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3発展…発展的な位置づけとなる解説や資料を豊富に掲げました。3鑑 発展源氏物語(若紫との出会い)教科書(一〇六〜一一一)出していたため︑光源氏はなすすべもないありさまだった︒ 「垣間見」は僧坊の西側の垣からである︒そこしか光源氏を登場させる場所はない︒西向きの部屋は夕日を受けて明るく︑内部がよく見える︒光源氏の目に最初に映ったのは経を読む尼の姿である︒人は極楽浄土への往生を願って西を向いて祈る︒以下すべて光源氏の視覚を通しての描写である︒外見からかなりの家柄の人らしいと思われる︒敬語がないのは身分がはっきりしないからで︑最後まで尼の身分はわからない︒光源氏は真剣になって邸内を垣間見する︒「清げなる大人二人ばかり︑さては童べぞ出で入り遊ぶ」様子に興味津々︒周囲を気にもしない若者らしい行動は︑実にほほ笑ましい︒ここで作者は︑女主人公紫上を登場させる︒成人した後が思われるほどのかわいらしい顔立ち︒顔が涙を手でこすったため赤くなっている︒その無邪気さ︒尼君の前に立って何かを訴えようとしている︒見上げる鑑賞念頭に置いたものであろう︒この中に「春日野の若紫尼君の顔が︑この少女に似通っている︒光源氏は子なのかしらと思う︒涙にむせびながらの訴えなのに︑尼君にかえってたしなめられてしまう︒尼君の話から︑少女はすでに母に先立たれ︑祖母である尼君に養育さ物語光源氏十八歳︒瘧わらわ病やみにかかって北山に住む名高い行者のもとに加持を受けに行くところからこの巻は始まる︒「加持」は密教︵天台・真言宗︶僧の祈禱で︑修行を深めた結果︑厄災や物の怪を祓う効験を修得するようになるという︒元来が精神的な療法なので︑患者が祈禱僧を信頼すればするほど治癒率も高まり︑評判も上がることになる︒病因の多くは霊性によるものと考えられていた当時︑それを身体から追い出すのが加持をする行者の仕事であった︒したがって行者の言は絶対のものである︒「病気のほかに物の怪なども加わっているようなので︑今宵はここで静かに加持をして明日帰京なさったら︒」と言われれば︑それに従うのは当然である︒光源氏には外泊への期待と︑供人が報告した「をかしげなる女子ども︑若き人︑童べなむ見ゆる」小柴垣の僧坊への興味もあった︒ここからが教科書採録部分︒晩春の夕暮れどき︒惟光だけを供に例の小柴垣の僧坊に向かう︒他出の折は︑必ずといっていいほど惟光が従っている︒彼がいなくては何もできない光源氏である︒「夕顔」の巻で夕顔急死の際︑惟光が邸から抜け      賞  古まのたす典︑り教第衣四し材十のに九ぶ段のつに乱いはれ「限て若りは草知」ら、とれ作「ず初」品草のを」一を首よ詠がりみあ込る深ん︒くだ歌鑑の賞贈答すがるあるた︒めの解説を掲げました。れていることを光源氏は知る︒尼君にたしなめられている少女を見ていると︑「ねびゆかむさまゆかしき人かな︑」と心が引かれるだけでなく︑「限りなう心を尽くしきこゆる人に︑いとよう似たてまつれる」ことが︑自然と目が引き付けられる原因だったのだと思い当たるにつけ︑涙がこぼれるのである︒多感な光源氏はよく涙を流す︒光源氏ばかりではない︒物語に登場する男性はよく涙を流す︒男は涙など他人に見せるものではない︑などという考え方は後世のものである︒藤壺宮への思慕の情は光源氏の心の深層に常に存在していて︑何かにつけて表面に出てくるのである︒尼君と女房とが少女の将来を案じて︑歌を唱和する︒「源氏物語」には七九五首の歌があり︑「若紫」の巻には二十四首ある︒歌が中心となって物語が構成されていると考えるのが妥当である︒光源氏が瘧病の加持を受けに北山へ行き︑垣の内に少女︵後の紫上︶を見いだす︒この話の展開は︑「伊勢物語」第一段「初冠」を  うら若み寝よげに見ゆる若草を人のむすばむこと18

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