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標準問題標準問題〕響きがコトバとなる。彫刻家とは、形をコ〕感じている。コトバは、言葉を超CXB【■もののふの心■】次の文章を読んで、後の問いに答えよ。(配点涙は、悲しみのときだけでなく、深い感動、aカンキのときも湧のき上三がつるの。形言葉式はで〔ご用A意〕し意て識いの壁まをす乗。り越えて世に現れる。同じ涙が存在しないように、人は同じ言葉を二度口にすることはできない。同じなのは表記だけで、意味も響きも律動も二度と繰り返すことはできない。すべての言葉が「もうとりかえすすべもな」いものであることを人はどれほど感じえているだろうか。自分が発した言葉だけでなく、自分が受け取る言葉もまた、厳密な意味で繰り返されることはないのである。詩とは、消えゆくことを宿命とした言葉を①かなたの世界からこの世界に引き戻そうとする試みにほかならない。それを読む者は、記された言葉の意味を理解するだけでなく、それらの言葉が生まれた場所に本能的なbキョウシュウを覚える。このとき言葉は人を永遠界へと導くものになる。別な言い方をすれば、永遠とのつながりを真に求めるとき、人は誰しも内なる詩人を呼び起こすことができる。詩は、世に詩人と呼ばれている人だけの営みではないのである。辞書に記載されている意味は、私たちが社会生活を送るうえで不自由がない程度の妥当性を持ったものにすぎず、②個々の人生に裏打ちされたものとは姿を異にする。どの言葉にも複数の層がある。誰が見てもcキンジしたものを感じる③記号としての層の奥には、その人だけが感じる④実存の層があり、〔〕その奥には個々の実存的体験を包み込むような⑤象徴の層がある。詩人とは、記号としての言葉を、実存的経験を媒介にしながら象徴へと新生させる者たちの呼び名だと考えてよい。ここでは、実存の言葉と象徴の言葉を「⑥コトバ」と片仮名で記すことにする。コトバは、必ずしも言語の姿を取るとは限らない。言葉の奥には言語になる以前のコトバがうごめいている。難しいことではない。恋する者の心を想起すればよい。恋慕の情は確かにはげしく存在しているが、それは容易に言葉にならない。美しいものに触れたとき、極度の悲しみを経験するときなども私たちはコトバの存在を〔えて出現するうごめく意味、生ける意味そのものだと言ってよい。日頃、私たちはさまざまなところで意味を感じ、確かめている。書物からだけでなく、絵画や音楽、彫刻、舞踏などの芸術からも意味を感じ取る。芸術家たちは、本能的に言語の限界を感じ、それを積極的に捉え直すことでコトバとして表現し、作品に触れる者を意味の深みへと導こうとする。画家にとっては、色彩と線がコトバであり、音楽家にとってはd旋律と沈黙、〔トバとして用いることができる者の呼び名であり、e舞踏家とは、舞いというコトバを自由にする者の呼称である。教材に関する標準的なレベルの設問例をご用意いたしました。データは〈一太郎・ワード・PDF〉6250点)

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