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六三ページ板書例表れているか。*    問答  范自増分のの人判物断像力を・ま洞と察め力よに。自信があり、先見の明が●まとめのポイント9 9 豎子不足与謀 ■不足■与■豎子謀■9 豎子 ■豎■は、■子ども・小者・しもべ■な2 鴻門之会9   ◆1 「抜剣撞而破之」には、亜父のどういう気持ちが●参考〈鴻門の会前後の略年譜〉史伝Ⅱ  豎           王    「白璧一双」を座席の上に置く︒范増    「玉斗一双」を地面に置き︑剣で突き砕く︒「豎子」という罵り︒ ︵後に︑陳平に不和を画策され決別する伏線︶六二ページ= ︵張良の弁明を受け入れ︶=︵項王の甘さを見抜き︶は足りず打ち砕くほどの悔しさと怒りを表す。  項王は、●公が函谷関を封鎖して自分の軍を入れようとしないことに怒り、また曹無傷に●公が咸陽の財宝や婦女を我がものにしようとしていると告げられたことから、●公を撃つ決意をする。しかし范増は、●公が財宝や婦女に手をつけずに軍を覇上に引き返したことからその志の大なることを見抜き、●公が項王にとって恐ろしい敵となると考えたからこそ、一貫して●公を殺そうとする態度をとってきた。それにもかかわらず結局は●公を逃がしてしまう結果に終わり、范増の怒りは頂点に達するのである。  老いてなお軍師として活躍した范増の激しい気性と鋭い判断力を彷彿とさせる場面である。唉 ■唉、…■は、■嗚呼、…■などと同様、文頭に感動詞を用いて喜怒哀楽の感情を表す詠嘆の表現。ここでは、いまいましいことに対する嘆きの感情を表す。子■が倒置されて文頭に出た形。■不足■…[ ■■]■■は■…することができない・…するに値しない■の意。■与■は■ともニ■と読み■一緒に■の意。どの意。■豎子■にも子授ど業もの展意開が例あるが、ここでは年若い者や未熟な者を卑しんでいう言葉で、 ■小僧・青二才・あいつ■ほど一の時意で限あごる。と人のを授業展開例をす。、懐原王を則義見帝と開しき、●二公ペを漢ー中ジ王罵る際に用いる同様の表現とでし見てやは、す■豎く儒示■しました。発に封問ず例。十や月板、項書王例、義を帝豊を暗富殺に。(特に儒者を罵っていう言葉示で、し愚てか者おのり意)、、実際のご授業●公の挙イ兵しメ、ー漢楚ジのを抗争描始きまるや。す■孺子■(小僧、若造の意)ないど紙があ面る構。こ成ことでな っ前て二い〇二 ます 十二。月、項王、烏江で敗死。●公帝は、暗に項王を指していると考えられるが、直■。■の■接には項荘の失敗をなじり、暗に項王の消極さを諷するものとする説もある。なお、●公の■謾罵■(人をののしる言い方)も、■史記■の■韓信盧綰列伝■の中に見えている。上謾罵■曰■■、■豎子能■為■将乎■。■(天子〔高祖〕は横柄な態度で口汚く言った、■小僧ども、それで大将が務められるか。■と。)立 ただちに。前二一〇  七月、始皇帝、巡行先の沙丘にて死す。胡亥が二世皇帝として即位。前二〇九  陳勝・呉広の乱起こる。項梁・項王、●公らも呼応して挙兵。十二月、陳勝、殺される。前二〇八  項梁、楚の懐王の孫の心を擁立、懐王とする。項梁、秦の章邯に敗死。前二〇七  趙高、胡亥を殺し、子嬰を三世皇帝に擁立。項王、秦の本隊を鉅鹿で破る。子嬰、趙高を殺す。前二〇六  十月、●公、咸陽を占領、子嬰が降伏し、秦滅亡。十二月、項王、関中に入る。項王・●公、鴻門に会す。項王、子嬰を殺し、咸陽を■る。前二〇五  一月、項王自立して西楚の覇王と称位に即く。教科書(五三〜六三)  答項 項王と范増との確執。  答 ●公を殺す絶好の機会を得ながら、むざむざと逃してしまったことに対する悔しさと、この機会を逃しながら、悠長に白璧を受け取っている項王の甘さに対する激しい怒りの気持ち。▽終始一貫発問例 読解のポイントしを押さえられる発問と、て●その解答を示しました。公を殺そうとしてきたが、ついに万策尽きての激怒である。(→「語句と文法の解説」)ある知略家。一方、気性が激しく、寛容さがない。4 「鴻門之会」の本文全体からうかがえる項王と沛公の人物像をまとめる︒項王と●公のやりとり、またそれぞれの臣下とのやりとりを改めて確認しながら、項王と●公の人物像について考える。(→「㈤学習の手引き・読解2」)   ︿結果﹀  ︿確執﹀63

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