探求 文学国語 ダイジェスト版
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「舞姫」は恋ラブ愛の物語か?小説コラム 4「舞姫」は、今の日本の文章から見ると難解である。しかし、この難解さには、日本の文章の歴史が刻み込まれている。それまで、古文およびそれに倣った擬古文によって日本の文章は書かれてきたが、明治の開国によって西欧の文化が移入され、西欧の言葉と文体がそれらの文章に取り入れられた。これを一般に「明治擬古文」と呼ぶ。中でも「舞姫」の文体は、和漢洋三文脈を融合させた格調高い文体として文体史上価値が高い。「彼は優れて美なり。乳ちのごとき色の顔は灯火に映じて微うすく紅れなゐをに似ず。」(三七九・2)これは、エリスを描写したものである。エリスが「彼」と書かれているのは、まだの翻訳語である「彼女」という言葉が一般化していなかったからである。また、「~は~なり」という文体は、古文脈に〈主語+述語〉という西欧語の構文が入り込んだものである。「乳のごとき」は、「如ごと乳」という漢文の訓読が基となっており、「た裊をやか」「女をみな」は、漢語を和語で訓よんだ表現である。このような、主述関係を明確に小説Ⅳ潮さしたり。手足のかぼそくたをやかなるは、貧家の女を She 亭てい四し迷めいによって西欧の文学思潮の一つである写実主義がみな示す西欧語の構文と、感触に富む和語・和文脈、概念と論理を端的に明示する漢語・漢文脈の使用は、和漢洋三つの言語のコラボレーションであり、知情意が高度に融とけ合った典雅な文体を創り上げた点において、「舞姫」は日本の文章史における輝かしい成果といえよう。文学史においても、「舞姫」は大きな功績を残した。明治の日本では、まず坪つぼ内うち逍しょう遥ようとその後を受けた二ふた葉ば移入された。それに衝撃を受けた当時の文壇は、写実主義が西欧文学そのものであるとの観を呈した。そこへ、ドイツ留学から帰った森鷗外は、人間や現実をありのままに描くことを旨とする写実主義だけが西欧の文学ではなく、人間の情熱や理想を追求する浪漫主義もまた西欧の文学の重要な思潮であることを主張した。その実作の一つが「舞姫」なのである。この「舞姫」の発表によって、西欧の文学が写実主義のみに偏ることなく日本に移入されたのである。この小説は、主人公太田豊太郎が自らを「余」として主人公の設定から見える時代背景や、当時の西欧社会と日本との観点の違いを解説したコラムを掲載しました。40039

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