探求 古典探究 ダイジェスト版
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「長恨歌」と紫式部玄乗ジ騎、黄く白詩受容の展開●井陘口の戦い関係図作者・司馬遷(前一四五~前八六?)れ、十歳頃から儒家の経け書しや諸子の書を学ぶ。父の司馬前漢武帝期の歴史家。竜り門もん(現陝せ西せ省韓か城じ市)に生まして見聞を広め、伝承を採集し、各地の物産や人々の気あった。司馬遷は二十歳の頃長ち江こ流域、山さ東と地方を遊歴性に通じるようになった。二十二歳のとき、郎ろ中ちう(侍従して歴史記録の執筆を託される。三十八歳で太史令になると、宮中の資料を自由に読むことができるようになり、四十八歳のとき、匈き奴どと奮戦して捕虜になった李り陵りう(郎中の文書を扱う)となって、ついに「史記」を完成させた。コラム2◉漢文常識語● その他、人物を指す語鞭べん 声せい 粛5 粛 夜 過わたル 河ヲ暁ニ見ル 千 兵ノ 擁スルヲ 大6 牙ヲ勝チニ 而 進ム。宇う 佐さ 美みしおと擠お  ス 之ヲ 於 河ニ。信 玄騮りう 馬ば、以もつテ 白 布ヲ 裹つ面ヲ、抜キ大刀ヲ来タリ、呼ビ曰いク、「信在ルト。」信 玄 躍をどラセテ 馬ヲ 乱わ河ヲ、将ま子し 在ル 此ここニ *乎かト。」挙ゲ刀ヲ撃ツ之ヲ。信持ツ 麾13 扇ヲ 扞ふせグ 之ヲ。扇折ル。又撃チ斫き遺 恨ナリ 十 年 磨キ 一 剣ヲ流 星 光 底ニ逸ス 長9 蛇ヲ 4 7だ  8テ 3ヲ い  1き テ た ニ テ  信し2ん 玄げん 潜ひそカニ 下シ令ヲ、張リ絚お而渡リ、伏セ旗き手兵ヲ横撃シ破リ之こ、騎走ル。有リ一(山陽詩し鈔せ)2不識庵 3機山 5粛粛 4●声 7遺恨 6大牙 8流星光底 訳流れ星のようにひらめい9長蛇 径へ2信玄 1川中島 れヲ3絚 4旗幟 わう 6謙信 5蘆葦 襖あ7麾下 8潰走 玄* 何い9宇佐美定行 づクニ 11「黄横襖撃騮」馬と は、どのようにすることか。の中の「新し楽が府ふ」をひそかに進講していたと、『紫式部紫式部は、中宮彰し子しが興味をもったので、『*白氏文集』日記』に記しています。女は漢籍など学ぶものではないという通念があった王朝人にとっても、白居易だけは特詩のこと) が日本人に寡か人じ好まれわたたのし。は諸、侯平が自易分明の快ことでをあ謙る遜しこていうま。でが政治的権力をもつにいたっ役た人楊。貴上級妃のと役は人。異なり、た世界に、日本人の心臣しを打つわもたのし(が男性あ)。っ臣た下かがら君主こにそ対、して日自分のさことれをま謙し遜したて。い「う桐。壺」の巻布ふは衣い、「長官恨位歌の」ないの者「。男庶民女。の愛ととがその第一の理由に孤こ挙げらわれたまし。す本が義、は「白ひ居とり易」。の王表や現諸侯しの謙称更。衣は政治的には非力な、吏りはかな役げ人な。女下級性のと役し人。て描き出本における白詩受容が妾し展開しわてたいし(っ女性た)。と君言主えやる主人でにし対ょしてうへ古。り典く別だ世っれ界てのいビ悲うュ。劇」ーと|い②う戦一面術を百ひ重姓せ視し庶て民取。り人民こ。む 「こひとゃにくしよょっう」と読み、「農民」。『白氏文集』の中でも、特*に四「語と長も恨会話歌文」中のは謙日称と本し文て 「学わたにし」の意てで用、い帝られとる更。衣の愛の悲劇を客か演出し旅た人と。言食客え。「るで客か舎しし」ょは「う旅。館」、「客か船せ」は「旅人を乗せた船」。大きな影響を与え●ま 相し手をた指。「して長い恨う歌語」(二は人、称白)詩の伝「来戦し術」「と長は恨、歌兵」力はやそ兵の器後なもど、の悲遊ゆ軍劇子し備的をな基愛旅に人をし。謳う、うそ名れ作にと地しのて利、を踏また平安時代の多くの作子し品をはあじなめた。と成し人てした、男中子世に対ですはるえ『敬て称太立。てら長れくる日戦本いで方愛を好言さいれまてすい。っ傾けこた国このの紀で元絶す前世。