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5 山の頂にゐて 6 ながめける歌 6 さすがに 「そうはいってもやはり」の意で︑6 おぼつかなかりければ 6 みそかに 7 うちながめて 8 いふなり 比較で深める 夜もすがら月を見て、ながめける歌8 8 6     問答   「をなばが︒めける歌なり」は、誰が詠んだ「歌」か。6     う問答  な「「とさ子こす」ろががか「にらを」生ばはじ」、てをどいだんるまなのしこかてと︑山を考に受え登けるらて︒せい板書例 実際の板書にお役てる︑か立ていただける例を示しま逃。げした。て7     問答  「を泣ばき︒をりける」のは誰か。一時限ごとの授業展開例を、原則見開き二ページ「大和物語」特定せず男が連れて帰る記載なし●まとめのポイント板書例↓(「深める手がかり」)古文入門物語と日記  男姪男姪男授業展開例二つの作品の相違点をまとめ︑その相違点がどのよ「俊頼髄脳」八月十五夜をば記載なし記載ありをだまして山に登前ら文せ︑「た︑逃とで示いげいて見し紙う帰事やて面り実にすお構のけみくり成りが︒と示、」書し実なま際っ8 り判のして︒そ断」ごたい︵のし四さ授。まが八き た業発す・い「2の問。さが︶き︑「例イと」呼姨やメは応捨︑板ーす「山る以書ジと部前い例を分」︒へな「を描るの姨豊き山で捨あ断山富やる定とにす︒な名かれている︒は「子」の動作であるから︑この部分の主語は「をば」︒「ゐる」は︑「座る」︒したがって歌を詠んだのは「をば」と︑ここも「大和物語」とは異なるところ︒この「ながめ︵む︶」は︑「眺め︵む︶」で︑「もの思いにふけりながら見る」︒「子」が「この母をばすかしのぼせて︑逃げて帰」ったがやはり︒し」は︑対象がはっきりせずにつかみどころがない状態を表す︒①ぼうっとしている︑②意味がはっきりしない︑③頼りない︒ここから派生して︑④気にかかる︑心配だ︑さらに転じて⑤待ち遠しい︑⑥怪しい︒ここは④︒山に置いて戻ったはいいが︑やはり気になったのである︒漢字を当てれば「密かに」︒「人目を忍んでひそかにするさま」︒そっと「をば」の様子を見たのである︒「ひそかなり」が漢文訓読語に対して「みそかなり」は和語︒この「ながめ︵む︶」は︑「ながめける歌」︵四八・6︶の「ながむ」と異なり︑「詠なが︵め︶む」で︑「歌を口ずさむ」︒主語は「をば」︒「聞きければ」の「聞き」の主語は「子」で︑接続助詞「ば」があって主語が替わる︒この「なり」も︑「いふ」が四段なので終止形か連体形か︑つまりは断定か伝聞か形容詞「おぼつかな其そたのノで山やまあヲろバう其それ︒ヨなリおナ︑ム「姨を今母ば昔棄す物て山や語まト集云い」ひにケもル「︒︵然さテ中似にタリケル︑トゾ語かたリ伝つたヘタルトヤ︒」とある︒づけられた以前は」の意︒り・こうぶり︶山ともいい︑更級山とも呼ばれている︒後に「冠山」が転じて︑現在は冠かむ着りき山やまと呼ばれている︒「中世末から近世にかけて俳句が盛んになると︑姨捨山は現在の国マ鉄マ篠ノ井線姨捨駅付近をさすようになるが︑本来は冠着山が姨捨山であったとされる︒」︵『日本歴史地名大系長野県の地名』平凡社︶︒「平安期の古典の記述は現在の冠着山を指しているとみるのが有力︒」︵『角川日本地名大辞典20長野』角川書店︶︒物語」にはない記述︒山容が「兜形の特徴ある円頂」︵『角川日本地名大辞典20長野』角川書店︶︒を持つ山ゆえに︑「冠の巾子」という比喩を用い略︶其そノ前まへニハか冠うぶり山やまトゾ云いひケル︒か冠うぶりノ巾こ子じニこの記述について︑野口博久は「『今昔』のこの説話が︑『俊頼髄脳』の影響下に成立したことを示している︒」︵「歌論書と説話文学︱︱『俊頼髄脳』の説話の伝承をめぐって︱︱」『日本の説話第4集』所収︶と述べるなど︑「今昔物語集」が「俊頼髄脳」を出典の一つとしていることは定説化している︒教科書(四八〜四九)かぶり山とぞ申しける 冠の巾子のやうに似たりけるとかや 「大和た︑「男」の妻が︑「をば」の腰が曲がったのを憎んで悪口を「男」に言ったため世話もおろそかになり︑あげく︑妻にそそのかされて︑ありがたい法会があるとだまして連れ出しているが︑「俊頼髄脳」にはない︒古くは冠︵かんむ▽「大和物語」では︑山に置いてきた「をば」が気になったため︑「男」が山に登って歌を詠んだ︒帰ってきたこと︒▽歌を詠んだ後は︑「大和物語」では「男」が「をば」を連れて家に戻るが︑「俊頼髄脳」には記載がない︒3 「をば」が育てた人物「をば」を捨てた人物時の設定歌を詠んだ人物「をば」を捨てた後山の名の由来41

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