探求 古典探究 ダイジェスト版
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古典常識・背景知識の習得②(「コラム」)日本漢詩模倣から創作、そして鑑賞する古典へん―コラム1創作は模倣から始まります。絵も書もお手本をよく見て、ありのままに写すことが上達の第一歩でした。日本漢詩もその例外ではありません。文字のなかった日本では、漢字を導入して物事を書き記すことができるようになりました。しかし、漢詩を作るのはそれとはまったく次元の異なる行為です。どの国の言語においても詩の言葉は特別な位置を占めており、ただ単に物事を伝えれば事足りるという性質のものではありません。詩の言葉は、意味の上でも振幅が大きく、時に様々な暗示をはらみ、思いもしない姿に装いを変えて立ち現れてきます。まして中国の漢詩は『詩経』から近体詩の形式が整う初唐まで、ほぼ二千年の長きにわたり内容やテーマはもとより、音律に至るまで磨き上げられてきたものです。それをひょいと移しかえるなどという芸当はできません。日本の漢詩も模倣から始まりました。第一期は奈良・平安の王朝の漢詩。主な作者は貴族。儀式の折に詠まれたものが多く、中国の漢詩の模倣に努め、その影響が色濃く見られる時期です。仏教の修行のため長年中国に留学していた僧もあり、その漢詩は高い評価を得ていますが、読解するには仏教に関する知識と用語に通じることが求められます。詩人口も飛躍的に増大し、日本漢詩が最も大きな高まりを迎えた時期です。ここに至ってようやく日本漢詩は日本人の感性で独自の世界を描けるようになってゆきます。につけた人々によって、海外の風物や近代の苦悩が新たな切り口で描かれるようになります。ところが世は洋学の全盛となり、作詩人口は急速に減少してゆきます。典へと変容してゆくことになります。また一方で文語自由詩の文体を持つその書き下し文は、新体詩や翻訳詩の文体に大きな影響を与えました。日本漢詩は日本文学の古典の一ジャンルとして、また硬質な文語詩の源泉として欠くことができないものと言えましょう。(菊地隆雄)第二期は鎌倉・室町の漢詩。主な作者は五ご山ざの禅僧。第三期は江戸の漢詩。題材も作者も多岐にわたり、作第四期は幕末・明治維新以後の漢詩。漢学と洋学を身日本漢詩はここに至って創作するものから鑑賞する古教材の内容をより深く理解できるとともに、言語文化がどのように受け継がれてきたのかがわかるコラムを2本掲載しました。5241 コラム 1

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