探求 文学国語 付属教材・資料見本
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博■■■学■、善■く文■■を属■■■す。(弱■■■冠■■にして州■■府■貢■■に従■■■ふ。時■■に名■■士■と号■■す。)倨■■傲■■なり。❼跡■■を卑■僚■■に屈■■する能■■はず。❽嘗■■に鬱■■■鬱■として楽■■しまず。乃■■■ち君■■等■と伍■を為■さんや。■と。❿其■の僚■■友■■咸■■之■■を側■■目■■す。館■■■を開■■きて以■■て之■■を俟■つ。⓯宴■■遊■■歓■■を極■■め、将■■に去■らんとすれば■悉■■■く厚■■く遺■■りて以■■て其■の囊■■槖■■を実■たす。⓰徴■■■呉■楚■に在■りて、且■■に歳■■余■なら僕■■■者■を■■■■捶■す。⓳其■の苦■■しみに勝■へず。⓴是■■に於■いて旬■■■余■、疾■■■■益■■■(   吏■に干■■む。⓭楚■人■■其■の声■■を聞■くこと固■■より久■■し。⓮至■■るに及■■んでは皆■■■■■■■■■■ ■■■   (   教科書(六〇〜六二))内は教科書省略部分。❶隴西の李徴は皇族の子孫である。❷虢略に住んでいた。❸李徴は若いときから博学で、文章が巧みであった。(二十歳のときに地方の州の科挙の予備試験に合格して、進士の受験資格を得た。時の人たちから名士と称された。)❹天宝十五年の春、(尚書右丞楊元が取り仕切った科挙の本試験で、)進士に合格した。❺その後数年して、江南の尉に任ぜられた。❻李徴は人と親しまず自分勝手であり、才能のあることをいいことにしておごり高ぶっていた。❼(そして)下級の官僚に甘んじるのをよしとしなかった。❽いつも鬱々として楽しまなかった。❾同じ役所の人たちとの酒宴がたけなわになると、役人たちを見ながら言うのであった、■私はどうして君たちと同じ仲間として付き合っていられようか、いや、私は君たちとは違うのだ。■と。❿(これを聞いて)同僚たちはみな(李徴を憎んで)目をそらしまともに李徴を見なかった。⓫(李徴は江南の尉の)任期が満ちると官を退き、(虢略に)帰って気ままに暮らし、一年余り人と付き合わなかった。⓬(しかし、後には)生活に迫られ、しかたなく東の呉楚の間に出向き、各地方の主だった官吏に援助を求めたのであった。⓭(呉)楚の人は言うまでもなくずっと前から、(李徴の)名声を聞いていた。⓮(それで李徴が)やって来ると皆自分の屋敷を開き(準備を整えて)待っていた。⓯(それぞれの屋敷での)宴会は歓を尽くしたもので、辞去する際にはどの家でも袋がいっぱいになるほどたくさんの物を贈ってくれた。⓰李徴はこの呉楚の間の(あちこちに)滞在すること、一年余り、(それぞれのところで)餞別にと多くの物をいただいた。⓱(さて)西方の故郷虢略に帰ろうと帰途に就いたが、その道中であった。⓲汝水のほとりの宿に泊まっていたとき、(李徴は)にわかに具合が悪くなって発狂し、書き下し文・現代語訳書き下し文2● 本文研究)内は教科書省略部分。❶隴■■西■■の李■徴■■■は、皇■■■■族■の子■なり。❷虢■■■略■■■に家■■す。❸徴■■■少■■くして❹天■■■宝■十■■五■載■■の春■■、(尚■■■書■■右■■丞■■■楊■■元■■の榜■■下■に於■■て)進■■士■の第■■に登■■る。❺後■■数■■■年■、調■■せられて江■■南■■の尉■に補■せらる。❻徴■■■性■■疎■逸■■、才■■を恃■■みて❾同■■舎■■の会■■■既■■に■酣■■■なる毎■■に、顧■■■みて其■の群■■官■■に謂■ひて曰■はく、■生■■は⓫謝■■秩■■に及■■べば、則■■■ち退■■き帰■■りて間■■適■■し、人■■と通■■ぜざる者■■歳■■余■に近■■し。⓬後■■衣■食■■に迫■■られ、乃■■■ち東■■のかた呉■楚■の間■■に遊■■び、以■■て郡■■■国■の長■■■んとするに、獲■る所■■■の饋■遺■甚■■だ多■■し。⓱西■■のかた虢■■■略■■に帰■■らんとして、未■■だ至■■らず。⓲汝■■墳■■の逆■■旅■■の中■■に舎■■り、忽■■■ち疾■■を被■■りて発■■狂■■し、●現代語訳比較で深める 生は乃ち君等と伍を為さんや〔人虎伝〕小説Ⅰ小説Ⅰ小説Ⅱ2本文研究…本文をさまざまな角度から分析・解説しました。上段には「書き下し文」を、下段には「現代語訳」を、対照して示しました。33

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