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教材研究や授業研究に役立つ図書を掲げました。参考図書鴻門之会史伝Ⅱ参考図書曹■■無■傷■■を誅■■す。項■■羽■遂■■に西■■し、咸■■陽■■の秦■■の宮■■■室■■を■■焼■■て、解■きて帰■■ることを得■たり。帰■■りて、立■ちどころにす。過■ぐる所■■■、残■■破■せざるは無■し。秦■■人■■大■■いに望■■みを 失■■ふ。然■■れども恐■■れて敢■へて服■■せずんばあらざるのみ。〈現代語訳〉●公の左司馬の曹無傷が、項王が怒って、●公を攻めようとしていると聞いて、人をやって項羽に、■●公は関中の王となろうとして、秦王の子嬰を宰相とし、秦の財宝をことごとく手に入れています■と言わせた。項羽に取り入って、侯に封じられたいと思ったのだろう。亜父も、項羽に●公を撃つことを勧めた。そこで項羽は士気を盛んにし、翌早朝を期して合戦しようとした。この時、項羽の兵は四十万で、百万と称した。●公の兵は十万で、二十万と称した。兵力では、●公は項羽の敵ではなかった。ちょうど項伯が、友人の張良を助けたいと思い、その夜出かけていって張良に会ったことがきっかけで、●公が書状で項羽を諭すことになった。そこで項羽は●公を攻撃することを取りやめた。●公は百騎余りを従えて、馳せて鴻門に行き、項羽に会見して謝罪した。項羽が言うには、■これは●公の左司馬曹無傷が言ったことのためなのだ。そうでなければ、どうして私、籍があなたを攻撃するようなことになろうか■と。●公は、樊噲と張良のおかげで危難を解いて無事に帰ることができた。帰ると、立ちどころに曹無傷を処刑した。項羽は、ついに西に軍を進めて、咸陽の秦の宮殿を焼き払って壊滅させた。項羽の軍が通り過ぎる所、破壊し尽くされないものはなかった。秦の人々は大いに失望したが、項羽を恐れて、だれ一人服従しない者はいなかった。・貝塚茂樹■史記■(昭38・中公新書)・林秀一■新釈漢文大系 書院)・野口定男ほか■中国古典文学大系 下■(昭43・平凡社)・小川環樹ほか■世界古典文学全集 ・小竹文夫・小竹武夫■筑摩世界文学大系 Ⅱ■(昭46・筑摩書房)・武田泰淳■司馬遷■(昭47・講談社文庫)・一海知義■中国詩文選7 ・■漢文大系 史記列伝 上・下■(昭48・冨山房)・吉田賢抗・水沢利忠■新釈漢文大系 (昭48〜平8・明治書院)・小川環樹・今鷹真・福島吉彦■史記列伝 (昭50・岩波文庫)・青木五郎■史記・十八史略■(昭51・文研出版)・田中謙二・一海知義■中国古典選 (昭53・朝日文庫)・加地伸行■史記■(昭53・講談社現代新書)・宮崎市定■史記を語る■(昭54・岩波新書)・野口定男■史記を読む■(昭55・研文出版)・小川環樹・今鷹真・福島吉彦■史記 下■(昭55〜平3・岩波文庫)・小竹文夫・小竹武夫■史記 学芸文庫)・平勢隆郎■新編史記東周年表―中国古代紀年の研究教科書(五三〜六三)十八史略 上■(昭42・明治史記 上・中・史記列伝■(昭史記 Ⅰ・史記■(昭48・筑摩書房)史記 一〜十■一〜五■史記 一〜五■世家 上・中・1〜8■(平7・ちくま序章■(平7・東京大学出版会)・青木五郎・中村嘉弘■史記の事典■(平14・大修館書店)・平勢隆郎■史記の■正統■■(平19・講談社学術文庫)・宮崎市定■史記列伝抄■(平23・国書刊行会)・福島正■ビギナーズ・クラシックス 記■(平22・角川ソフィア文庫)中国の古典 6944・筑摩書房)  史■■■

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