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学習目標〈導入〉〈展開〉〈まとめ〉【評価の観「点い教】 学材て知習︙には知活識つ、〈学動・い技習」導能活て「︑入動話、指*︙〉〈授目導話業す時上安展・に聞とのお開くけ能留なる〉〈力評︑意る価書ま場配点︙面と書を当」く設めを能時定力す〉示︑数る読しに際と︙にま読分は、む︑しけ能時左指力記たて間︑導の主学。「お上ご習︙の活主示と学動体留しか的の「習意らにし点適学活学宜習た選に動習択取う」さり目れ組えにたむ標つでい態」︒度、構成・内容1出典解説 書 名   作者と成立比較で深める夜もすがら月を見て、ながめける歌教科書(四八〜四九)1.「大和物に語」役の立内容つを【復習評す価る︒の主観点】を示しま2しプ.た同リン様。トの授内など容業でを展概持要つ開歌をの示や物す全︒語体が複像数が存在つ2.脚注を参か考めにしまなすがら。現代語訳する︒その際︑二つの作品の相違点に注意する︒︵適宜︑語句・文法事項を確認する︒︶知・読・主3.二つの作品の相違点をまとめ︑その相違点がどのようなところから生じているのかを考える︒読源俊頼は宇多源氏の出で︑一〇五五︵天喜3︶年源経信と源貞亮の娘との間に三男として誕生したと考えられている︒十代の頃︑一時橘俊綱の養子となった︒一一〇五︵長治2︶年木も工くの権ごんの守かみ︑一一〇六︵嘉承元︶年従四位上に任官︒一一一一︵天永2︶年木工権守を辞して散位のまま晩年を過ごし︑一一二九︵大治4︶年に七十四歳で没したという︒子の俊恵も歌人として著名︒幼児より父経信の指導を受けて多くの歌会に参加し︑しだいに頭角を現し︑父の没後は歌合の判者としても力量を発揮し︑当時の歌壇の指導者的地位に就いた︒素材・用語・表現などに新味を求め︑自由で率日記物語と1.「大和物語」との相違点を読み取る︒2.相違点がどのようなところから生じているのか考える︒3.物語の発生や伝播について考える︒学習指導計画表それぞれの学習活動に対して、授1業.「時大に和物お語け」をる学評習し価て場い面ないの場設合は定︑1出典解説…教材ごとに筆者(作者)や出典に関する詳しい解説を掲げました。することを指摘しておく︒3.二つの作品に相違点があることを事前に指摘したうえで読解を行い︑「古典世界ワイドビュー んで確認する︒学習状況によっては先に「ワイドビュー」を読んでもよい︒持つ藤原基俊と鋭く対立した︒■堀河百首■や■永久百首■の作者として知られ︑■俊頼髄脳■は歌学書の先駆となった︒白河法皇の院宣を奉じて単独で撰進した■金葉和歌集■は︑特色ある勅撰集として注目される︒ ■俊頼髄脳■は︑関白藤原忠実の依頼で︑その女の勲子︵後に鳥羽院皇后︑高かやの陽院いん︶のために作歌の手引きとして著したもので︑一一一一︵天永2︶年から一一一五︵永久3︶年の間に成立したと考えられている︒歌論書︒二巻︒源俊頼著︒いわゆる■歌学書■で︑歌②詠み人知らず」を読関連する教材と直のに風間物でを詠読じみ︑高比いべ調べをに行よるう清こ新なと革が新で的歌き風るを教 材について、「打比ち較立てで︑深情趣めのる落ち」着ペいたー伝ジ統重を視設の保け守て的傾い向まをす。作に必要な種々の知識を集成してあるが︑雑然とした二つの教材の関連性と相違点を把握することなどを通じて、読解を深めることができます。●■俊頼髄脳■源俊頼の書いた髄脳︒■髄脳■とは経書や歌などの語釈・法則・奥義を記した書物︒書名は伝本によって種々のものがあり︵■俊頼口伝■■俊頼無名抄■■俊秘抄■など︶︑はっきりした書名はなかったものと思われる︒全体的に藤原公任の影響の強いことと︑平安末期の歌学書の先駆となったものである比こ較とがで注深目めされるる︒第1時限38比較で深める夜もすがら月を見て、ながめける歌学習指導計画表1時間扱い

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