探求 古典探究 ダイジェスト版
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原文を読み解く魅力コラム4いぼりかどょうこの物語は世界各国で翻訳されているのです。ンステッカーの英訳例えば、アメリカの日本学者エドワード・G・サイデでは、桐き壺つの巻の冒頭部分は次のように訳されています。直訳すると、「ある御み代よに、帝みがほかの誰よりも愛する、第一級の身分ではない女性がいた。」となります。Ⅰ部「光源氏の誕生」の原文(一〇〇ページ1〜4行)と照らし合わせてみましょう。英訳では、「女御、更衣」という詳細な解説が必要となる語を省略する一方で、「時めく(帝の寵ち愛あを得て、栄える)」という語を、「帝がほかの誰よりも愛する」と説明的に言い換えているこ古典文学作品にはわかりやすい現代語訳なども数多く刊行されていますので、それらを読むことによって、あらすじを知り、古典の世界に親しむことも十分できるわけですが、それでも私たちはなぜ古文を原文で読むのでしょうか。ここでは、紫上の臨終の様子を描いた「紫上の死」(二〇三~二〇六ページ)の場面をもとに、古文を原文で読む魅力に迫ってみましょう。注目したいのは、体力の落ちた紫上が明石中宮のいるる」(二〇三ページ6行)と表現されている部分です。部屋に出向くことができない中で、「宮ぞ渡りたまひけ中宮が紫上のもとにいらっしゃった、というだけの内容を表すのに、ここでは「ぞ~ける」の係り結びが使われています。この係り結びは何を強調しているのかをぜひ考えたいものです。現代であれば、死の床に臥ふす母のもとに娘が来るのは、ごく自然な行為だと思われます。ところが、この時代の社会通念としては、身分上の制約の方が、親子の情愛などよりも第一に優先されるべきことでした。ですから、Inacertainreigntherewasaladynotofthefirstrankwhomtheemperorlovedmorethananyoftheothers.“TheTaleofGenji”(一九七六年)英訳では、「若紫」という巻名は「れています。私たちが読んでいる古文の印象からすると、ンダー)」、「光源氏」は「こうした表現には違和感を覚えるかもしれませんが、サイデンステッカー訳は、主観的な解釈を抑えた、原典に忠実な訳として定評があります。このサイデンステッカー訳が刊行されるより四十年ほど前には、イギリスの東洋学者アーサー・ウェイリーがかなり大胆に『源氏物語』を英訳し、好評を博しました。これらの英訳が出されたことが、他の外国語へと翻訳されていくきっかけにもなりました。その結果、海外における『源氏物語』読者が増え、『源氏物語』は今や世界の古典文学の一つともいわれるようになっているのです。ここでは、身分の上下からすれば、本来なら紫上が出向くのが当然だというニュアンスが込められたうえで、「(それにもかかわらず)なんと中宮の方がいらっしゃった」ということが、係り結びによって強調されていたわけです。つまり、係り結びが使われることで強い驚きの思いが示されていることから、中宮の方が紫上のもとに出向くのがきわめて異例の事態なのだという、当時の一般的な身分意識がうかがわれるのです。を超えても中宮が紫上を見舞うこの場面の意義をいっそこうした表現の示す意味を踏まえると、身分上の制約う深く味わうことができるでしょう。中宮にとって紫上がいかにかけがえのない存在であったかがわかるのです。このように、古文を原文で読み、その表現そのものに丁寧に触れて意味を考えることは、現代語訳を読むだけではなかなかすくい取れないような昔の人々のものの考え方や思いなどを深く理解できることにつながります。ぜひ原文を読み解き、古典の世界の魅力を直接楽しんでいきたいものです。theshiningGenji」Lavender(ラベと訳出さ(吉井美弥子)(吉井美弥子)207 コラム4『「源氏物語」の奥深さを味わう「物語」単元』を参照古文への興味が広がるコラムを、Ⅰ部に3本、Ⅱ部に2本の計5本配置。上記のコラムの他、「女手(平仮名)と平安時代の文学」「守銭奴から商人の鑑へ」「国語教科書の源流-『往来物』の話」など、いずれも教材と深く関連づけた内容となっており、古文への理解をより深めることができます。コラムについて、本ダイジェストP29 31

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