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9されて玄宗皇帝が廃されたのだから、不穏な大変動が見てとれたはずである。を記した札の意で、それを掛けた掲示板を指した。転じて、科挙に合格した人物を意味する。科挙は、隋以降の歴代王朝で用いられた官吏登用のための資格試験である。難関の試験であり、受験資格を得たうえで地方での試験(郷貢)を受けることから始まり、数回にわたる選抜試験を受けなければならなかった。その中でも■進士科■は最も狭き門で、■若くして■合格した李徴はまさに超エリートであった。中下流の南側)の、ある県の治安・税務等を担当する官に任ぜられた。ここでは■江南■を、行政区画として解釈した。進士に合格した者が地方の県尉から官僚生活を始めるのはよくあるケースで、最初から中央官庁に配されるのはわずかである。李徴が特別に冷遇されたというのではない。ただ、李徴はプライドが高く、最初から中央の官庁に勤めたかったのである。(三四ページ「語句とるの意。自尊心が強いこと。の意。■帰臥■は、■官職を辞して故郷に帰り、静かに暮らす■意。李徴は職を辞した後、故郷の虢略に帰って暮らした。く■は、いつまでもの意。■膝を屈する■は、■膝を曲げて服従する■の慣用表現。■下吏■と■大官■が対義関係である点にも注意を払いたい。江南道(唐代の行政区画。長江の吐露を強調し、悲劇性をいっそう強く浮き彫りにしている。3 段落分けをし︑全体の構成について考える︒*  問 本文全体を七つの段落に分け、それぞれ  答 「構成展開図」「板書例」参照。4 第一段落の冒頭部︵四六・1~5︶から舞台背景と李徴の人柄をつかむ︒1  問 李徴が役人を辞めるまでの部分(四六・  答 〈現代語訳例〉隴西出身の李ー徴はジ学で識が見広やすく嫌悪示とし、詩ま人しとしたて。名を発揚問げた例いやとい板う書希望例のく才能が優れ、西暦七五六年(中国をの豊唐の富時に代)示、してためお。り、実際のご授業のイメー若くして科挙に合格し、次に江南ジ地区をの描治安きややすい▽自紙分面に自構信成があとりなすぎったて李徴いのま姿をす生。徒にし徴税を担当する役人に任命されたが、たいへん教科書(四六〜五八)しとはしなかった。まもなく役人を辞めた後は、住み慣れた虢略に帰って暮らし、人と付き合いをやめて、ひたすら詩を作った。下級役人となって長い間、俗悪な上級役人に服従するよりは、詩人としての名を死後百年まで残そうとしたのである。る配慮が必要である。*  問 李徴の性格について書かれている部分を  答 性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く▽性、狷介とは、性格に協調性がないこと。自ら恃むところとは、自尊心のこと。協調性がなく、自尊心がたいへんに強いという人物であったことを表している。この李徴の性格を表すのが、■賤吏に甘んずるを潔しとしなかった■(四六・2)、■鈍物として歯■にも掛けなかった■(同・11)といった部分であり、またこれが、第五段落の■臆病な自尊心■(五四・5)と■尊大な羞恥心■(同・8)につながっていくのである。3  問 「いくばくもなく官を退いた」とあるが、っかりとつかませることが重要であろう。第一段落︵四六・1~四七・5︶︿李徴の性格と行方不明になるまでの経緯﹀第二段落︵四七・6~四九・1︶︿虎となった李徴と袁傪の出会い﹀第三段落︵四九・2~五一・15︶︿虎と化した事情を語る李徴﹀第四段落︵五一・16~五三・15︶︿李徴の詩への執着﹀第五段落︵五四・1~五六・2︶︿李徴の臆病な自尊心と尊大な羞恥心﹀第六段落︵五六・3~五七・5︶︿妻子についての李徴の頼み﹀第七段落︵五七・6~五七・12︶︿李徴と袁傪との別離﹀四六ページ授業展開例山月記1 名を虎榜に連ね ■虎榜■は、科挙に合格した者の姓名1 江南尉に補せられた 文法の解説」参照。)自ら恃むところすこぶる厚く ■恃む■は頼る、信頼す2 故山、虢略に帰臥し ■故山■は故郷、住み慣れた土地3 4 下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈する ■長に見出しをつけよ。板書例1~5)をわかりやすい現代語に一直せ時。限ごとの 授 答 業展俗悪開な例上級を役、人に原服則従す見る開こときに二対すペる抜き出せ。なぜ李徴は役人を辞めたのか。小説Ⅰ小説Ⅰ小説Ⅱ板書例 実際の板書にお役▽な立ていただける例を示しま生分自した。徒信のに読家は解で、にあこり拒の否、冒反下頭級応部を役で起人嫌こでにさ満な足せっなすてるい、こよ後うとのにを部よす

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