない。すごいな。かつてはあんなにわかっていたのに、私はどんどんわからなくなる。大人になるってのは、こんなふうにわからなくなることなのか。
と、そんなことを考えながら、暗い穴ぼこ生活を送っていたところ、母から宅配便が送られてきた。大きな段ボールが二つ。
野菜か米かと思って開けたら、変な物ばかり続々と出てきた。アルバム数冊。作文帳。絵画に工作。私が幼稚園から高校までに、作ったり書いたりもらったりした思い出の品の数々。桐の箱入りのへその緒まであった。
何のつもりなんだ、と少々いら立ちながら中身を取り出していたら、手紙が入っていた。再婚することになったと手紙にはあった。あなたの思い出の品、邪魔だから送りつけたのではありません。あなたに、取っておいてほしいと思ったの。再婚してもあなたにはいつでも帰ってきてほしいけれど、あなたの実家はもうあなたが思うような場所ではないかもしれない。帰りたいと思っても、思うように帰る場所を見つけられないかもしれない。だからこれはあなたが持っていてください。帰りたいと思うようなときに、いつでも即座に帰れるように。と、手紙にはあった。手紙の最後に、お母さんは今とても幸せです、と聞いてもいないのに書いてあった。
そーんなこと言って、本当は、邪魔だから送りつけたんだろう、それならそうと正直に言えばいいのに、なんてねじくれた気分で思いながら、二つ目の箱を開けると、古びたランドセルが出てきた。私はそれを取り出して、ルの字に座って膝に置く。
何て小さい入れ物だろう。かちゃりと留め金を外してふたをめくる。昔読んでいた漫画や本が詰め込まれている。それを取り出すと、少々黒ずんだベージュの空洞が現れる。鼻を突っ込んでみる。使い古した革の匂いがした。そんな大人語を知らなかったら、過去の匂いだと私は言うだろうと思った。
私はふと思い出し、空っぽのランドセルに、自分の全財産を詰め始める。まず通帳にはんこ、化粧ポーチに下着の替え。我ながら酔狂だと思ったが、やっていると、ここ最近ずっと私を覆っている落ち込みムードが少し晴れた。着替えひとそろいに、読みさしの本、好きなCD、MD、DVDにマグカップ。香水にタオル。けれど、ああ、何てこと。全財産どころか、一泊旅行に必要な物すら入らないじゃないか。
六歳のあのときは、何と身軽だったのか。あれだけの荷物で、地の果てまで逃げられると思っていたんだから。だらしなく中身の飛び出たランドセルを前に、私は笑いだす。笑いながら、ランドセルをひっくり返して、たった今詰め込んだ中身を全部床にばらまいた。
これじゃ逃げられないよ。私は静かな部屋の中、独り言を言う。失ってばかりのような気がするけれど、それでも私の手にしているものは、ランドセルに詰め込めないくらいたくさんなのだ。逃げるわけにはいかない。もう少し、ここで何とか踏ん張らなくては。
ランドセルを久しぶりに背負ってみようとしたら、腕が通らなかった。それでひとしきり、また笑った。静かな日曜の午後である。
虫のいろいろ 尾崎 一雄
晩秋のある日、日差しの明るい午後だったが、ラジオが洋楽をやりだすと間もなく、部屋の隅から一匹の蜘蛛が出てきて、壁面でおかしな挙動を始めたことがある。
今、四年目に入っている私の病気も、一進一退というのが、どうやら、進の方が優勢らしく、春は春、秋は秋と、年ごとの比較が、どうも芳しくない。目立たぬままに次第弱りというのかもしれないが、それはとにかく、一日の大半を横になって、珍しくもない八畳の、二三か所雨のしみある天井を、まじまじと眺めている時間が多いこの頃である。
もう寒いから、羽虫の類いは見えないが、蠅どもはその米杉の天井板にしがみついていて、日の差す間は、縁側や畳に下りてあっちこっちしている。私の顔なんかにもたかって、うるさい。
蠅のほかに天井や壁で見かけるのは、蜘蛛である。灰色で、薄斑のある大きな蜘蛛だ。左右の足を張ると、障子のひとこまの、狭い方からはみ出すほどの大きな蜘蛛だ。それが何でもこの八畳のどこかに、二三匹は潜んでいるらしい。一度に二三匹出てきたことはないのだが、慣れた私の目には、あ、これはあいつだ、と、その違いがすぐわかる。
壁面でおかしな挙動を見せたやつは、中で一番小さいかと思われる一匹だった。レコードの、「チゴイネル・ワイゼン」――昔、私も持っていたことのあるハイフェッツ演奏の赤の大盤に違いなく、鳴りだすと私にはすぐそれとわかったから、何か考えていたことを放り出し、耳は自然とその派手な旋律を迎える準備をした。
やがて、ぼんやり放っていた視線の中に、するすると何かが出てきたが、それが蜘蛛で、壁の角からするすると一尺ほど出てきたと思うと、ちょっと立ち止まった。見るともなく見ていると、そいつが、長い足を一本一本ゆっくりと動かして、いくらか弾みのついた格好で壁面を歩き回り始めたのだ。蜘蛛の踊り――とちょっと思ったが、踊るというほどはっきりした動作ではない、曲に合わせてどうこうというのではなく、何かこう、いらいらしたような、ギクシャクした足つきで、無闇とその辺を歩き回るのだ。
――浮かれだしやがった、と私は半ばあきれながら、おかしがった。幾分、不思議さも感じた。牛や犬が、音楽――人間の音楽にそそられることがあるとは聞いていたし、殊に犬の場合は、私自身実際に見たこともあるのだが、蜘蛛となると、ちょっとそのままには受け取りかね、私は疑わしい目つきを蜘蛛から離さなかった。曲が終わったら彼はどうするか、そいつを見落とすまいと注視を続けた。
