探求 文学国語 付属教材・資料見本
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 「言葉」を「コトバ」に進化させること、それが本文の主題である。世にはさまざまな言語論があり、それぞれの筆者がそれぞれの論を展開しているが、本文は、「言葉」を「言葉」とは違う「コトバ」として捉える方法が目を引く。「コトバ」の用語は、筆者若松英輔が自著の中で述べているが、哲学者井筒俊彦の創作である。井筒俊彦(一九一四〜一九九三)は、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者であり、慶應義塾大学名誉教授で日本学士院会員でもあった。井筒は語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されている。アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、パーリ語、ロシア語、ギリシャ語等、三十以上の言語を流暢に操った井筒は、日本で最初の『コーラン』の原典訳を刊行したほか、ギリシア哲学、ギリシャ神秘主義と言語学の研究に取り組み、イスラムスーフィズム、ヒンドゥー教の不二一元論、大乗仏教(特に禅)、および哲学道教の形而上学と哲学的知恵、後期には仏教思想・老荘思想・朱子学などを視野に収め、禅、密教、ヒンドゥー教、道教、儒   ろ教、ギリシア哲学、ユダヤ教、スコラ哲学などを横断する独自の東洋哲学の構築を試みた。これほどの「語学の天才」であったからこそ、「言葉」の持つ力について、深く深く考察できたのであろう。井筒は、「言葉」の世界を超えるものを「コトバ」と名づけ、その「コトバ」の持つ可能性について、さまざまに論じてきた。若松は、井筒に影響を受けて、「コトバ」の世界の持つさらなる可能性を追求しようとしたのであろう。その結実が、本文の中に美しく描かれている。「コトバ」の世界は■言葉」に■々とする我々に新しい響きをもたらす。谷川俊太郎の詩と「古今和歌集」の「仮名序」の引用によって、その世界はさらに広がりを見せている。「文学国語」最初の評論教材として、じっくりと取り組みたい作品である。  突然お行儀のいい書き方が嫌になる  コトバさんは公園のベンチに座っているだけなでがる資料を掲げました。  どこへも行こうとしない教科書(三八〜四五)  考えあぐねているようだが  考えから生まれる詩は  ほとんど賞味期限が切れている  やみくもに歩き出して  ぶつかったものを拾う方がいい  子どものころは〈■■■屋■さん〉がいた  可燃ゴミも不燃ゴミも背中の籠に投げ入れて  あれはどこへ捨てに行ったのだろう  拾ったコトバの分別と組み合わせが    ■と見えたものがところを得れば  詩の行中で得体の知れないジュエリーに化ける  そのスリルには飽きていないが  俗界のフェイク言葉の垂れ流しの洪水に  真言も浮き沈みしながらプラごみとともに  波間に漂っている    コトバさん コトバさん  「本当の事」はどこにある?六 十年余コトバさんと交際してきた腕の見せどこ テーマ解説参考資料テーマ解説参考資料3発展もののふの心――言葉とコトバ文学評論Ⅰ○谷川俊太郎の詩「コトバさん」教材のテ ーマや、筆者・出典(﹃のどこ理か解らがに言つ葉か﹄)3発展…発展的な位置づけとなる解説や資料を豊富に掲げました。評論・随想教材については、テーマをより深く理解するための解説を掲げました。61

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