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五四ページ五四ページ2 将軍戦河北、臣戦1 1 自意 1 能/得 2 今者 2 小人之言、令 有    不 至 不 言 将軍与3 4 4 4 4 臣有鴻門之会一時限ごとの授業展開例を、原則見開き二ページ史伝Ⅱ授業展開例   「沛公が関中の王たらんとし︑項王に背く意志がある︒」と︑曹無傷に伝えられることがなかったならば︑          沛公への攻撃を命じたこと︒不 然︑籍何以至 此︒黄河を指す。項王は黄河河南を 渡で示■っ見し河て■北やては上すお、し一、くり般鉅示、に鹿し実ま際3 (しの→曹「たご無㈠傷 。授句形発業楚1の問の」)●例イ公のやメ左板ー司馬書ジ(例を軍事を描を豊きつか富やさにすどで章■■■邯■■の率いる秦の本隊をい打ち紙破面った構。さ成らとになっるて官い)。ま曹無す傷。の讒言については、教科書採録部南下して新安城で降卒二十余万人を穴埋めにした後、●公の軍が守る函谷関を攻撃して進軍、鴻門に駐屯した。●公の軍は黄河を南下し、南陽の太守を降伏させて諸侯に封ずるなどしながら西進、南の関所の武関を破り、諸将に先立って覇上に達し、あっさりと咸陽を落としてしまった。■高祖本紀■には、楚の懐王の老将たちが、勇猛残虐な項王よりも寛大な有徳の長者である●公を西に向かわせて、義によって人心を収めながら関中に入る策を進めたことが両軍の進路を決める要因になったと記されている。然 ここでは、文脈から■しかレドモ■と逆接で読む。自分では思ってもみなかった。■意■は、ここでは、■予想する・推量する■の意。この発言からも、●公がかなりの低姿勢で項王との会見に臨んでいることがわかる。ともに可能(…できる)を表すが、■能■は何かをなしうる能力がある、■得■は機会があってできる意。二字で■いま■と読む。■者■が時を表す語に付く例として、ほかに■昔者■(むかし)、■古者■(いにしへ)などがある。形で、■小人之言■が、将軍(項王)と自分(●公)を仲たがいさせようとしている、ということ。● 使役の句分の前に、●公が関中の王たらんと欲していること、秦王の子嬰を宰相にしようとしていること、さらに秦の財宝をことごとく所有していることなどを、人を通じて項王に告げていたことが記されている。之 ■之■は●公に関する讒言を指すが、語調を整えて強調する形式目的語とも取れる。然 そうでなければ。■然■は、●公の部下である曹無傷が、●公が関中の王となる野望と項王に背く意を持っていると、人づてに伝えてきたこと。(→「㈠句形2」)籍 項羽の名。名は、一般的に自分が自ら称するものである。父母やそれに準ずる立場の人、かなり目上の人だけが、その人を呼ぶ際に使うことができた。関する反語。■どうして…だろうか、いや、…ない■の意。(→「㈠句形2」)此 ■此■は、●公を討つため板書例 実際の板書にお役の攻立ていただける例を示しま撃した。命令を下したこと。教科書(五三〜六三)何以 ■何以…■は原因・理由や方法・手段に板書例 ︹「鴻門之会」に至るまでの経緯︺ 項梁は、自ら率いる本隊●展開のポイント2  問 「小人之言」とは、誰のどのような言葉と考えられるか。と、●公らがそれぞれ率いる別動隊とに分けて秦を討とうとするが、自身が秦の本隊に敗れて死んでしまう。項梁に担ぎ上げられていた楚の懐王は、本隊の宋義・項王、別動隊の●公らの諸将を前に、最初に咸陽に入城した者を関中の王にすると約束。項王が鉅鹿で激しい戦いの末に秦軍を打ち破る間、●公は勢力拡張を図りつつ進軍し、あっさりと咸陽を陥落させてしまった。遅れて来た項王の軍勢は四十万、●公の側は十万と圧倒的に項王優勢だったため、范増は●公討滅を主張し、項王も全軍に攻撃を命じた。しかし、これを知った項伯が、昔恩義を受けた張良にこのことを告げたため、●公にとりなしを懇願2  ■見ントとなる訓読を押さえる。(→「語句と文法の解説」)3   答 ●公の左司馬である曹無傷の、■●公が関中の王たらんとしている。■という言葉。▽■小人■は、■取るに足りないつまらぬ者■の意。項王は、その人物が●公の左司馬、曹無傷であると口を滑らせてしまう。項王■(五三・1)、■今者■(五四・2)など、ポイ前半︵~五四・4︶の語句の確認と現代語訳をし︑さ「れ小斉、人読鴻之・門言各発問例 読解のポイントをで」自のの押さえられる発問と、そのの会内音解答を示しました。見容読がをな催理どさ解をれす繰るるりこ︒返としと︑な正っしたく。訓読する︒57

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