曲が終わった。すると蜘蛛は、卒然といった様子で、静止した。それから、急に、例の音もないするするとしたすばしこい動作で、元の壁の隅に姿を消した。それは何か、しまった、というような、少してれたような、こそこそ逃げ出すといったふうな様子だった。――だった、とはっきりいうのもおかしいが、こっちの受けた感じは、確かにそれに違いなかった。
蜘蛛類に聴覚があるのかないのか私は知らない。ファーブルの「昆虫記」を読んだことがあるが、こんな疑問への答えがあったかなかったかも覚えていない。音に対して我々の聴覚とは違う別な形の感覚を備えている、というようなことがあるのかないのか。つまり私には何もわからぬのだが、この事実を偶然事と片づける根拠を持たぬ私は、そのときちょっと妙な感じを受けた。これは油断がならないぞ、まずそんな感じだった。
このことに関連して、私は、偶然蜘蛛をある期間閉じ込めたことのあるのを思い出す。
夏の頃、暑いうちはいくらか元気なのが例の私が、何かのことで空き瓶が要って、適当と思われるのを一本取り出し、何げなくセンを取ると、中から一匹の蜘蛛が走り出て、物陰に消えた。足から足まで一寸か一寸五分の、八畳の壁にいるやつとは比較にならぬ小型のだったが、色は肉色で、体はほっそりしていた。
瓶から蜘蛛が出てきたので、私はちょっと驚いた。私は記憶をたどってみた。これらの空き瓶は、春の初め、子どもたちに言いつけてきれいに洗わせ、中の水気を切るため一日ほど逆さにして置き、それからゴミやほこりの入るのを防ぐためセンをして、何かの空き箱にまとめておいたものだ。蜘蛛が入ったのは、その一日の間のことに違いない。
出口を塞がれた彼は、たぶん初めは何とも思わなかったろう。やがて何日かたち、空腹を感じ、餌を探す気になって、そこで自分の陥っている状態のどんなものかを悟っただろう。あらゆる努力が、彼に脱走の不可能を知らしめた。やがて彼は、じたばたするのをやめた。彼はただ、じっと、機会の来るのを待った。そして半年――。私がセンを取ったとき、蜘蛛は、実際に、間髪をいれず、というすばやさで脱出した。それは、スタート・ラインで号砲を待つ者のみがもつすばやさだった。
それからもう一度。
八畳の南側は縁で、その西外れに便所がある。男便所の窓が西に向かって開かれ、用を足しながら、梅の木の間を通して、富士山を大きく眺めることができる。ある朝、その窓の二枚の硝子戸の間に、一匹の蜘蛛が閉じ込められているのを発見した。昨夜のうちに、私か誰かが戸を開けたのだろう。一枚の硝子にへばりついていた蜘蛛は、二枚の硝子板が重なることによって、幽閉されたのだ。足から足三寸ほどの、八畳にいるのと同種類のやつだった。硝子と硝子子の間には彼の身体を圧迫せぬだけの余裕があっても、重なった戸のワクは彼の脱出を許すべき空隙を持たない。
私は、前の、空き瓶の場合をすぐ思い出した。今度はひとつ、彼の行く末を見届けてやろう、そんな気を起こした。私は家の者どもに、その硝子戸を閉めるな、と言いつけた。空き瓶中の蜘蛛は、約半年間何も食わず、粗雑な木のセンの、きわめてわずかな空隙からする換気によって、生きていた。今度のは、丸々と肥えた、いっそう大きなやつだ、こいつとの根気比べは長いぞ、と思った。
用便のたび眺める富士は、天候と時刻とによって身じまいをいろいろにする。晴れた日中のその姿は平凡だ。真夜中、さえわたる月光の下に、鈍く音なく白く光る富士、いまだ星の光が残る空に、頂近くはバラ色、胴体は暗紫色に輝く暁方の富士――そういう富士山の肩を斜めに踏んまえた形で、蜘蛛はじっとしているのだ。彼はいつもじっとしていた。幽閉を見つけ出したそのときから、彼のあがきを一度も見たことはなかった。私が、根気負けの気味で「こら。」と指先で硝子をはじくと、彼は、しかたない、といった調子で、わずかに身じろぎをする、それだけだった。
ひと月ほどたって、彼の体躯が幾分痩せたことに気づいた。
「おい、便所の蜘蛛、痩せてきたぜ。」
「そうらしいです。かわいそうに。」
「蜘蛛の断食期間は、幾日ぐらいだろう。」
「さあ。」
妻は興味ない調子だ。つまらぬ物好き、蜘蛛こそ迷惑、といった調子だ。私は妻のその調子にどこか抵抗する気持ちで、
「とにかく、逃がさないでくれ。」と言った。
さらに半月たった。明らかに蜘蛛は細くなってきた。そして、体色の灰色が幾分かあせたようだ。
もう少しでふた月になるというある日、それは、壁間の蜘蛛の散歩を見た何日かの後だったが、便所の方で、「あ。」という妻の声がし、続いて「逃げた。」と聞こえた。相変わらず横になってぼんやりしていた私は、蜘蛛を逃がしたな、と思ったが、それならそれでいいさ、という気持ちで黙っていた。
――いつも便所掃除のときは、硝子戸を重ねたまま動かしたりして蜘蛛の遁走には気をつけていたのだが、今日はうっかり一枚だけに手をかけた、半分ほど引いて気がついたときは、もう及ばなかった、蜘蛛の逃げ足の速いのには驚いた、まるで待ち構えていたようだ――そんな、言い訳混じりの妻の説明を、私は、うんうんと聞き流し、命冥加なやつさ、などとつぶやいた。実のところ、蜘蛛を相手の根気比べも大儀になっていたのだ。とにかく片がついた、どっちかといえば、よい方へ片がついた、そんなふうに思った。