の二美世人紀。「頃傾けに城せ」はも同、じ戦意国。時代享受されていったのです。平記』、近世では『好色一代男』など、長きにわたのっ縦て横家の考さえてが、再白認居識易さ自れ身、は「2政合 階治従級的・・な連資主衡格張」等をにのこ関外めす交たる術諷ふ語を諭ゆ応詩用にし力た「団ここでは、「長恨歌公こ」の影響あなをた受。け年長た者平や安長老文な学どのに対中す韓でる信、敬は称。圧う倒し的たな諷趙諭の詩大も軍数を多前くに引し用相してさ「れ背て水大いの臣ま。陣す」。を中敷宮きへ、の兵「士新たちに『源氏物語』への影響を具体的*三に語見ともて会い話文き中まの敬し称ょとしうては「。『あ退な源路た」のを意断楽でっ用府いて」ら必れ進る死講。のの覚挿悟話をと持併たせせて諸し、、侯こ指紫揮式官天部た子がかち白らに領詩は土のを「世も趙ら界をいの君破意主っ図とてなっかてらいる者。氏物語』では、冒頭の客か「桐壺あ」なのた。巻おにま「え。長見恨知歌らぬ」人のを会影呼食ぶ響を語。しよをう深」くと理言解っしてて勝い利たのこ望とみが卿けをう持かたが大せえ臣、ま「なすど団の。(結要吉職」を井を担美図う弥こり子とま)がす多い。位一階。ょうょう卿け聖せ人じ学が者し君く子しょう大だ丈じ夫ふょう小し人じぼる人じ間か信し玄げが一騎打ちを演じた。詩は、この鬼き江こ党と河かょう城じ一い日じょう重ち陽よ須し臾ゆゃく光こ陰い百ひ代だ仁じテ 礼れう 義ぎゆ あなた。君主が臣下を呼ぶ語。また官吏間や夫婦間で互いを呼結ぶと語離と反して」をもの用入策いれら略てれがるい、。た「と戦伝術え」らにれもて一天てい定子しまのす影が天響下、『をを与源治めえ氏るて物者い語。天ま』命にしをはた受そけ。天帝に代わって行うことからいう。(趙軍混乱し高い知徳を身につ集け』たの理詩想は的「なさ諷人諭せ物」「、。閑趙儒適教の」「で感兵は傷士孔」子にたや分ち尭ぎ類ょをうさ・敗れ舜しゅる走ん・がさ、「せ新楽て府「」は離「反諷諭」」に、「①追長大恨夫い歌と込」庶はみ人「のま感間傷すの」。の身部分こ類。のに上戦所級収官い。には近、い者から庶民に近い者ま逃げ込む)で学ぶ者。徳のある立派な人物。対義語は「小人史」。伝Ⅰ徳のないつま20らない人。対義語は「君子」。古くからの友人。「故」は「古い」の意。一人前の立派な男。頼山陽 一七八〇~一八三二。江戸時代後期の儒学者・歴史家。名は襄の。「山陽」は号。書きつける。(一五三〇~一五七八)の号。㆒五六一(永え禄ろ4)コンパスと定規。転なじてく法、則生、基き準生。きとした「人物」の描写を連四しね書しること『大だにい学がよく』『中ち庸よ』『論ろ語ご』『官孟も)子しに』。な儒り家、で重三ん十じた代経前典半。には西方(四し川せ省)や南方(雲う南な戦国時代の武将、上う杉す謙け信し年、第四次川中島合戦で、謙信と武た田だ俗世間。人の世。~一五七三)の号。戦国時代の武将、武田信玄(一五二一正しいことと間違ったこ構と成。( 「全ど一うし三て〇も巻」の)意もある。ことを謙信の視点から詠じている。馬に当てるむちの音。ここでは、静かなさま。将軍の旗。郷里。村里。残念。無念。た剣の光のもとで。残忍で欲深いものの形容。ここでは、信玄を指す。①朝から晩まで。②「あ列る日伝。」に代表される構成なので、山陽詩鈔 八巻。頼山陽の漢詩集。頼山陽 三八ページ参照。満一年。歳月。時間。挟まれた三角地帯。二つの川はこの付今の長野市の千ち曲く川がと犀川に少しの間。しばらく。永遠。「はくたい」とも読む。近で合流する。慈しみや思いやり。儒教における最高の徳。武田信玄(三八ページ注3参照)。太い綱。人として踏み行うべき正しい道。行動の正しさ。旗とのぼり。戦国時代の甲か斐い(今の山梨県)の武将。上杉謙信(三八ページ注2参照)。社会秩序を維持するための、日常的な礼儀・作法や社会的慣習。イネ科の植物のアシ(ヨシ)。