探求 論理国語 ダイジェスト版
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評論Ⅳ評論コラム 5人生と「物語」人間は自分の人生を「物語」として理解しようとする。「子どもの頃にこんな体験をしたから、今はこのような性格になった」、「今こういうことをしておけば、将来はこんなよいことがあるだろう」などという脈絡で、現在の姿を語り、未来を思い描く。個人だけでなく、集団単位でも「物語」は生まれるが、これらの因果関係が絶対的に正しいとは言いきれない。そう信じ込んでいるだけの架空の「ストーリー」であるかもしれない。近代が信じた「ストーリー」多数の人々が共通して持つ「物語」が「大きな物語」に用いたと言われる。そして、このような「大きな物語」が存在していたのが「近代(モダン)」の大きな特徴である。たとえば、「科学の発展は人類の進歩だ」「自由や平等により人々は幸福になる」などの「物語」は、世界の大部分に広まっていた。日本では「経済成長をすれば皆が豊かになる」という確信もあった。人々が特定「大きな物語」の喪失とポストモダンの価値観を共有し、その実現を目指して邁まい進しんしていたのが、近代という時代だったのだ。しかし今、そのように皆が信じる「ストーリー」があるだろうか。科学は環境破壊の原因であるし、自由や平等も絶対的な価値とは言いきれない。経済成長にも期待できず、物質的な豊かさで幸福が得られるとは限らない。加えて、情報技術の発展により可能になった世界中の人々とのネットワークは、狭い規範や価値観を共有する人どうしの結びつきをもたらすだけで、その規範や価値観を超えた連帯にはつながりにくい。つまり、現在は共有できる「大きな物語」が終しゅう焉えんを迎えた時代である。「寛容」と「排除」のはざまでそうした現在を「ポストモダン」と呼ぶが、「ポスト」とは「○○の次にくるもの」の意だ。時代を象徴する語がないので、「近代(モダン)の次」と表すしかない。ただし、すべてが相対化され、多様な考えが並存することは確かだ。それをそのまま受け入れる「寛容」につなげるか、相いれないとして「排除」するか。東浩紀が示したのは、「ポストモダン」社会の重大な岐路である近代コラム。*リオタール 1924〜1998。本文中のキーワードであり、近代を理解し、読み解いていくうえでのキーワードとなる用語「ポストモダン」と「大きな物語」について解説しました。341 評論コラム537るだ「。物科語学」こにそ対がし真、理フのラ探ン究スとのし哲て学最も者*リ正オ当なター営ルみがだ最とす初

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