探求 古典探究 ダイジェスト版
23/68

  古典世界菅原孝標女の歌この山の上より、月もいと限りなく明かく出いでたるを眺めて、夜よ一ひ夜よ、*寝いも寝られず、悲しうおぼえければ、かく詠みたりける。わが心慰めかねつ更級や姨6捨山に照る月を見てと詠みてなむ、また行きて迎へもて来にける。それより後なむ、姨捨山といひける。慰7め難しとは、これが由になむありける。 と ―まひ5な えのぶり(第百五十六段)6姨冠か捨着き山山 の今別の称長。野県千曲市南部にある7慰め難しとは 訳(姨捨山を引き合いに出して)慰めがたいというのらはな。*寝も寝られず物語と日記わが心慰めかねつ更さ級しや姨捨山に照る月を見てこの歌は、信しの濃の国に更級の郡に、姨捨山といへる山あるなり。昔、人の、姪めを子にして、年ごろ養ひけるが、母1のをば、年老いて、む2つかしかりければ、八月十五夜の、月隈くなく明かかりけるに、この母をばす3かしのぼせて、逃げて帰りにけり。ただ一人、山の頂にゐて、夜もすがら月を見てながめける歌なり。さすがに、おぼつかなかりければ、みそかに立ち帰りて聞きければ、この歌をぞうちながめて泣きをりけるの後、この山を姨捨山といふなり。そのさきは、かぶり山とぞ申しける。4冠かの巾こ子じのやうに似たるとかや。    ビュー|②詠み人知らず和歌が詠まれてから長い時間がたって、誰がどのような折に詠んだのかわからなくなってしまったものの、歌だけは伝えられてきたという作なると、撰せん者じゃが勅撰集を編集する際などに「詠み人知らず」という言葉者不明の歌は、『万葉集』にも多く見られました。『古こ今きん和歌集』以降にを作者名の位置に記していることが知られています。これは、古い時代に詠まれて作者が不明である場合のほかに、作者名がわかっていても著名な歌人ではない場合や、た平いらの忠ただ度のり(八〇ページ)のように、何らかの理由があって作者名を表記しにくい場合に記されていたと考えられています。「わが心」の歌(四六ページ)は、『古今和歌集』所収の「詠み人知らず」の歌です。これを、『大和物語』は男が詠んだ歌とし、『俊頼髄脳』はおばが詠んだ歌としています。作者不明の「詠み人知らず」の歌は、多くの場合「詞ことば書がき」(和歌の前に置かれ、題や作歌事情などを記したも解釈を喚起し、さまざまな物語を生み出す力を持っていたといえます。の)が記されていないこともあって、歌が詠まれた事情について多様ななお、菅すが原わらの孝たか標す女むすめは『更さら級しな日記』で、「わが心」の歌を踏まえて、亡き夫の任国信しなの濃にある更級の姨捨山にちなむ歌を詠み、老いの孤独を表しました。『更級日記』の書名も「わが心」の歌に由来するといわれています。夜もすがら月を見て、ながめける歌〔俊頼髄脳〕1母のをば、年老いて 訳養母であるお2むつかしかりければ 訳世話をするの3すかしのぼせて 訳だましてこの山に4冠の巾子 冠の頂上後部に高く立てるばが、年老いてきて。が厄介になってきたので。登らせて。もの。髻を差し入れる。深める手がかり 「大和物語」と「俊頼髄脳」の相違点をまとめ、その相違点がどのようなよう。ところから生じているのか、考えてみな『日更々級を日送記る』孝の標末女尾の近もくとにに、、夫甥おのいが病久死し後ぶ、り孤独に訪ねてきたことが記されます。その折に孝標女が詠んだのが、次の歌でした。月が出ているならともかく、月も出ず闇に暮れている姨捨山夫に先立たれて悲に、どうして今宵あなたは訪ねてきてくれ嘆の中で過ごしている年老いた私のところたのでしょう。「わが心」の歌を踏まえながら、孝標女の老いの悲愁が表出されています。冠着山(姨捨山)むりもとどり1549 俊頼髄脳読み比べ学習の意義、そしてその先へ共通のテーマ・内容を持つ、複数の文章を読み比べることは、共通点や相違点に思いをめぐらせ、双方の文章をより深く、正確に読解する力を身につけることに繋がります。「文章を正確に読み解く力」は「課題を解決する力」に結びつきます。読み比べ学習はそれを実現するための有効な手段です。21  な月にもと出いてで今こで闇宵よひにたくづれねた来るつ姨ら捨むに

元のページ  ../index.html#23

このブックを見る