探求 文学国語 ダイジェスト版
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小説手法の模索 ―漱石の場合小説コラム 2漱石の作家活動はわずか十年程度でしかなかったが、その間に作風を大きく変えている。最初の作品である「吾わが輩はいは猫である」の語り手は猫である「吾輩」であり、「坊ぼっちゃん」も語り手は「おれ」である。「智ちに働けば知られる「草枕」の語り手も「余」であり、すべて一人称であることにまず注目すべきである。アマチュアとして小説を書き始めた頃の漱石の小説はほとんど一人称であったが、精神的な未熟さから脱しえていない坊っちゃんのように、見方が一面的であるという限界を伴った。写生文の試みであった「吾輩は猫である」を俳誌『ホトトギス』に長期間連載する一方で、漱石は写生文以外のさまざまな小説を試みている。ヨーロッパ中世の騎士たちの物語である「幻まぼし影ろの盾」や、ロンドン塔で刑死した歴史上の人物たちが二十世紀の世界に現れる幻想譚たん「倫ろん敦どん塔」など、それぞれ異なった虚構世界を描いた七編は人称も一人称に限らずに種々の物語を試みたもので、一冊にまとめて『漾よう虚きょ集』という表題で出版している。小説Ⅴ角かどが立つ。情に棹さおさせば流される。」というフレーズで美び人じん草そう」は三人称であったが、語り手の存在感が現れす生涯一人称小説でしか成功しなかった太だ宰ざい治おさむも、最初の創作集『晩年』では三人称形式を含めて民話・歴史小説・私小説・*メタフィクションなどさまざまな手法を試みているが、『晩年』が太宰の方法実験であったように、『漾虚集』は漱石が小説の手法と形式を模索した成果であるといえよう。東京大学文学部における講義をまとめた大著「文学論」が、文学とは何かを論理だけで説明し尽くそうと試みていることからも伝わるように、漱石は小説の方法について極めて意識的な文学者だったわけである。「吾輩は猫である」の後半には、一人称の語り手では他の人物の内面が語れないもどかしさが現れている。そのためもあってか、新聞社専属の作家となった第一作「虞ぐぎたぎこちなさがあらわである。次作の「坑夫」では一転、一人称に戻りながら主人公の意識を突き詰めて語り、それは小品集「夢十夜」の語り手にも継承されていく。続いて連載された初期三部作はすべて三人称形式であ 21226

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