私がこの世に生まれたそのときから、私と組んで二人三脚を続けてきた「死」というやつ、頼んだわけでもないのに四十八年間、黙って私と一緒に歩いてきた死というもの、そいつの相貌が、この頃何かしきりと気にかかる。どうも何だか、いやに横風なつらをしているのだ。
そんなとんでもないやつと、元来自分は道連れだったのだ、と身にしみて気づいたのは、二十歳ちょっと前だったろう。つまり生を意識し始めたわけだが、普通と比べると遅いに違いない。のんびりしていたのだ。
二十三から四にかけて一年ばかり重病に倒れ、危うく彼奴の前に手を挙げかかったが、どうやら切り抜けた。それ以来、くみしやすしと思った。もっとも、ひそかに思ったのだ。大っぴらにそんな顔をしたら彼奴は怒るに決まっている。怒らしたら損、という腹だ。急に歩調を速めだしたりされては迷惑する。
こういうことを仰々しく書くのは気が進まぬから端折るが、つまるところ、こっちは彼奴の行くところへどうしてもついていかねばならない。じたばたしようとしまいと同じ――このことは分明だ。残るところは時間の問題だ。時間と空間から脱出しようとする人間の努力、神でも絶対でもワラでも、手当たりしだいつかもうとする努力、これほど切実でもの悲しいものがあろうか。一念万年、個中全、何とでも言うがいいが、観念の殿堂にすぎなかろう。何故諦めないのか、諦めてはいけないのか。だがしかし、諦めきれぬ人間が、次から次と積み上げた空中楼閣の、何と壮大なことだろう。そしてまた、何と微細繊巧を極めたことだろう。――天井板に隠現する蜘蛛や蠅を眺めながら、ほかにしかたもないから、そんなことをうつらうつらと考えたりする。
また、虫のことだが、蚤の曲芸という見世物、あの大夫の仕込み方を、昔何かで読んだことがある。蚤を捕まえて、小さな丸い硝子玉に入れる。彼は得意の脚で跳ね回る。だが、周囲は鉄壁だ。さんざん跳ねた末、もしかしたら跳ねるということは間違っていたのじゃないかと思いつく。試しにまた一つ跳ねてみる。やっぱりむだだ、彼は諦めておとなしくなる。すると、仕込み手である人間が、外から彼を脅かす。本能的に彼は跳ねる。だめだ、逃げられない。人間がまた脅かす、跳ねる、むだだという蚤の自覚。この繰り返しで、蚤は、どんなことがあっても跳躍をせぬようになるという。そこで初めて芸を習い、舞台に立たされる。
このことを、私はずいぶん無慚な話と思ったので覚えている。持って生まれたものを、手軽に変えてしまう。蚤にしてみれば、意識以前の、したがって疑問以前の行動を、一朝にして、われ誤てり、と痛感しなくてはならぬ、これほど無慚な理不尽さは少なかろう、と思った。
「実際ひどい話だ。どうしてもだめか、わかった、というときの蚤の絶望感というものは、――想像がつくというかつかぬというか、ちょっと同情に値する。しかし、頭隠して尻隠さずという、元来どうも彼はばか者らしいから……それにしても、もう一度跳ねてみたらどうかね、たった一度でいい。」
東京から見舞いがてら遊びに来た若い友人にそんなことを私は言った。彼は笑いながら、
「蚤にとっちゃあ、もうこれでギリギリ絶対というところなんでしょう。最後のもう一度を、彼としたらやってしまったんでしょう。」
「そうかなア。残念だね。」私は残念という顔をした。友人は笑って、こんなことを言いだした。
「ちょうどそれと反対の話が、せんだっての何かに出ていましたよ。何とか蜂、何とかいう蜂なんですが、そいつの羽は、体重に比較して、飛ぶ力を持っていないんだそうです。まア、羽の面積とか、空気を打つ振動数とか、いろんなデータを調べたあげく、力学的に彼の飛行は不可能なんだそうです。それが、実際には平気で飛んでいる。つまり、彼は、自分が飛べないことを知らないから飛べる、と、こういうんです。」
「なるほど、そういうことはありそうだ。――いや、そいつはいい。」私は、この場合力学なるものの自己過信ということをちらと頭に浮かべもしたが、何よりも不可能を知らぬから可能というそのことだけで十分おもしろく、蚤の話によるもの憂さから幾分立ち直ることができたのだった。
神経痛やロイマチスの痛みは、あんまりもんではいけないのだそうだが、痛みがさほどでないときには、もませると、そのまま治まってしまうことが多いので、私はよく妻や長女にもませる。しかし、痛みをこうじさせてしまうと、もういけない。触ればなお痛むからはたの者は、文字どおり手のつけようがない。
神経痛の方は無事で、肩の凝りだけだというとき、用の多い家人を捕まえてもませるのは、今の私にできるゼイタクの一つだ。この頃では十六の長女が、背丈は母親と似たようになり、足袋も同じ文数を履き、力も出てきたので、多くこの方にもませる。疎開以来田舎の荒仕事で粗雑になった妻の指先よりも、長女のそれの方がしなやかだから、よく効くようだ。それに長女は、左下に寝た私の右肩をもみながら、私の身体を机代わりに本を開いて復習なんかするから、まるで時間の損というのでもない。
