探求 文学国語 付属教材・資料見本
25/76

人間とは不条理な生き物であり、誰か(あるいは神)によって与えられた運命を生きるしかないという見方がすなわちこの作品の主題であると考える。李徴は運命だから虎になり、我々も運命を嘆き、喜びそして生きていくのだ、というわけである。この主題設定には無理がない。ただ、李徴変身の理由の考察②③で考えたように、李徴はこの不条理を条理で考え、答えを出そうとしているという点は考慮しなければならない。この主題設定がこの作品のすべてを言い尽くしているものではないのである。②は、李徴変身の理由の二番目に述べた人間観である。さらに李徴が一流の詩人になれなかった理由の初めに述べたものと関連する。我々の内面の複雑さは我々自身の苦悩の根本となり、我々の自我意識が我々自身を苦しめている。誰でも心の中に猛獣のような心、あるいは欲望を持っている。それを制御しながら我々は生きている。もし、制御できなくなったら、そこには破滅が待っている。李徴は虎になったが、我々はどうなるのだろう。そこに待つのは牢屋なのか、死なのか。そのような人間の生に関する問題を提起する主題設定である。③は、李徴変身の理由の三番目の最後に述べた芸術観である。芸術はすべてのものに勝る価値を持つのかどうか、作者の迷いをこの作品の主題とするものである。李徴は詩という芸術を求め、すべてに優先させた。しかし、結局妻子のことも捨てることはできなかった。結局李徴は一流の詩人になれなかった。芸術より尊いものの存在はあるのか、ないのか。芸術とはそんなにすばらしいものなのか、というような迷い、つまり芸術至上主義への懐疑がこの作品を支えているのだとす              る主題設定である。④は、李徴が一流の詩人になれなかった理由の後の方に述べたことと関連する。この作品の前提となり、繰り返し述べられる詩への執着心を問題視したものである。一つのことにこだわり、他のものが見えなくなる。そこには人間として最も大切なはずの愛だとか、友情だとか、そういった温かい血の通ったものは排除されてしまう。そういう執着心が我々の心にある。■山月記■全体から、李徴の執着心をクローズアップし、 ■偶因狂疾成殊類■の七律の詩が載っている。これを中心に作品を捉えようとする主題設定である。これらを複合させたり、軽重をつけたりして主題をさまざまにまとめることができるだろう。例えば、■芸術性と人間性の背反■■芸術に執着する者の苦悩■■自我意識に悩む人間性の悲劇■■運命に翻弄されて人間性を失った者の悲劇■■運命と人間の意志との■藤■などなど……。ここで一つ押さえたいのが、この小説が単なる怪異譚ではなく、近代小説としての主題を持った作品であるという点である。この点を押さえて生徒には自由に主題をまとめさせたい。この小説を所収しているのは次の三系統の各集である。①■太平広記■九七八年に編纂された宋代の勅■集。唐代末期までの小説を集めてある。 ■李徴■と題して載せ、作者名はない。ただるし資、料末尾を掲 げ■山ま月し記■たの出。典のあらましは以上のとおりであるが、に出典を■宣室志■と記す。■宣室志■は張読の■。張教科書(四六〜五八)読は八五二年の進士で晩唐の人。この■李徴■に■偶因狂疾成殊類■の七律の詩はないので、中島敦が■山月記■を書く際に拠ったものではない。②■古今説海■明代の陸楫の編。明代までの小説を集めてある。編纂の時期は定かではないが、一五四四年の刊本あり。 ■人虎傳■と題して載せ、作者名はない。③■唐人説薈■清代の蓮塘居士編。乾隆年間(一七三六〜一七九五)の編纂といわれる。■唐代叢書■の別名が記されてある。唐代の小説や故事を集めてある。 ■人虎傳■と題して載せ、■唐 ある。李景亮は七九四年の進士。 ■偶因狂疾成殊類■の七律の詩が載っている。①は■人虎伝■の原形。作者を張読とするならば九世紀の作、そうでなくとも十世紀には書かれていたことになる。②は明らかに①を基にして話が発展した形。十六世紀には出来上がっていたことになる。③は文字の多少の異同を除けば、内容は②とほぼ同じ。作者が李景亮ならば①の張読のものより早く書かれたものを伝えていることになるが、①から②への話の発展を考慮に入れると、②の異本か、②に手を入れたものと見なされる。十八世紀には出来上がっていた。実はその原型はもっと早くから見られる。六朝期の宋李景亮■■と記して参考資料①■人虎伝■出典解説参考資料山月記小説Ⅰ小説Ⅰ小説Ⅱ教材のテーマや、作者・出典の理解につなが23

元のページ  ../index.html#25

このブックを見る