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に見える。■博学才穎■■若くして名を虎榜に連ね■■往年の俊才■(以上、第一段落)、■作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない■■当時声跡共相高(当時は声跡共に相高かりき)■(以上、第四段落)、 ■郷党の鬼才■(第五段落)などである。なのに、李徴はなぜ詩人として名を成すことができなかったのか。これが李徴変身の理由と並んで、■山月記■の■であり、論議の的となる点である。第四段落で李徴が詩を朗読した際、袁傪は■なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか■(五二・10)という感じを■漠然と■持っている。■李徴と同年に進士の第に登り■(四七・15)、監察御史という高い地位を得た袁傪は、おそらく李徴に匹敵する詩の才能を(少なくとも詩を鑑賞する才能を)持っていたはずである。その袁傪が感じたことであるから、当然、その指摘は誤っていないはずである。では、李徴の詩に欠けていた■微妙な点■とは何だったのか。李徴が一流の詩人になれなかった理由が示されていると考えられる箇所は次の二つである。それぞれまとめながら示してみよう。①■おれは詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった■(五四・6)、■事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦をいとう怠惰とがおれのすべてだったのだ。おれよりもはるかに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、を成そうと考えていた。自ら閉ざした世界にいながら有名な詩人となることができようはずはない。ここに李徴の悲劇があったのである。②については、■芸術は愛■という発想は現代人にはわかりやすいものであり、生徒も彼らがよく聴く音楽の歌詞のほとんどが愛や恋に関するものであることから疑問なしに受け入れる者が多いことであろう。ただ、李徴自身はこの発言を詩の創作に関することとは結びつけていない。詩への執着の度合いが激し過ぎて、妻子よりも詩の方が大切だったということしか述べていないのである。しかも、前述したように、李徴が本当に妻子のことをまったく考えない冷血漢であったとは思えない。妻子のためにいったんは詩人になることを諦め、また、最後には妻子のことをちゃんと袁傪に頼んでいるではないか。ここでは、詩への過度の執着という点を銘記すべきであろう。李徴は詩のことしか考えなかった。もし李徴がもう少し詩以外の世界のこと(例えば妻子のこと)を考える余裕があれば、李徴の詩に愛という温かい要素が加わり、一流の詩となったかもしれないのである。以上の二つの■の考察と関連させながら、主題をまとめてみたい。簡潔に示すと次のようなものが考えられる。①運命観……人間存在の不条理②人間観……自我意識の苦悩③芸術観……芸術至上主義への懐疑④執着心……人間愛の欠如①は、李徴変身の理由の最初に述べた運命観である。山月記教科書(四六〜五八)堂々たる詩家となった者がいくらでもいるのだ■(五五・2)  …自分の詩の才能を磨かなかったから。②■本当は、まず、このことの方を先にお願いすべきだったのだ、おれが人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を落とすのだ■(五六・13)  …芸術に必要な人間性(愛)が欠けていたから。はたしてこの二つが真の理由といえるかどうかについては諸論さまざまではあるが、研究者の考えはさておき、両方とも読者には(もちろん生徒にも)わかりやすいものではあるだろう。①については、芸術に限らず、スポーツでも学問でも、自分を磨くことをしなければ一流になれないのは当然である。そして自分を磨くためには師に就いたり、 志を同じくする仲間と競い合い励まし合っていくことが必要なのは誰しも理解できることである。李徴自身が明確に理由づけをしているという点でも疑いのない答えであるかもしれない。それでは、なぜ李徴が自分の詩の才能を磨かなかったのか、それは李徴変身の理由でも考察したが、■臆病な自尊心と尊大な羞恥心■のせいである。自分に詩の才能があるに違いないとは思っていても、もし才能がなければ自分が傷ついてしまう。自分の自尊心が傷つくのを過度に恐れるあまり、李徴は他者との扉を閉ざし、自分だけの世界に閉じこもってしまうのである。 自ら閉ざした世界で彼が求めたものは何だったのか。どちらにしてもこの世界は外に対して開くことはできないものであった。それなのに、李徴は詩人として名小説Ⅰ小説Ⅰ小説Ⅱ 「山月記」の主題をまとめる22             

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