ときにはまたおしゃべりをする。学校のこと、先生のこと、友人のこと――たいてい平凡な話で、うんうんと聞いてやっていれば済む。が、ときどき何か質問をする。先日も、何の連絡もないのに、宇宙は有限か、無限か、といきなり聞かれて、私はうとうとしていたのをちょっとこづかれた感じだった。
「さあ、そいつはわからないんだろう。」
「学者でも?」
「うん、定説はないんじゃないのかな。――それは、あんたより、お父さんの方が知りたいぐらいだよ。」言い言い、私は近頃読んだある論文を思い出していた。可視宇宙における渦状星雲の数は、推定約一億で、それが平均二百万光年の距離を置いて散らばっている。その星雲の、今見られる最遠のもの、宇宙の辺境ともいうべき所にあるものは、地球からの距離約二億五千万光年、そして各星雲の直径は二万光年――そんなことが書いてあったようだ。そして我々の太陽系は、約一億といわれる渦状星雲のうちのある一つの、ささやかな一構成分子たるにすぎない。「宇宙の大」というようなことで、ある感傷に陥った経験が自分にもある、と思った。中学上級生の頃だったと思う。今、十六の長女が同じ段階に入っていると感ずると、何かいたわってやりたい思いに駆られるのだった。
「一光年というのを知っているかい?」と聞く。
「ハイ、光が一年間に走る距離であります。」と、わざと教室の答弁風に言う。
「よろしい。では、それは何キロですか。」こちらも先生口調になる。
「さア。」
「ちょっともむのをやめて、紙と鉛筆、計算を頼む。」
ええと、光の速度は、一秒間に……などと言いながら、長女は掛け算を重ねて十三桁か十四桁の数字を出し、うわ、零が紙からハミ出しちゃったと言った。そいつを二億五千万倍してくれ、と言うと、そんな天文学的数字、困る、と言う。
「だって、これ、天文学だぜ。」
「あ、そうか。――何だか、ぼおッとして、悲しくなっちゃう。」と長女は鉛筆を放した。
二人はしばらく黙っていたが、やがて私が言いだす。
「でもね、数字の大きさに驚くことはないと思うよ、数字なんて、人間の発明品だもの、単位の決め方でどうにでもなる。仮に一億光年ぐらいを単位にする、超光年とか言ってね、そうすれば、可視宇宙の半径は二超光年半か三超光年、二・五か三、何だそれだけかということになる。――反対に原子的な単位を使うとすると、零の数は、紙からハミ出すどころか、あんたが一生かかったって書ききれない。」
「うん。」と静かに答える。
「単位の置きどころということになるだろう。有限なら、いくら零の数が多くたって、人間の頭の中に入るよ。ところが、無限となると……。」
神、という言葉がそこへ浮かんだので、ふと私は口をつぐんだ。長女は、機械的に私の右肩をもんでいる。問題が自分に移された感じで、何かぶつぶつと私は頭の中でつぶやき続けるのだった。
――我々の宇宙席次ともいうべきものは、いったいどこにあるのか。時間と空間の、我々はいったいどこに引っかかっているのだ。そいつを我々は自分自身で知ることができるのかできないのか。知ったら、我々は我々々でなくなるのか。
蜘蛛や蚤や何とか蜂の場合を考える。私が閉じ込めた蜘蛛は、二度とも偶然によって脱出しえた。来るか来ぬかわかりもせぬ偶然を、静まり返って待ち続けた蜘蛛、機会を逃さぬそのすばやさには、反感めいたものを感じながらも、みごとだと思わされる。
蚤はばかだ、ふぬけだ。何とか蜂は、向こう見ずだ。鉄壁はすでに除かれているのに、自ら可能を放棄して疑わぬ蚤、信ずることによって不可能を可能にする蜂、我々はそのどっちなのだろう。我々と言わなくていい、私、私自身はどうだろう。
私としては、蜘蛛のような冷静な、不屈なやり方はできない。できればいいとも思うが、性に合わぬという気持ちがある。
何がし蜂の向こう見ずの自信には、とうてい及ばない。だがしかし、これは自信というものだろうか。彼として無意識なら、そこに自信も何もないわけだ。蜂にとっては自然なだけで、かれこれ言われることはないのだ。
ばかでふぬけの蚤に、どこか私は似たところがあるかもしれない。
自由は、あるのだろうか。あらゆることは予定されているのか。私の自由は、何ものかの筋書きによるものなのか。すべてはまた、偶然なのか。鉄壁はあるのかないのか。私にはわからない。わかるのは、いずれそのうち、死との二人三脚も終わる、ということだ。
私が蜘蛛や蚤や蜂を見るように、どこかから私の一挙一動を見ているやつがあったらどうだろう。さらにまた、私が蜘蛛を閉じ込め、逃がしたように、私のあらゆる考えと行動とを規制しているやつがあったらどうだろう。あの蚤のように、私が誰かから無慚な思い知らされ方を受けているのだとしたらどうなのか。おまえは実は飛べないのだ、と、私という蜂が誰かに言われることはないのか。そういうやつが元来あるのか、それとも、我々がつくるのか、さらにまた、我々がなるのか、――それを教えてくれるものはない。
蠅はうるさい。もう冬だから、日盛りにしか出てこないが、布団にあごまで埋めた私の顔まで遊び場にする。
蠅について大発見をした。彼が頰にとまると、私は頰の肉を動かすか、首をちょっと振るかして、これを追い立てる。飛び立った彼は、すぐ同じところに戻ってくる。また追う。飛び立って、またとまる、これを三度繰り返すと、彼は諦めて、もう同じ場所には来ないのだ。これはどんな場合でも同じだ。三度追われると、すっぱり気を変えてしまう、というのが、どの蠅の癖でもあるらしい。
