探求 文学国語 ダイジェスト版
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どぎ5 00私は氷こ男おと結婚した。私が氷男と出会ったのはあるスキー場のホテルだった。氷男と知りあうにはうってつけの場所というべきかもしれない。若いひとびとで混み合った賑にやかなホテルのロビーの、暖炉からいちばん遠く離れた隅っこの椅子の上で、氷男はひとりで静かに本を読んでいた。もう正午に近かったのだけれど、冬の朝の冷たく鮮やかな光が彼のまわりにだけはまだ留とまっているように私には感じられた。「ねえ、あれが氷男よ。」と私の友人が小声で教えてくれた。でもそのとき私は氷男というのがいったいどういうものなのかまったく知らなかった。私の友だちもよくは知らなかった。ただ彼が氷男と呼ばれる存在であるということを知っているだけだった。「きっと氷でできているのよ。だから氷男と呼ばれているんだわ。」と彼女は真剣な顔つきで私に言とこおりった。まるで幽霊か伝染病の患者の話でもしているみたいに。顔つきを見るとまだ若そうだったが、そのごわごわとした針金みたいな髪には白いものが、まるで溶け残った雪のようにところどころ混じっていた。頰骨が凍った岩みたいにきりっと張って、指には決して溶けることのない白い霜が浮いていたが、それをべつにすれば氷男の外見は普通の人間の男とほとんど変わらなかった。ハンサムとは言えないかもしれないけれど、見ようによってはなかなか魅力的な風貌だった。そこにはなにかしら人の心を鋭く刺すものがある。とくにそう思わせるのは、彼の目だった。まるで冬の朝のつららのようにきらっと光る寡黙で透明なまなざしだ。それは間にあわせに作られた肉体の中の、唯一真実な生命のきらめきのように見えた。私はしばらくそこに立っ氷男は背が高くて、見るからに硬そうな髪をしていた。小説Ⅳ村むら上かみ春はる樹き氷男1034小説Ⅳ 〈Ⅱ部〉354

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