探求 論理国語 付属教材・資料見本
26/67

教材に関しての、選択式問題の設問例をご用意いたしま選択問題】次の文章を読んで、後の問いに答えよ。(配点文化とは、芸術・芸能・哲学・思想・道徳・宗教・祭祀など人間の精神的活動の所産のことで、当然科学も文化の一つである。少なくとも十九世紀半ばまで科学は自然哲学であり、自然が投げかける謎に挑戦する純粋な文化の営みであった。二十世紀に入って科学の原理が技術に生かされるようになり、科学は文化という枠を超えて物質的所産である文明の建設にいそしむようになった。科学は制度化・軍事化・技術化・商業化を通じて変容したのである。それによって、国家というスポンサーの意向を斟酌するようになり、軍事体制に組み込まれ、生産に役立つことがaショウレイされ、知的財産を蓄積すべく運命づけられた。これらが課している限界(言葉を換えれば大きな期待)によって、①「好奇心の趣くまま」の自由を楽しんでいた科学は息苦しい状態になりつつある。私は、科学が再び文化のみに寄与する営みを取り戻すべきと考えている。壁に飾られたピカソの絵のように、なければないで済ませられるが、そこにあれば楽しい、なければ何か心の空白を感じてしまう、そんな「無用の用」としての科学である。世の中に役立とうというような野心を捨て、自然と戯れながら自然の偉大さを学んでいく科学でよいのではないだろうか。〕、経済一辺倒の現代社会では、そんな原初的な科学は許されない。社会もムダと思われるものに金を投ずるのを忌避するからだ。BA〔【らならないムダも多いだろう。〔それが「役に立つ」科学とならねばならない要因で、科学者もセールスマンのように次々目新しい商品を用意して社会の要求に迎合していかねばならなくなる。それを逆手に取って、あたかも世の中を牛耳っているかのように尊大に振る舞う科学者すら登場するようになった。それでいいのかと改めて考え直してみる必要がある。確かに科学には金がかかり、それには社会の支持が欠かせない。「無用の用」にす世界観を一変させ、社会のありように大きな変化をもたらしてきた。社会への見返りとは、②そのような概念や思想を提供する役目にあるのではないか。それは万に一つくらいの確率であるかもしれないが、科学の営み抜きにしては起こりえないコウbケンである。今必要なのは、「文化としての科学」を広く市民に伝えることであり、科学の楽しみを市民とともに共有することである。実際、本当のところ市民は「役に立つ科学」ではなく、「役に立たないけれど知的なスリルを味わえる科学」を求めている。市民も知的冒険をしたいのだ。それは「はやぶさ」の人気、日食や月食や流星群に注がれる目、ヒッグス粒子発見のcソウドウなどを見ればわかる。そこに共通する要素は、「物語」があるという点だ。③科学は冷徹な真理を追い求めているのには相違ないが、その道筋は「物語」に満ちている。科学の行為は科学者という人間の営みだから、そこには数多くのエピソードがあり、成功も失敗もある。それらも一緒に紡ぎ合わせることによって「文化としての科学」が豊かになっていくのではないだろうか。それが結果的に市民に勇気や喜びを与えると信じている。選択問題〕、ときに科学は世界の見方を変える大きな力を秘めている。事実、科学はその力によって自然観や2450点)しワたー(ド記・述P式D問F題〉はの26三ペつーのジ形参式照で)ご。用デ意ーしタてはい〈ま一す太。郎・■■評論解析A「科学と市民」■

元のページ  ../index.html#26

このブックを見る