「おもしろいからやってごらん。」と私は家の者に言うのだが、「そうですか、おもしろいんですねえ。」と口先だけで言いながら、誰もそんな実験をやろうとはしない。忙しいのです、と無言の返答をしている。もちろん私は強いはしない。だが、忙しいというのはどういうことなんだ、それはそんなに重大なことなのか、と腹の中でつぶやくこともないのではない。
それからまた、私は、世にも珍しいことをやってのけたことがある。額で一匹の蠅を捕まえたのだ。
額にとまった一匹の蠅、そいつを追おうというはっきりした気持ちでもなく、私は眉をぐっと釣り上げた。すると、急に私の額で、騒ぎが起こった。私のその動作によって額にできたしわが、蠅の足をしっかりと挟んでしまったのだ。蠅は、何本か知らぬが、とにかく足で私の額につながれ、むだに大げさに羽をぶんぶんいわせている。その狼狽のさまは手に取るごとくだ。
「おい、誰か来てくれ。」私は、眉を思いきり釣り上げ額にしわを寄せたとぼけた顔のまま大声を出した。中学一年生の長男が、何事かという顔でやって来た。
「おでこに蠅がいるだろう、とっておくれ。」
「だって、とれませんよ、蠅たたきでたたいちゃいけないんでしょう?」
「手で、すぐとれるよ、逃げられないんだから。」
半信半疑の長男の指先が、難なく蠅を捕まえた。
「どうだ、エライだろう、おでこで蠅を捕まえるなんて、誰にだってできやしない、空前絶後の事件かもしれないぞ。」
「へえ、驚いたな。」と長男は、自分の額にしわを寄せ、片手でそこをなでている。
「君なんかにできるものか。」私はニヤニヤしながら、片手に蠅を大事そうにつまみ、片手で額をなでている長男を見た。彼は十三、大柄で健康そのものだ。ロクにしわなんか寄りはしない。私の額のしわは、もう深い。そして、額ばかりではない。
「なになに? どうしたの?」
みんな次の部屋からやって来た。そして、長男の報告で、いっせいにゲラゲラ笑いだした。
「わ、おもしろいな。」と、七つの二女まで生意気に笑っている。みんなが気をそろえたように、それぞれの額をなでるのを見ていた私が、
「もういい、あっちへ行け。」と言った。少し不機嫌になってきたのだ。
愛のサーカス 別役 実
象と、小さな象使いの少年を乗せたいかだが、その港街にゆっくり流れ着きました。もう港はすっかり夜で、それまでにぎわっていたはしけ溜まりも、埠頭もひっそりと静まり返っております。痩せた野良犬が一匹、それまでたどってきた匂いの行方をそこで見失ってしまったせいでしょうか、ガス灯の下をぼんやりうろついているだけでした。
「おや……?」
と、最初にそれに気づいたのは、埠頭事務所のウルじいさんでした。
「おーい……。」
ウルじいさんは、いかだの上の少年に声をかけてみました。
「どうしたんだい……?」
少年はウルじいさんを見てにっこり笑うと、黙って沖の方を指さしました。
「あっちから来たのかい?」
少年はうなずきました。しかしそこには、闇に沈む黒い海が、重々しくうねりながら広がっているだけでした。
うわさが、人の口から口へささやきながら伝えられて、夜中だというのに、港には大勢の人々が集まってきました。人々に囲まれた中で少年と象は、お互いをかばい合うように身を寄せ合って、少し不安そうにひっそりと立っておりました。
「おなかがすいているんじゃないのかい?」
《ネコとエントツ》亭のクメばあさんが聞きました。少年がかすかにうなずいたので、早速何人かの者が、食べ物を取りに走りました。
「象のも用意しなくちゃいけないよ。象だっておなかがすいているだろうからね。」
「そりゃあ、そうだ。」
そこでまた、別の何人かが象の食べる物を取りに走りました。
その頃ウルじいさんは、一等電信技師のタテ氏に頼んで、方々へ無線電信で問い合わせをしておりました。つまりウルじいさんは、サーカスの一座を乗せた汽船が沖で難破して、少年と象だけがその港に流れ着いたのだと考えたからです。しかし、どの港の管理事務所も、そして沿岸警備隊も、そんな報告は受けていないのでした。
「おかしいな……?」
「あの子にもう一度聞いてみたらどうです?」
少年と象は、人々の群れが作った囲みの中で、少し恥ずかしそうに、つつましく食事をしておりました。
「見てごらんなさい……。」
埠頭事務所から出てきたウルじいさんとタテ氏に、牧師館のスミ奥様が話しかけてきました。
「何てしつけのいい子どもなんでしょう。お食事の前に、ちゃんとお祈りまでしたんですよ。ひどくおなかがすいていたんでしょうに。」
人々は、まるでそこで一つの奇跡が行われているかのように、少年や象のほんのちょっとしたしぐさや表情にいちいち感動しながら、息を殺してそれを見守っておりました。
やがて少年は、ナイフとフォークを置き、ナプキンで口の周りを丁寧に拭い、コップの水をちょびっと飲んで、それから、辺りの人々にふと、ほほ笑みかけました。人々も、ほっとため息をついて、思わずほほ笑み返しました。食事が終わったのです。
「ねえ、君……。」
ウルじいさんが近づいていって、優しく話しかけました。
「君たちの船は、難破したのかい……?」
少年は、黙って首を振りました。
「だってそれじゃあ、君とこの象は、どこから来たんだい……?」
