探求 論理国語 付属教材・資料見本
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単元の包関括わ的る点なでね「実ら社い会」とと位も関置連づしてけい、くだ学ろ習う︒する教材の構成と特徴を示しました。ご授業に当たっての基本方針を立てる際などにご覧ください。単元のねらい単元の構成単元のねらい・と単は元︑の右の構「成論理国語」の「目標」に直結し︑生徒の生活に深く平成三十年告示の「高等学校学習指導要領」では︑国語における文章を︑論理的な文章︑実用的な文章︑そして文学的な文章の三つに分類している︒これについては今後も議論の余地があるものと言えるが︑本教科書「論理国語」はその分類を反映しており︑その分類のうちの前者二つを扱う︒大まかに言えば︑従来の「現代文B」から「文学」︵小説・随想・詩歌︶をマイナスし︑実用的な文章の要素を大きくしたものが︑「論理国語」で扱うべき対象になり︑いわゆる「評論」が主要な要素になる︒その「論理国語」で掲げられる「目標」は三つで︑それは以下のようにまとめられる︒すなわち︑実社会に必要な国語の知識や技能を身に付けつつ︑論理的︑批判的︑かつ創造的に考える力を伸ばし︑言葉を通して他者や社会と関わろうとする態度を養う︑ということである︒キーワードになるのは︑「実社会」︑「論理︑批判︑創造」︑そして「他者や社会との関わり」などであろう︒さて︑本単元は︑「論理国語」の中の最初の評論単元であり︑「目次」に示したように「つながりの中で」としてまとめられる二つの評論を配した︒これは下段で述べるような基礎的な論理展開がなされる点もあるが︑何より︑人どうしとのつながりを考えること自体が︑生徒にとってもっとも身近なテーマであるからだ︒そもそも人である以上︑その関心は自分を含めた人にまず向かい︑さらに青年期の彼らにとって︑社会の中の一員として多様な人とつながることが大きな課題になる︒したがって︑本教科書の「評論」のまず第一歩として︑「他者や社会とのつながり」を考えるこ本単元で配したのは︑まず評論として︑長谷川眞理子の「チンパンジーは『おせっかい』をしない」と︑鷲田清一の「いのちは誰のものか?」であり︑後者のテーマの深化を求めて︑江國香織の小説「晴れた空の下で」を加えた︒このうち︑「チンパンジーは『おせっかい』をしない」では︑冒頭間もなく「では『共感』とは何だろうか? 進化したのだろう?」という疑問が示される︒また︑「いのちは誰のものか?」は︑このタイトル自体が疑問形であり︑冒頭も「からだ」と「いのち」が「誰のものか?」である︒つまり︑それぞれの評論は課題として取り上げるテーマを明記しているのであり︑我々読者は︑それに従って︑これらの疑問に対する回答を筆者と共に考えながら読み進めることになる︒こうした疑問の提示とそれを受けての考察という形は︑評論読解の基本であり︑教科書最初の評論単元としてふさわしいものであろう︒ただし︑両評論ともに︑その回答を考察した後に︑さらなる展      1開がある︒「チンパンジーは『おせっかい』をしない」では︑「共感」の分類はすぐに説明されるが︑「共感」することによってヒトができることへと話題が展開する︒「いのちは誰のものか?」でも︑それが自分だけのものではないことを前半で説明したうえで︑所有という観念を軸に︑人の身体と生命︑すなわちその存在のあり方についての考察がなされる︒前者は脳科学や人類学の知見が加わり︑後者はいわば哲学の典型のような考察である点で対照的だが︑この展開を通して︑他者とのつながりの中の自己を見つめ直したい︒そのうえで「晴れた空の下で」を読み︑一つの具体的なストーリーの中で︑そうしたつながりを確認したい︒それは︑どこからチンパンジーは「おせっかい」をしないいのちは誰のものか?〈知〉の深化 晴れた空の下で評論Ⅰ

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