探求 古典探究 ダイジェスト版
46/68

句形・構文学習(「句形」「構文」問題、「漢文解析」)【読史解伝】Ⅰ11 んき き   ういくんんくういううんくうょん ううい江等南   5た     32ん41曹公所破、欲引南渡江。」三国志 六十五巻。陳寿の撰せ。魏・呉・蜀の歴史を記すが、魏を正統として、魏志にのみ帝紀を設けている。 時  ニ 劉軍1  備遂 為な敗曹退 、公 還か所 保 破 南、欲 郡 。引 備南 ノ与渡 ラ瑜江 等。与と復ま魯ろ共 二世紀末から三世紀初めの中国は、後漢が衰退し、各地に群雄が割拠する混乱のさなかにあった。北方を支配下に収めた曹そう操そうは、大軍を率いて南赤壁の戦いの経過を、順を追ってまとめてみよう。活動▼読む 劉備・孫権の連合軍が勝利を収めた主な原因はどのようなことか、話し合ってみよう。史伝Ⅰ ニ ニ  *粛しゆく 遇あ ヒ 於公  当留と4どメ テ 陽 曹さ10 ニう、 遂つ仁じひんニ  共 等 図守 ラ計 江。因 陵進 城 、住と径た夏自 口 北 、遣 ハ帰 。諸権 こ。権の赤壁遂 の戦遣 いの瑜ゆ後、孫及 権は程て江南普ふに確固等らた、る与地歩備を占(三め幷あは国、セテ 志劉力 ・備呉 ヲは書・西周の瑜巴は伝武岸)将の。地。(I-4)逆む初 か ヘ メシ メ 一 曹 タビ  交公 、 戦 ス遇 曹国蜀しょ フル操時くヤ、 (公ノ於が代今制」の  しに軍赤10四た入川  北る省敗壁 にこ一 ニ魏ぎと。 帯時 退 、と)南な シ ニ、の にる曹引 地呉。 キをテ  、得次 公 12西た ス ノに  。軍蜀や漢が が衆て鼎て二い 立り已す二つしで〇ニ、 年有 11互に リい 後に疾漢覇が 権病滅を亡。争すうる「と1112三、次有 疾病 リ  2 シ 葛 亮  ヲ 詣い ラシム 7 ニシ メ い  キテ  カタ  へ ノリ テ  ニ ヲ   ス  ミ ヲテ どだマチリ ニ 5 ラ   ハシ 8 ビ 9北 。瑜者甚 7衆 そ権に シ。の 呉子周を孫瑜(建劉り権(国1089禅ぜ一一七し八に五~将営南曹二て~仕。仁郡落二、二え一   五二〇帝た)陣今一)。位六。重営の八字に~臣字の湖は就二。は集北二公こい三。仲ちま省瑾きたっ荊け字謀ぼ。。はて州し。孫子しい市後権孝こる南。所東曹。部操。の武陳寿 二三三~二九七。西総司令官に任じられていた。軍隊が宿営する。*時劉備為曹公所破、[受身]*遣諸葛亮詣権。[使役]晋しの歴史家。字あは承し祚そ。ざなょうょくゅうゅう戦い陳ちん 寿じゆ赤せ 壁への史伝Ⅰ1漢か劉を備建 国一六し一~て二、二三帝。位字には就玄げい徳とた。。後に蜀し2徳と曹。公死 後に子の曹そ丕ひが魏ぎを建国した。3魯粛 一七二~二一七。字は子し敬け。孫権の重臣。4当陽 5夏口  スル 6諸葛亮  タ  3 ニ  ヲ ント  追 。8曹の瑜武 将。今赤の壁風湖の土北戦病省煙炎天に張り、人馬焼溺すいが嘉か(中国成語故事)の魚ぎ流際県行に西しは部た、のと前長い線江うの南。 ニ ニ *9程普 在 ゅう曹操(一五五~二二〇)のこと。字は孟も今の湖北省当陽市。今の湖北省武漢市。一八一~二三四。字は孔こ明め。劉備と生没年未詳。字は徳と謀ぼ。孫権の学習の手引き▼巻頭5漢文ジャンル解説句形2(「一七・受A[身ス1 ル形]ニ)を以 テ▼「ス 、B ヲ劉わ」備かの為り形や▼「す欺く以現 代欲語 降訳。し」(て一み八・よ4う。)構文を、わかりやすく現代語訳してみよう。1| 巻頭・巻末への参照3| 活動2| 学習の手引き4| 文法4419 赤壁の戦い17 赤壁の戦い ヲ ニ  ト ツ  9 ル  リテ   ス ヲ  ニ ヲシ ルテ 6 リ  フ10赤壁 下保をつ開孫そ営8ん権け始ん とす落 連る合。。頃しし一ばて方 ら、、之 ク赤軍シテ、壁師煙の諸しょ地葛か つ炎に亮りょこう をれ張み擁なをぎすリ 迎天 るえ劉り、撃ゅう人と備びうは 馬と、し江 て南焼いにた独 溺 。自の、死 勢力を ニ シ ダ 授業で扱う作品の文学史上の位置づけや、該当ジャンルの概要が、別ページで確認できます。各教材のおおむねの到達目標となる言語活動として、「読む」を設定しました。各教材における学習のまとめとして、【読解】【表現】【発展】の三項目を設問の形で設定しました。各教材において、特に注意すべき、かつ重要な句形・構文事項について、問いの形で設定しました。

元のページ  ../index.html#46

このブックを見る