少年は、やっぱり黙ったまま、さっきと同じように、暗い沖の方を指さしました。もっとも人々の中には、そのとき少年は、海ではなく空を指さしたのだと言う者もおりました。少年の指は、水平線よりももっと上を向いていた、と言うのです。しかしいずれにせよ、それでは何もわかりません。
ウルじいさんは、もう少し詳しく聞こうとして身を乗り出しましたが、それは周りの人々に止められてしまいました。
「およしよ。見てごらん。この子はひどく眠そうじゃないか。」
「そうですよ。聞くことはいつでもできるんです。まず眠る場所を用意してやるべきですよ。」
しかたがありません。まるで少年をいじめているみたいにいわれて、さすがのウルじいさんも少しむっとしましたが、少年が本当に眠そうでしたので、人々の意見に従うことにしました。
「いいよ。こっちへおいで……。」
少年と象を離れ離れにするのはいかにもかわいそうな気がして、ウルじいさんは海岸通りの第三倉庫に、わらをいっぱい敷き詰め、少年の寝る所には柔らかな毛布を用意して、そこに泊まってもらうことにしました。
「さあ、みんな出ていってください。この子はもう寝るんですから……。」
ウルじいさんは、そこまでぞろぞろついてきた街の人々を倉庫から追い出して、それから、横になった少年の襟もとの毛布を直してやりました。
「安心しておやすみ。怖いことは何にもないからね……。」
少年はにっこり笑って目をつむりました。高い明かり取りの窓から差し込む青白い光が、黒く山のようにうずくまった象と、少年の天使のような顔を、ぼんやりと照らし出しております。ウルじいさんは、足音を忍ばせて倉庫を出ました。
「ねえ、どうでした……?」
第三倉庫の前には、まだ大勢人々が集まっていて、ウルじいさんが出てくると心配そうに近づいてきました。
「眠りました。大丈夫ですよ。とても優しい顔をして、まるで心配なことは何もないみたいに……。」
「それはよかった……。」
ウルじいさんの話が、近くの人から遠くの人へ木の葉のざわめきのように伝えられて、人々は、まるで自分たちの子どもがそうであるかのように、喜び合いました。
その次の日から、少年と象の、その街での生活が始まりました。相変わらず何も言わなかったので、ウルじいさんの努力にもかかわらず、どこからどうやって来たのかということは、とうとうわからずじまいでしたが、街の人々にとっては、もうそういうことはどうでもいいことでした。
少年と象はたいてい、第三倉庫の前の突堤に座って、海を見たり、空を見たり、港で働く人々を見たりして過ごしました。お食事の時間には、《ネコとエントツ》亭からそこへ、食事が運ばれました。ときどき街をお散歩することもありましたが、そんなときでも少年は、小さな子どもが母親に寄り添うように、象に寄り添って歩きました。少年と象のそうしたいたわり合う姿を見ているだけで、街の人々は深く感動し合いました。特に少年が、何かの拍子ににっこり笑うと、人々はまるで、身も心もとろけそうになるくらい、幸せな気分になるのでした。
「今日お店の前を通ったのでお花を一つあげたんですよ。そうしたらとてもうれしそうににっこり笑って……。ええ、そうなんです。あの子はきっとお花が好きなんですよ。」
花屋のおかみさんのネイは、そう人々に話しました。
「ゆうべ《人魚》亭の門口にうずくまっていてね、中でヨナの歌うのを聴いていたよ、ひどく一生懸命にね。だからそうなんだよ。あの子は音楽が好きなんだよ。」
はしけ頭のツマじいさんは、そう人々に報告しました。人々のそうした思いやりに囲まれて、少年と象は、静かにつつましく、そして穏やかな毎日を送っていました。
しかし、日が落ちて波止場の人影がなくなる頃、第三倉庫の前に象と並んでうずくまって、鉛色の海や星のきらめき始めた空をぼんやりと眺めている少年の後ろ姿は、さすがに寂しそうで、遠くからそれを見守る人々の涙を誘いました。
「やっぱりねえ……。そうなんですよ、お父さんやお母さんのことを考えているんです。」
「かわいそうに……。」
そして人々は、少年にお父さんやお母さんのいないのが、まるで自分たちの責任であるかのように、心苦しく思うのでした。
「明日は私、あの子の上着の鉤裂きを繕ってやりましょう。そうすれば、いっときお母さんのいない寂しさが、紛れるかもしれませんから……。」
「そうだね。そのうちに私が、舟で魚を釣りに連れてってやろう。お父さんとそうしているような気持ちになるかもしれないからな。」
言いながら人々は、そうしてやったときの少年のうれしそうな顔を思い浮かべて、それだけでもう感動してしまうのでした。少年のために優しくしてやりたいという街の人々の気持ちが、しだいに広がって、街全体が和やかになってゆくようでした。
ところで、少年と象が流れ着いてから十一日目のある日のことです。突然、西の街道からその港街へ、四頭立ての大きな黒い箱馬車が勢いよく乗り込んできました。
「やあ、皆さん。」
赤ら顔の太った紳士が中から現れ、シルクハットを取って丁寧におじぎをすると、ステッキを振りながら陽気な声を上げました。
「私は、金星サーカス一座の団長を務めるクグであります。」
にぎやかなことの好きな街の人々が、早速集まってきました。
