探求 文学国語 ダイジェスト版
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(511  1ハリソン・フォード Harrison Ford(2「逃亡者」 アメリカの映画「逃亡者」ポスター一九四二~)。アメリカの俳優。映画。一九九三年公開。監督はアンドリュー・デイヴィス。「とた筆い者へがん評適価切すなる表の現は」なぜか。ハ1リソン・フォードはあるインタビューで、「2逃亡者」では「監督、主演、製作」を兼filmmaker)務して映画をコントロールしていたそうですね、と問われてこう答えています。「それは違う。ぼくは監督でもプロデューサーでもない、ぼくはフィルムメーカーだ。それはチームの一員である、ということだ。」これは映画作りに携わる人間の言葉として、たいへん適切な表現だと思います。「フィルムメーカー」はプロデューサーや監督だけを意味するのでなく、映画の製作に関わったすべてのスタッフ、キャストの一人一人の自称であると同時に、彼ら全部を含む集合名詞である、とハリソン・フォードは考えているようです。私はこの考え方に賛成です。とりわけそのような無数の人々のネットワークだけが生み出す総合的な「効果」を「フィルムメーカー」という語で擬人化して表現することは以下の分析ではとても有用だろうと思います。文学評論Ⅱ内うち田だ樹たつる参加する観客 ―映画の「意味」映画の「意味」の形成には観客が主体的に参加している―映画の本質をテクスト論の観点から読み解く評論です。1050文学評論 〈Ⅱ部〉344

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