探求 古典探究 付属教材・資料見本
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①伊藤博■紫上■源氏物語(若紫との出会い)参考資料物語をしぞ思ふ  初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなくものを思ひけるかなこの後の展開は︑光源氏が僧坊を訪れ︑少女が藤壺宮の姪であることを知り︑後ろ見を申し出るが︑僧都も尼君も少女の幼さゆえにためらう︒秋になって尼君は衰弱がひどくなり︑少女の生い先を案じて自分の死後︑光源氏に託すことにする︒さて︑この巻名の由来は︑紫のゆかりに執心する光源氏の歌「手に摘みていつしかも見む紫のねにかよひける野辺の若草︵手に摘んで何とか早く見たいものだ︒紫草の根につながっていたのであったあの野辺の若草を︒︶」による︒「紫」とは紫草のことで︑その紫︵藤︶色から藤壺宮を指す︒「ね︵根︶にかよひける」とは血縁関係を表しており︑また︑「若草」とは若紫のこと︒ この歌は「紫の一本ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る︵紫草が一本生えているばかりに武蔵野の草はすべて懐かしいと思って見るよ︒︶」︵「古今和歌集」巻十七・雑上・詠み人知らず︶をもとにしたもので︑光源氏の真意は「武蔵野の草すべてを懐かしく感じさせるわずか一本の紫草は自分の心を占めている藤壺宮であり︑その紫草そのものを摘めない自分はゆかりの草︵若紫︶を摘もう︒」というものである︒ 「若紫」巻︑北山の聖のもとに瘧病加療に出かけた十八歳の光源氏によって発見された美少女として︑彼女はまず登場する︒「十ばかりにやあらむと見えて︑白き衣︑山吹などのなれたる著て︑走り来たる女子︑あまた見えつる児どもに似るべうもあらず︑いみじくおひさき見えて︑うつくしげなる容貌なり︒髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして︑顔はいと赤くすりなして立てり︒」古来伊勢物語古京のはらから垣間見の段の影響を指摘されているが︑同時に「紫のゆかり」として長篇的構図の中にがっちりはめこまれている︒「ねびゆかむ様ゆかしき人かな」と目を吸い寄せられた光源氏は︑「さるは︑限なう心をつくし聞ゆる人︵藤壺︶に︑いとよう似奉れるが︑まもらるるなりけり」と思わず落涙を禁じえなかった︒かくて「紫のねに通ひける野べの若草」として登場したこの少女は︑藤壺の兄兵部卿宮の庶子で︑母はすでに亡く祖母尼君のもとで養育されていたのである︒父帝妃にして義母なる人への禁断の恋に悶える光源氏にとって︑この少女の出現は「こよなう物思のまぎらはし」となる︒尼君の死後誘拐同様の手段で二条院に迎え取ることになるのだが︑正妻葵上や六条御息所等身分や格式のよろいをまとった貴女たちの間にあって心の武装を強いられる光源氏にとって︑この若君はかの「気近くらうたげなりし」夕顔と同じく心和ませられる対象であった︒その生い立ちがかれに似て「いふかひなき程にて︑睦じかるべき人に立ち後れ」た孤独な境遇であったことも︑一層親しいものに思えたのである︒ 「おひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき」︱︱故尼君の遺詠であったが︑光参源考氏資料夜・朝顔君あたりが妥当であり︑世人もそのように取教科書(一〇六〜一一一)「母なき娘持たらむ心地して︑ありきも静心なく覚え給ふ」︵「紅葉賀」︶光源氏との奇妙な共同生活がはじまった︒本妻葵上づきの侍女たちはこの噂を聞いてやっかみ半分に女房風情の女と同棲かと取沙汰したが︑そうした世評をよそに紫上はしだいに光源氏になつき︑箏・手習など教えられるままに秀でた素質を示していった︒「見るままに︑いとうつくしげに生ひなりて︑愛敬づき︑らうらうしき心ばへいと殊なり︒飽かぬ所なう︑わが御心のままに教えなさむ︑と思すにかなひぬべし︒」︵「花宴」︶世の荒波から遮断された別天地二条院で︑光源氏の期待にこたえながら紫上は天真らんまんに開花を遂げてゆく︒ 「葵」巻に入って葵上は六条御息所とのすさまじい確執の後︑息を引き取り︑忌にひきこもった光源氏が久々に帰邸してみると︑「火影の御かたはらめ︑頭つきなど︑ただかの心つくし聞ゆる人の御様に違ふ所なくも成り行く」女として成熟した紫上が待っている︒しのび難くなった光源氏はついに新枕を交わすことになるのだが︑これは紫上︵ここではじめて「女君」と呼ばれる︶にとって︑今まで親代わりとのみ信頼してきただけに少なからぬ衝撃であった︒光源氏はなだめるのに苦労したが︑この拗ねようを見て「年頃あはれと思ひ聞えつるは︑片端にもあらざりけり」とよけいいとしさがまさるのである︒だがこの結びつきは︑およそ当時の︿結婚﹀の常識からかけはなれていた︒光源氏の格式からして配偶者としては六条御息所・朧月  ●19は立立若てつ草て︒の見かば君くをやて「」雛う︱遊ち︱びか理にた想熱らの中ひ女すて人る心像まのにだま教いま育わにしけ教よなへうい生と若ふ思紫いしと︑教つ材なりい求の沙めのがで汰てテるあしやてるまー資い︒ぬマ料た根情底︒熱やをにしだ、掲あかがもる︑作げ「の両物者ま親は語認光・しに源知出た︑氏のこ正の典。と式︑のさの紫ら婚の理作姻ゆ解りでか出はりにでなを

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