「じゃあ、あなた、ここで興行をするのですか?」
集まってきた人々を代表して、ウルじいさんが聞いてみました。
「いや、そうじゃありません。」
紳士が答えました。
「興行は済んだのです。私どもは料金をいただきにあがりました。」
「興行が済んだって……? だってこの街にはサーカスなんて……。」
ウルじいさんの言葉を遮って、太った紳士はさらに大きな声を上げました。
「金星サーカス一座のスター、象使いのピピ少年を紹介します。」
紳士が伸ばしたステッキの先に、第三倉庫があって、その中からゆっくり、少年と象が出てきました。そして、やっぱり少しはにかんだまま、集まった人々に丁寧におじぎをしました。
「あれが……? あれがそうなんですか?」
「そうです。ありがとうございました。十日間の興行を無事務めさせていただきました。」
「だって、あなた……。」
ウルじいさんはあぜんとしながらも、言葉を継ぎました。
「あの子は、何にもしなかったんですよ。」
「いいえ。」
紳士は自信たっぷりに、集まった人々の顔をゆっくり眺めわたしながら言いました。
「皆さんは、あの子を見ました。そして、感動しました。もちろん、あの子は綱渡りはしなかったでしょう。空中ブランコもしなかったでしょう。逆立ちをすらしませんでした。あの子がやったのは、普段皆さんがやっておられるように、寝て、起きて、食事をして、お散歩をして、空を見て、海を見ただけです。しかし、皆さん。皆さんはそれを見て、感動したはずです。そうですよ、皆さん。これが私たちのサーカスなんです。愛のサーカスです。その感動は、これまでご覧になったどのサーカスのそれより、大きかったはずなのです。さあ、いいですね、それではフィナーレです。」
紳士が手を上げると、黒い箱馬車の背中がぱっくり割れて、中から、少年の母親らしい若い美しい婦人が、ゆっくり現れました。そして、少年の顔に、これまでに人々が見たどれよりも大きな喜びが、華やかに広がって、そのまま母親の手の中に飛び込みました。少年とその母親は、しっかりと抱き合いました。
集まった人々は思わず涙を流しました。そして声を上げました。それが、大歓声になって、拍手になって……。
「ね、おわかりでしょう……?」
紳士は、ウルじいさんを振り返って、ずるそうに笑いながら言いました。
「どんな名人の、どんなにすばらしい離れ業も、何も知らない何もできない少年の純真な魂ほど感動的ではないのです。」
金星サーカスの紳士は集まった人々からたっぷりと見物料をせしめ、少年と象を箱馬車に手荒く追い込み、逃げられないように外から大きな鍵をがちゃんとかけると、そのままいずこへともなく、走り去っていきました。
少年という名前のメカ 松田 青子
少年という名前のメカが冒険の旅に出た。少年という名前のメカの記憶装置には、冒険に出ることがはじめからインプットされている。だから少年は旅に出る。少年と名づけられてはいるが、どこからどう見ても少年としか言いようのない見た目につくられてはいるが、性別ははっきりしない。だから、ここではただ少年と呼ぶことにする。
三日三晩歩き続けた少年は、こぢんまりとした村にたどり着き、村の入り口にある、窓の向こうから暖かな光が漏れている一軒の家の戸をたたく。メカだから本当は疲れることはないのだが、なにぶんそうインプットされているため、腰に巻かれたエプロンで手をふきふき出てきたおかみさんに、少年は一夜の宿を求める。
おかみさんは少年を招き入れ、暖炉の脇のテーブルの前に少年を座らせる。暖炉の中では橙色の炎がパチパチと燃えている。おかみさんが温め直したスープをすすっている少年を見つめながら、白いひげをたくわえたこの家の主は質問する。
「そんで、おまえさんの名前はなんと言うんじゃ」
機械的に口に運んでいた木のさじの動きを止めて少年は言う。
「ぼくの名前は少年です」
その瞬間、一家の主とおかみさんの目の色が変わる。おかみさんは顔を硬直させ、がたんと音を立ててイスから立ち上がると、二、三歩その場から後ずさり、主は口の端に挟んでいたパイプをぽろりと落とす。パイプの灰が床に散らばる。
「なに、少年じゃと」
主は少年をにらみつけると、わなわなと怒りに震えた声で言う。
「おまえさんが少年だというなら、話は別じゃ。すまんが、今すぐこの家を出ていってもらおうか。わしは、わしらは少年なんて大嫌いなんじゃ!」
主の後ろで、おかみさんもエプロンで涙をぬぐいながら、こくこくとうなずいている。主とおかみさんの胸の内に共鳴したのか、暖炉の炎が激しくはぜる。冷静な顔をしている少年をよそに、この家の主はなおも言い募る。
「少年じゃと。わしらをばかにするのはいい加減にしてくれ。少年だと言ってはわしらの前に現れ、好きに飲み、好きに食べ、無邪気に振るまい、わしらを散々幸せな気持ちにさせておきながら、ある日自分には大きな使命があると、こんなところにはいられないと、目の前から消えちまう。ドラゴン退治やら謎の敵の襲来やら何か知らんが、そしたらどうだ、その後はとんと音沙汰なしだ。絵はがき一つよこしたためしがない。もうわしらはうんざりなんじゃ。もうこの哀れな年寄りたちをそっとしておいてくれんか、年々さみしさが身にしみるようになってのう。ああ、すべては村の入り口の、一番少年たちの目にとまりやすい場所に家を建ててしまったわしが悪いんじゃ」
