探求 古典探究 付属教材・資料見本
33/84

板書例7  問 「いらへもせで、」とあるが、なぜ男は返事をしなかったのか。9   「かくしつれど、」とあるが、どのようにしたのか。よ。●まとめのポイント*  問 「いらへもせで、」伯母を捨てに行って板書例 実際の板書にお役から立ていただける例を示しま連した。れ戻るまでの男の心情をまとめよ。板書例大和物語(姨捨)物語と日記山の上の月=本来は心を慰めるもの︒ ←  ← ←   ●伯母が思い出され︑心が慰められない︒伯母を山奥に置いて︑逃げ帰る=罪悪感・未練月を見て     伯母を連れ戻る  母を背負っていく=捨てることに無我夢中+後ろめたさ・ためらい=後悔・悲しみ=安堵詞「寝ぬ」とともに「寝の寝らえぬに︵寝ることができないでいると︶」「寝を寝ぬ︵寝る︶」「寝も寝ず︵寝もしない︶」などの形で用授いら業れ展る開︒「例られ」は可能の助動詞「らる」の未然形︒私の心を慰めること一はで時き限なごと過のぐ授す姨業捨展の山開の例端はつをら、きも原の則にぞ見あ開りけきる二」くなってしまった︑更級の姨捨山に照ペる月ーをジ見で見︵「や後す撰和く歌示集」し恋ま一・し詠たみ人。知発らず問︶︑例「月や見板てていると︒「慰めかねつ」の「慰む」は書下二例段を活豊富はに誰示も心しぞて慰おまぬり姨、捨山実の際ふのもとごな授らね業どの」で︑「︙することができない」意を表す動詞を作る︒「更級や」の「や」は間投助詞で詠嘆の意︒「姨捨山」は古くから「姨捨山田毎の月」と呼ばれて︑観月の名所でもある︒この歌は「古今和歌集」雑上︑「古今和歌六帖」などにも収められている︒また後の︑「俊頼髄脳」や「今昔物語集」に︑同趣旨の話が収録されており︑「俊頼髄脳」では︑伯母がこの歌を詠んだことになっている︒では︑男が「姨捨山」と命名したことになっており︑地名語源説話の形態をとっている︒「︵姨捨山を引き合いに出して︶慰めがたいというのは︑このことがいわれであったのだ︒」の意︒この話「これ」は︑この段の内容︑すなわち男が伯母を山奥に捨ててきたことを指す︒男がこの歌を詠んだことから「姨捨山」と「慰め難し」が結び付いたという説明だが︑「来むと言ひし月日を多い︒また︑「枕草子」にも︑「『なにか︑猶なほこの世はさらにさらにえ思ひすつまじと︑命さへ惜しくなんなる』と申せば︑『いみじくはかなきことにもなぐさむなるかな︒姨捨山の月は︑いかなる人の見けるにか』など笑はせたまふ」とあり︑「源氏物語」︵宿木︶にも︑「慰めむことを思ふに︑さらに姨捨山の月のみ澄みのぼりて︑夜更くるままに︑よろづ思ひ乱れたまふ」とある︒ただ︑「小町集」の「あやしくもなぐさめがたき心かな姨捨山の月も見なくに」や︑「伊勢集」の「更級の姨捨山の有明のつきずもものの思ほゆるかな」のように︑「姨捨山」が「慰め難し」と結び付いたものは︑「大和物語」成立以前にもあり︑姨捨伝説が「大和物語」以前に流布していたことは明らかである︒すなわち︑まず姨捨伝説があり︑それを踏まえた「古今和歌集」のよみ人知らずの歌があって︑さらに何人かの歌人によって歌い継がれたものが︑この物語の歌を誕生させたと考えられる︒教科書(四五〜四七)い気持ち︶︒  答 なまじ返事をすれば︑未練が生じて伯母を助けることになるだろうし︑そうなると︑妻にどう説明してよいか困るだろうと考えたため︒◆2答   ▽指示副詞「かく」は︑「高き山の峰の︑下り来べくもあらぬに︑置きて逃げて来ぬ︒」︵四六・5︶を指す︒  答 長年一緒に暮らしてきた伯母を山奥に一人置き去りにするという非情な行いを後悔し︑罪悪感に責められてどうにもならず苦しむ気持ち︒2   答伯 「板書例」参照︒伯母を山奥に置いてきた︒伯母を連れ戻るまでの男の心情をまとめる︒13   問 「わが心慰めかねつ」における男の気持ちを説明せ←        3115  慰め難しとは、これが由になむありける 14  それより後なむ、姨捨山といひける るの用」の意の場︒意合四︒は段「他活か動用ぬ詞の」はで場動︑合「詞は自の自分連動の用詞心形でをに︑「楽付し心まイくまが接メすせ晴尾るー。れ語」ジを︵「の描後「き拾姨遺捨や和山す歌=集慰い」め雑紙難一し面・」藤構の原形成範式永とを︶の踏なよまっうえにたて︑歌いこは13  「わが心」の歌 

元のページ  ../index.html#33

このブックを見る