探求 文学国語 ダイジェスト版
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  小道具と時代背景|⑤官費留学豊太郎のドイツ留学までの略歴には、「名誉」「名を成さん」「我が家を興さん」などの言葉が並び、この留学が単なる個人の学びのそれではないことが描かれている。明治政府は、一八七二(明治5)年公布の「学制」五十八条から八十八条(「海外留学生規則ノ事」)、および一八七三(明治6)年追加の「学制二編」で、官選留学生の制度を事細かく規定した。その目的は、私費留学のかなわない優秀な学生たちを留学させ、帰国後、官に奉職させることにあった。そのため、留学生には国費から潤沢な支援が施されたが、同時に学びから生活に至るまでかなり細かい管理が行われた。明治初期は、あらゆる官庁が近代国家的な制度の確立期にあったため、留学生は帰国後すぐに、国家制度の根幹に関わるような仕事に着手する必要があった。当時の官費留学生は、法律、経済、科学技術、その他あらゆる学びを日本に還元するという、国家的な「使命」を背負っていたのである。エリスの側から見ると自分勝手な振る舞いと読まれがちな豊太郎の行動も、こうした当時の官費留学生が背負っていたものの重さを考えてみると、また違った様相が浮かび上がってくるのではないだろうか。ドレスデンでドイツ人軍医(中央)・フィンランド人軍医(右)と小説Ⅳ鷗外のドイツ留学作品内の事物が映し出す時代背景を解説したコラムを配置しました。1885〜1886頃399 舞姫1888188438ベルリンで日本人留学生と左端が鷗外森二等軍医独ドイツ逸国留学出発届鷗外(林太郎)が出発したことを報告する文書

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