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発展問題発展問題〕あらゆる行為をコトバとして認識しているのは注目してよい。〕使命だというだけではない。詩人は声になら(「古今和歌集」)〕もちろん、話す、聞く、あるいはXCBA【〕しばしば、言教材に関する発展的なレベルの設問例をご用意いたしました。データは〈一太郎・ワード・PDF〉■もののふの心■】次の文章を読んで、後の問いに答えよ。(配点「仮名序」は、日本で最初期に書かれた歌論であるとともに、散文のの三形つ式のをと形っ式てで記ごされ用た意①しコてトバいのま形す而。上学でもあった。作者は紀貫之である。この人物は、歌人としても優れていたが、今日でいう詩人哲学者だった。その精神の伝統は「新古今和歌集」の藤原俊成、定家親子にも引き継がれている。「古今和歌集」「仮名序」の最初にはこう記されている。やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの、聞くものにつけて、言ひ出だせるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、たけきもののふの心をも慰むるは、歌なり。和歌は、人の心を種として、無数の「言の葉」となる。人々の営みは、②葉が生い繁るように一瞬たりともやむことがない。貫之が、発言や執筆といった言語にまつわる行為だけでなく、〔人間だけでなく、花に鳴くa鶯、田で鳴く蛙、生きるものすべてが「歌」を詠む。そればかりか歌は、腕力を用いずして、天地を動かし、不可視な神々の心をもbフルわせ、男と女の仲をc睦ませ、戦いにはやるもののふの心をも鎮める、という。③貫之にとって和歌の本体を成しているものは言葉ではなくコトバであるのは疑いがない。④言葉をめぐる営みにはいつも言語だけでなく、コトバが随伴している。読むと書くは〔黙るという営為においても私たちは言語の奥にコトバの働きを感じ、生きている。現代に生きる私たちは、言語の読み方があまりに巧みになったために、⑤不可視なコトバの感じ方を忘れてしまったのかもしれないのである。人間の心の中に悲しみがあるのではない。悲しみ、嘆きの中で人は生きている、とこの詩人はいう。真実は〔葉とは異なる姿をして、世に存在している。詩人は、個の思いを言葉にする表現者である前に、何者かから言葉をdタクされる預言者でなくてはならない。言葉にならないうめきの中に秘められた意味を見いだすこと、それが詩人の〔ないうめき、見過ごされるeヒタンから離れた場所にいることは許されていないというのである。6450点)

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