主は遠い目をして、窓の外に見入る。老いた男の頰を涙が伝う。おかみさんがエプロンで洟をかむ盛大な音が部屋に響く。
「待ってください」
少年は、ゆっくりとしたペースを保ち、静かな声で二人に告げる。
「ぼくは、これまでの少年とは違います。あなた方を傷つけるようなことは決してしません」
先に口を開いたのはおかみさんだった。
「確かにこの子、名前は少年だっていうけど、今までの少年たちとはちょっと違うよ。旺盛な食欲でスープをぺろりと平らげもしなかったし、まだおかわりもしていない。唇の端にスープをつけたままにして、わたしの母性にアピールもしてこなかった」
主はふむとしばし考えを巡らせると、そうかもしれんなとおかみさんに同意する。
「なるほど、この子は少年特有のまっすぐな眼差しで見つめてきたりもしないしな」
「ぼくに任せてください」
少年は穏やかな声でそう言うと、空になった木の椀とさじを持って、台所へと歩み去る。その後ろ姿を見た主とおかみさんは、それぞれ驚きに見開かれた目を見合わせた。今までの少年たちは、この世に台所などという場所があるとは一度も思ったこともなかっただろう。
少年と老夫婦の共同生活がはじまった。少年は細心の注意を払い、すべてを適度なバランスに保った。老夫婦があらあらと喜んで、うっとりと見つめてしまうような少年らしい瞬間は決してつくらなかった。服を泥だらけにしたり、ボタンをはじき飛ばしたりしなかった。少年は器用でも不器用でもいけなかったし、神童でも問題児でもいけなかった。どちらかになると、それはもう少年になってしまう。少年には出生の秘密もなかったし、先祖代々伝わる何かを託されてもいなかった。何かが引き金になって、急に眠っていた力が呼び覚まされることもなかったし、もちろん選ばれし者ではさらさらなかった。体のどこにも、思わせぶりなかたちをしたキズやアザはなかった。何事にも才能を発揮せず、こんな運命ぼくが選んだわけじゃないとドラマティックに騒ぎ立てもしなかった。老夫婦に心を開かず、孤独な胸の内を明かさなかった。ぼくの父さんと母さんはあなたたちだと老夫婦の胸に飛び込んだりもしなかった。少年はただ、適度にそこにいた。肉体的にも、精神的にも成長しなかった。何より、出ていかないということが大切なことだった。どこにもいかないということが。
何年かたった頃、この家にはじめて招き入れてもらったときに座ったイスに少年を座らせると、老夫婦は穏やかな表情でこう言った。
「あんたの誠意はよくわかったわ、今日までありがとう」
「おまえさんのおかげで、わしらの少年のイメージは変わった。もう悲しまんで生きていくから安心しておくれ」
少年は静かにうなずいた。
「わかりました」
老夫婦は少年を抱きしめたが、少年はぎゅっと抱きしめ返さなかった。しかし、少年の意図するところは、二人にはちゃんと伝わっていた。
次の日、少年はその村を去った。
少年は歩き続けた。まだ仕事は終わったわけではない。少年は、いたるところであの老夫婦に絵はがきを出し、近況を知らせた。そうインプットされている少年にとっては、たいして面倒なことではなかった。
少年の旅は続いた。ある日、戦争をしている町にたどり着いた。独自に開発された戦闘機らしき乗り物の陰に、悲しそうな目をした少女が座り込んでいることに少年は気づいた。少年が横に座ると、少女はそっと語り出す。
「気がついたら、わたしのほうが戦ってるの。毎回、彼じゃなくて、彼のサポートについたわたしのほうがけがをするの。わたしが少年を守るはめになるの。しかも、少年は急に大胆な行動に出るからすごく迷惑する。少年のまわりでばたばたと人が死んでいくのに、彼だけは絶対死なないの。わたしがけがをするたびに、ものすごく謝ってくるんだけど、それだけなの。根本的に変わらないし、なんかもう疲れちゃった」
少年は静かにうなずいた。
その日から、少年は戦いに参加した。少年はもろさや弱さを決して露呈せず、どんな場面にも萎縮しなかった。戦場の悲惨さを無表情に見つめた。どんな無茶な行動も取らなかったし、奇抜なアイデアも思いつかなかった。そつなく戦闘に参加し、決して英雄的な行為はせず、死ぬ人は死ぬに任せた。ただ、少年のせいで命を落とす人は誰一人としていなかった。誰にも迷惑をかけず、誰にも助けてもらわなかった。大きく出もしなかったし、小さく出もしなかった。
何年かたった頃、戦争はまだ終わる気配を見せなかったが、少女は戦闘機らしき乗り物の陰で少年に言った。
「あなたのおかげで、少年らしくない少年がいることがわかったわ。わたし、もう大丈夫よ」
少年は静かにうなずいた。
次の日、少年はその町から去った。
少年は旅を続けた。どの村でも、少年は悪名高き存在だった。はじめは優しかった人たちが、少年が名前を告げると、手のひらを返したように冷たい態度を見せ、少年にされた仕打ちを悲しい顔で語り出す。少年は人々の話に耳を傾け、彼らに寄り添い続けた。少年は一つの村や町で最低でも何年か過ごすことになり、ときには何十年も必要な場合もあったが、メカである少年にとっては、たいして大変なことではなかった。
今日も少年は歩く。少年に傷つけられた人間たちの心のケアのため開発された、少年という名前のメカは今日も旅の途中だ。特許出願中。