探求 古典探究 ダイジェスト版
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読み比べ学習①(「比較で深める」) 1 2テ   5 軍       ういみくううういんんんくんいうんんう   公       う う ハ謝シ曰いク、「臣与と将紀元前二一〇年に秦しの始し皇こ帝てが死去すると、反秦の行動を起こす者が各地に続出した。その中で最も有力な二人が、項こ羽うと劉り邦ほであった。秦の都、咸か陽よう(今の陝せ西せ省咸陽市)を目指して、両者は別々に進撃したが、ひと足早く咸陽に入城した劉邦が、函か谷こ関か(今の河南省霊宝市の南西にあった関所)を閉ざして項羽の軍を阻もうとした。激怒した項羽は、劉邦への攻撃を全軍に命令したが、攻撃の直前になって、劉邦の部下の張ち良りと、項羽の叔父の項こ伯はのとりなしにより、二人は鴻門で会見することになった。ハセテ 勠あ力ヲ而攻ム秦ヲ。将軍ハ戦ヒ河北ニ、リテ ントシ 3ゅうょうょう 4 61沛▼参公考 劉 邦(二〇ペ前ー二四七?ジ2旦日 3楚そ項の王名 門に生まれた武将。4鴻門 5臣 6河北 司馬遷 二二ページ参照。構成と概観「史記」~前一九五)。翌朝。今の陝西省西安市(H-3)の北君主に対してへりくだって言う自黄河の北方の地域。㈠●は公こ、項王に見まゆ ●史伝Ⅱ旦日従ヘ百余騎ヲ、来 タ見エ項王ニ、至リ鴻門ニ、司し馬ば遷せん鴻こ 門も 之の 会漢王朝の創始者、高祖。●(今の江こ蘇そ省●県。J-3)で兵を起こしたので●公と呼ばれた。東にあった宿場。称の言葉。ざな字あは季き。項こ籍せき(前二三二~前二〇二)。字は羽う。▼巻頭5漢文ジャンル解説比較で深める▼「留侯論」「范増論」(六四ページ)史伝Ⅱ教科書53・54ページ4653 鴻門之会漢・楚抗争地図

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