探求 文学国語 付属教材・資料見本
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六一ページることができない。嘗 ■常■と同じ。同じ役所の同僚たちとの会で酒が入り、宴が盛り上がる頃になるといつも。と同じ仲間として付き合っていられようか、いや、私は君たちとは違うのだ。反語形。■乃■は強く反語の語気を表す。 憎んで目をそらし正視しない。 任期が満ちて退くこと。■秩■は■俸禄■、■謝■は■ことわる■。つまり、■俸禄を辞退する■ことから、任期を終えて退任する意となる。 閑居して雑事に心を悩まさず、気ままに暮らす。 長江の下流から中流域の、主に長江の南側を指す。江蘇省、江西省、湖南省、湖北省の南部等の地域。李徴はかつて勤めていた伝手を頼ってこの地に行ったのだろうから、最初に赴任した■江南尉■もこの■呉楚の間■にある県の尉に絞られるだろう。属した行政単位。■国■は特別授な業有展力者開が例領国として治めた地域。■長吏■は地方の長官。ここでは李徴がかつての伝手を頼った人々一な時の限で、ご郡と の授秘書業省展校書開郎例(宮を中、の書原庫則、文見書開・記き録を二管ペ理)や国などの長官ではなく、郡下の■ー各ジ県での主見だやすく→都示のし近くまのし県尉た→。御史発台問の監例察や御史板→書中書例省った官吏■などを指すのであろう。を豊富に示してあるおいりは門、下実省の際拾の遺(ご天子授の業過失のをイ諫めメるー官)でもなくずっと前から、(李徴の)名声を聞いて私はどうして君たちいた。■楚人■は、本教材の拠った■唐人説薈■では■楚人■だが、この小説の原形が載る■太平広記■では■呉楚人■となっている。前後の■遊呉楚間■や■在呉楚■の記述から見て、ここはもとの■呉楚人■の■呉■が脱落したものと見て、訳では■(呉)楚の人■とした。 貴重な物品を入れる袋。本来は■大小の袋■の意。■財布■ととるものもあるが、さまざまな贈り物を入れてゆくのだから財布に限定この時期流通しているお金は金貨ではなく■開元通宝■などの銅銭なので、財布に入る量の銭の価値は知れている。とてもその銭で家に戻ろうなどという気持ちにはなれない。 汝水(河南省を流れて淮河に注ぐ川)のほとり。■墳■は堤。虢略に帰るときにここを浙江省北部の地)が中心だったのかもしれない。勅の執筆)→中書侍郎(中書省の次官)→宰相教科書(六〇〜六二)イドと、地方の県の小役人と同列に見てもらっては困るという同僚を軽■する思いが、強く見て取れる。(→「深▽進士でも多くは地方の県尉からスタートし、数年して中央に戻り、栄達の道をたどる。李徴だけが特別に冷遇されたわけではない。李徴はプライドが高く、最初から中央の官僚でなければ耐えられなかったのである。3 「人虎伝」の時代背景や李徴の境遇について理解する︒  答 安禄山の乱(安史の乱)。▽■安禄山の乱■は、七五五年十一月の范陽(現在の北京)での挙兵に始まり、七六三年一月に終息。李徴の進士及第は七五六年(天宝十五載)の春、数年して江南尉に赴任。任期(通常三年程度)が明けて虢略で一年余り過ごし、呉楚の間に出て一年余り。帰郷の途中失踪。李徴の動向は、ほぼ安史の乱の時期に重なる。4 ら︑それぞれの李徴像を認識する︒ ■人虎伝■の李徴は、同僚を軽■する言葉を吐き、従者を■で打ち、ほどなくして失踪する。■才能ある身勝手な官僚が、官界で栄達できず自滅してゆく■李徴像である。一方■山月記■の李徴は、官界で栄達することに見切りをつけ、詩人としての才能にかけるが思うようにゆかず苦悩し、行き詰まってゆく。■才能ある若者が、詩人として文名を揚げられず自滅してゆく■李徴像に重点がある。(→「深める手がかり・深めよう2」)める手がかり・読み取ろう1」)*  問 李徴の進士合格から行方不明までの時期において、最も大きな社会的事件は何であったか。●まとめのポイント進士及第者の官僚へのプロセス①礼部の進士科の試験に及第︵これは資格試験︶②数年して吏部の「官吏任用試験」を受けて及第③官僚に任命される︒二つの作品を比較し︑その表現の違いに注目しなが小説Ⅰ小説Ⅰ小説Ⅱ4 4  毎同舎会既酣 生乃与1 君等伍耶 側目 2 謝秩 3 間適 3 呉楚間 4 4 郡国長吏  ■郡■は■州■とも言い、中央に直5 楚人聞其声、固久矣  (呉)楚のジ人をは描言うきまやすい→尚紙書面省の構員成外郎と(長な官っ補佐て役い)→ま中す書舎。人(詔比較で深める 6 8 生は乃ち君等と伍を為さんや〔人虎伝〕囊橐 汝墳 板書例●進士及第者の典型的なエリートコース   為 35通活すっ動るて地必い域要るはは■のな呉でい■、(。李ほ銭徴ぼもの長高■江価呉以な楚南物のの品間江も■蘇あ板書例 実際の板書にお役で省るの南。立ていただける例を示しま主部ました。なとた

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