大将の直属の兵。戦国時代の越え後ご(今の新潟県)の武将。直属の兵。上杉方の武将。陣が崩れて敗走する。黄色の陣羽織を着て、栗毛の馬に乗り。「こやつめ」と見下して言う言葉の意。一〇ページ注5参照。ここでは、大将が軍を動かす際に使う軍扇。 研究者。側近の家来。「左右に控える者」の意から。科挙の進士科の試験に合格した者。 死んだ人。①外皮のついたままの穀物の総称。②食料。俸ほ禄ろ。③「あわ」と読み、穀物の一種。 「っにてんげ、ん歴」と史読をみ再、史人伝現・Ⅰし人て類。いる。「人物」は英五ご雄経きや豪傑『易え、き経き君ょう』『書し経き』『詩し経き省』『)に礼ら記き赴』『い春して秋じい』。る儒。家三で重十ん六じ歳たの経典と。き父が亡くなり、遺命とに位を譲った。で、舜から位を譲られさてれ天た子と。なしっかた。し、「史記」を書き終えるのが自分に課され左夏かペ王ー朝ジの開祖。尭・舜中のの二と帝にき仕のえ同洪水僚を)を治め弁て護功し績が、あ武っ帝たのの怒りに触れて宮き刑けに処左ページ左ページ挙げ用いるという意味。北方または西方の異民族の総称。秦し、漢以前は主に匈奴をいい、兄弟の序列を示す語。「伯」は長兄、「仲」は次兄、「叔」はその次、叔・季き「季」は末弟をそれぞれ示す。名字。家族や血統を示す。誕生のときにつける本名。自称のとき、親や師が呼ぶときに使う。成人した男子に本名のほかにつける名。他人が呼ぶときに使う。死者に対して生前の功績にちなんで贈る尊称。*『白氏文集』方の中でのが「新ら楽空府き」/に楽な府(っ主たに趙漢代ののと、民り意でをに反大た自映い夫ふし軍たの歌旗謡卿を)とを士立踏のてま間え、の作位趙ら階軍れ。たの上詩級戦。『の意白官を職氏を文喪担失うことが多い。愛あの描写には、玄宗皇帝の楊貴妃への寵愛ぶりが重ね合豎じ子し官かゃくよう進し士し左さ右ゆ粟ぞょうゅうょうゅんょうょうゅう匈き奴どょう伯は・仲ちう・しゅく姓せ字あおくりなざながとりわけ強く見られます。桐壺帝の桐壺更衣への寵ちわされています。また、楊貴妃の死後に悲しみにくれるった後…の…帝み 和かど漢の異悲義嘆語が表現される場面もあります。玄宗を描き出した「長恨歌」の詩句を用いて、更衣を喪うただし、玄宗の寵愛を受けたこ①と子にどよも。っ②て小、僧。そ青の二一才門。人を罵るときに使う語。術」に結実したものなのです。敵・味方両軍の「心理」を巧みに操った韓存信在すのる策。②略学が徳功のあをる奏者。し、「戦「人物」でつづる歴史「史記」は伝説時代の黄こ帝てから司し馬ば遷せの生きた前漢の「春秋」・「戦国策」などの資料や司馬遷自身の見聞をもとに記されているが、単に出来事の推移を追うのではさせずに未来に伝えるべき「人物」が選ば尭ぎれ・て舜しいる中。国・古代伝説上の帝四王十。二儒家歳でか理ら想の本聖格天的子とに仰「い史だ。記尭」はの舜執筆に取りかかった。・本ほ紀ぎ・列れ伝で人物の事跡を記した「本紀」と「紀伝体」と称される。この形式た。「編年体」と並び称される歴史書の構成形式である。ょうしなきゃくしゃきゃくせんゅうょう談だは天文・暦法・国家の記録などをつかさどる太た史し令れでょうょうょうゅんゅうょうゅうゅう   の     従 士    玄    すン      59  数 十        5   下      1ちまわ川18 7 412 き ん 撃 3 ういんうんんいくけえぎんんいんういうつうんんいんゅうちうんんんいんくゃいんつ諡ょょくゅいいいいくきんんんうくくんいんついんんょんんんんんうんうょいくょいういんんいんいんょいいうんううゅ―くうょういんいんんいい  たうくういくんくやくんいいめまん水すいんゅ22ほづなはニ 犀さゆう川かわい うス幟し ヲ下か。麾潰く走そ。信定さ行ゆ等ら、以ひきヰテ 10与とつミ とまアたリ さニ 逃レト。騎モ亦ま乱リ河ヲ罵リ曰ハク、「豎じ暇い抜ク刀ヲ。