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3発展…発展的な位置づけとなる解説や資料を豊富に掲げました。3 発展       鑑 賞●大和物語(姨捨)物語と日記有名な「姨捨山伝説」である︒男は妻に責め立てられて︑自分を育ててくれた伯母を山奥へ捨てに行くが︑その悲しみに耐えきれず︑再び山へ行って伯母を連れ戻る︑という内容である︒男は︑実の親が亡くなっていて︑この伯母が育ての親である︒伯母は男のめんどうを見ていたし︑男も伯母を「年ごろ親のごと養」っていた︒当然︑伯母と男との間柄は親密なものであったといえる︒ところが︑そこに亀裂が生じる︒原因は妻の存在である︒後世の「今昔物語集」では︑この妻を後妻としているが︵↓「参考資料②」︶︑「大和物語」ではどちらかわからない︒ともかく︑妻と姑︑つまり男の伯母との折り合いが悪くなる︒いわゆる「嫁と姑との戦い」であるが︑これは今に始まったことではない︒ところで︑その原因は何であろうか︒本文には「この姑の︑老いかがまりてゐたるを常に憎みつつ︑」とある︒つまり︑年を取って腰が曲がっているのが嫌だというのだ︒もちろん他の要因もあったのかもしれないが︑嫁にとって︑腰の曲がった姑のめんどうを見ることが︑「ところせがりて」となったのだ︒そんな体つきが嫌だと思えば︑何でも嫌になる︒「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではないが︑「をばの御心のさがなく悪しき」とまで感じるようになるのである︒たとえ姑が悪くなくても︑何もかもが不快の対象となる︒今度はそれを夫に告げ口するようになる︒すると男の伯母に対する態度は以前とは変わってしまう︒すっかり「おろかなること」が多くなってしまったのだ︒男も気弱だ︒惚れた弱みとでもいうべきか︒姑はさらに歳を重ねて︑腰は「二重にてゐたり︒」という状態にまでなる︒嫁の思いはエスカレートする︒「今まで死なぬこと」と思うようになる︒なんでまだ生きているのか︑早く死んでしまえ︑ということである︒そして男に悪口を繰り返す︒ついに「持ていまして︑深き山に捨てたうびてよ︒」とまで言うようになる︒およそ人間らしからぬ発言である︒身勝手の極みといわざるをえない︒それも自らは決して手を下さない︒夫にそれをさせるのだ︒そしてとうとう︑男も妻の前に屈することになる︒「責められわびて︑さしてむ」と思うようになってしまう︒そうだ︑女房のいうとおり鑑な賞んだ︑確かに若いときは世話になった︑でも今は違う︑山奥に捨ててしまおう︑ということになる︒月明かりの中︑男は伯母を背負って山奥へ行く︒「嫗ども︑いざ給へ︒寺に尊きわざすなる︑見せたて教科書(四五〜四七)古腹典が立教っ材て妻にのついういとておりはに、した作︒品しかをしよ︑り伯母深がそくば鑑にい賞なすいのるはた悲しめいの︒こ解の説ままを伯掲母がげ死まんしでしたま。っまつらむ︒」と噓をつく︒おそらく︑伯母を山奥に捨てなければならない︑という気持ちでいっぱいであったろう︒とはいえ︑心の奥底には︑背負われて法会に向かうものと思い込み喜んでいる伯母に対して︑後ろめたい気持ちもあったと考えられる︒山もずいぶんと登ってきた︒もはや伯母が一人では下りられない高い頂にまでやって来た︒伯母はまさか自分が捨てられるとは思っていない︒男は伯母を残しその場から逃げる︒これでいいんだ︑と思う半面︑伯母を残してきたことへの罪悪感も抱いているはずだ︒一方︑伯母はいったい何が起きたのかとっさにはわからなかったに違いない︒男に声をかける︒男は返事をしない︒おそらく振り返ることもなかっただろう︒振り向けば︑未練が生じる︒伯母を助けることになるだろう︒しかしそれをしたらどうなるか︒また女房に責め立てられるに決まっているし︑合わせる顔がない︒しかし︑男は家に戻って冷静になる︒あれこれと考えてみるのである︒子どもの頃のこと︑あれだけ世話になったではないか︒それなのにあんなことをして本当によかったのか︒妻から伯母のことを聞き︑一時はたら︙︙︒自省︑後悔︒男の心は千々に乱れる︒空に35

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