以テ所ノ不ず ノ 斐ひ其そ肩ヲ。甲か題ス不ふ 司馬遷の旅地図中島戦い日本の漢文識し庵あ機き山ざ図ニツノんヲ頼ら山さ陽や日本の漢文頼ら山さ陽や▼(軽騎兵二千人司う裏道伝いに進む)馬遷が訪れた地を見てみよう。井陘口是ぜ非ひ規き矩く故こ人じ武ぶ帝て期までを描いた歴史書で、「正史」の第一である。禹う4225 背水の陣38113 コラム 2(漢の赤旗二千本を立てる)(太鼓や旗を捨て(とりでを開いて迎撃)趙壁逃走)(太鼓を打ち鳴らし前進)(とりでを 空にして 追撃)(漢軍、趙軍を撃破)(水のほとりの軍)(とりでに退却)(泜水に至る)6 倫理・学問等に関する語9 名前に関する語8 年齢に関す後るに語広く「史記」写本塞さ外がの異民族やその居住地をいう。北ほ狄て。5 時間・暦等に関する語4 地理・自然に関する語3 社会一般に関する語 ル  ノ 13麾扇 テ ラ テ テ 11テ 12期き年ね胡こ名な陰の暦枝九を月頭九に日挿のし節て句菊は。酒小を以高飲後いみの丘、や厄「山を正に払史登うり風」、習に茱しがゅも萸ゆ(ある引カ。きワ菊ハ継のジ節がカ句れミ。)司馬遷川中島合戦図屛びょう風ぶ1題 都黄こ長ちょう河が市う江こ。。う。町単単。にに中北南国方方のの「の都「川・・・市川」は」の書し表ひ世せの城意ょい意家か壁味味  でにで囲用 八 一 三 七 一用まいい巻〇〇〇二れらら…巻巻巻巻てれれるい……………るたここ……………とこと暦世せ帝諸帝とももかあ法系け王侯王あるら・表・ののるい。。経・諸記記う。済年侯録録・表以儀な外式どの・人制々桀け科か度の・挙き紂ちの記記録録隋ず桀いなは代夏かど王ら朝清し最代後まので暴実虐施たなさ使王れ。た命紂官では吏あ殷い登用王る試朝と験最し。後科の、目暴生に虐きよなっ王延て。び人て材を宦か官がとなり、中ち書し令れい(宮て①角死や者牙のを霊持魂ち。、幽人霊子でを。捕の②あら妖みるえ怪でた。。りはた 「すなだるおい想にし像」。、と上殺そ読のみしう怪、物屋し人。・た間侠きの分姿客か野を・のし道「化人者7物な」 歴どで史、も・実、政埋に治も多等にれ様関する語首北長方をの単ぜ異ん民于う族と。い遊う牧。騎馬民族で、しばしば中国に侵入した。その禹うなどを指す。士しん綿蔓漢軍の動き趙軍の動き別でなも存と在りでわあけっ、日た1●よ本 自 人うで分ので崇を呼す敬指称し。さにて白れ関い居ますうる易し語語はた(自、。称唐白)代詩の(詩白人居の易中の(「古典世界ビュー」「漢文常識語」「コラム」「QR」)文章理解に役立つ古典常識を解説した「古典世界ビュー」を採録。漢文に頻出する語をまとめた「漢文常識語」や漢文への興味が広がるコラム、作品に関する資料が見られるQRも充実。▶P50・52・54へ教科書紙面上の二次元コードを読み込むことで、学習の参考となるデジタル資料を見ることができます。共通のテーマ・内容を持つ複数の文章を読み比べることは、共通点や相違点に思いをめぐらせ、文章をより深く、正確に読解することにつながります。古典常識・背景知識の習得(「比較で深める」「政治と人間」)「比較で深める」では、同じ人物に関する異なる記述を味わう「鴻門之会」と「范増論/留侯論」を採録。また新たな単元として「政治と人間」を設置。同じテーマに関する複数(思想・文章・史伝)の作品に触れる事が可能。▶P46・58へ読み比べ学習文字のなかった日本で、漢詩の模倣から始まり、創作、そして日本漢詩は鑑賞する古典へと発展をしてきました。日本漢詩が最も大きな高まりを迎えた江戸の漢詩を中心にまとめました。▶P56へ日本漢文の変遷(近代日本漢詩4編と『日本外史』より1編)概概観観「史記」43蘆ろ 葦ゐ 中ちヲ、直ただチニ 襲フ 謙6信ノ麾き ハ ヲ  テ 10手兵 12豎子 

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