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 1 太宗教科書171-172ページの治世の方針はどのようなものだったか、考えてみよう。十八史略     1史  伝天下を安定させる君主像は、「不能与君陥難」「路不拾  遺  」1よ  とう天「に下異を以な安っ定無てさいせ事るるか君、主取説像明は天し、「て不下み能よ」う与。と君陥で難は」「路ど不の拾遺」と「以無事取     有リ2路みちよ  よ上ニ 不ずう儒う書シに家な拾ハ請フ異や治遺おな道世去ラっ家がての行い理わる想れかとて、すい説るた「明と明し考君てえ〔」十みら八のよれ史条うる略件。か〕は、1234そ話「佞上執陽試臣書怒れし理    お天訳ぞ合道うも子理173 路不拾遺わねにれっをべり意固だへ見どてくけつを守怒ら奉のるみっうる。た臣。よよふ下り。ううをしな。て。ものであり、また、現実的にはどの一三ペ 1ーに 「ジ言可っ参 謂たの 照忠は乎。、。「」(忠一臣七一」・の3あ)りと方あをるどがの、よ斉う侯ながもこののとよう考 1 「以無事天下。」(一七〇・1)とは、ここではどのような考え方に対立するものとして述べられているか、説明してみよう。つはりとメン シテ 演 習えていたからか、説明してみよう。 2 「法令滋彰、盗賊多有。」(一七〇・4)と 1あ 「る可が 、謂な 忠ぜ乎こ。」(一七一・3)とあるが、斉侯がこのよう 2 のようになると老子は考えるのか、説明しにて言みっよたうの。は、「忠臣」のあり方をどのようなものと考さニえていたからか、説明してみよう。説苑  八七ページ参照。史伝さニ 太宗の治世の方針はどのようなものだったか、考えててみよう。みよう。晏子の考える「忠臣」とはどのような 1も のか、説明し十八史略     2  儒家や道家の理想とする「明君」の条件はそれぞれどのようなものであり、また 2「と納 か「。路不路ニ拾 不遺 拾ハ、 商遺チヲ、旅商野 旅宿焉野や。宿し」(焉一七。三・5)から、どのような世の中であっ演 た習ことがわかるか、まとめてみよう。 2  2 「路不 拾遺、商旅野宿焉。」(一七三  4    臣  1り           6 ヲ臣    164り                       而  習演   臣衣数年之臣下  ヲ                     べ5ンんいいりい1  取 2    5 演 習 妄死           り  2 1斉せい テ  2ん たヘテ レ ドモれヲ7やくヲ ドモ かチテ テ テ 用ヰ、有リ難死ス之ニ、是こレバ 也な。諫いさメテ 而政 治不ルと人ニ 間見れ 従ハ、出 1亡シ 而送ラ之ヲ、是レ詐さ為い君ニ、而不ル能ハ与也ト。」バ テ テ  1ント 2佞ねい んヲ 臣し者。曰いク、「願ハクハ 3陽いつはリ 怒リテ 以もつテ 試ミ1ヨ 之こ、執リ理ヲ不ざ屈セ者ハ直也な。畏レ威ヲ順したがフ 旨ニ者ハ 佞 臣  5テ テ たハチタルヲ用ヰ、有リテ 難 而 死スレバ 之ニ、是こ以テ 至 誠ヲ 治メ5ント 天10 下ヲ。」或あ商旅るヒ ト 請フ行 商重ク人シテ 法ヲと 旅禁ゼ人ント 盗ヲ。。上曰ハク、「当ま去リ奢しやヲ 省キ費ヲ、軽クシ 徭え7うヲ 薄ク賦ヲ、選―用ス廉吏ヲ。使メ民ヲ1詐為 れヲ也ト。」5順旨 天子の命に従う。 レ 也な。諫いさメテ 為い納い善ヲ於 ク 2バ ル レテ 也ト。」つテ 1テ ント 2い んヲ  ハ臣し佞ねテ とメン つはり 9づクンゾ シテ シ 8バ ス ルヲン ン タルゆくス 食有ラ後、上しやう 曰ハク、「吾われ老 子自ラ 一五文九ペ 章ー為サジ参照バ 。詐い、何ヲ以テ 責も以テ 至 誠ヲ 治メ不ずント 天能あ 与と奢しやヲ 省キ費ヲ、 対こ軽ク曰ハク、「シ 侯有レ徭え7ドモ 問ヒ難3うヲ 薄ク下ヲ。」或あ不ず於君死セ晏あシ 、賦ヲ 8出子し陥ルるヒ、亡ス曰いト 難ニク、「請フ選不ト忠―   臣送ラ。」君5用ス重ク之の  廉法ヲ曰ハ事つ9かフク、「ルハ 裂さ其そ  ノキ吏ヲ禁ゼ テ 地ヲ君ニン  *。使メ〔而何いト 盗ヲ か説ぜ  い若ん封ジ苑えん ト。」。上〕民ヲ23154シ送出難晏斉テ 亡子 侯 衣曰ハ教科書172-173ページ   付国晏あ春亡き難ク、「嬰え秋従命。 時す。う危代る春難。当ま食べ。秋のお。 執リ4斉時供 シのを代テ   景けのす理ヲ有リ有ラ去リ公斉る路み。。の  ち1大た上不ざニ 夫ふ ル不ず。  屈セ書シ拾ハ請フ者ハ87  遺お去ラ直賦徭 臣  租夫 也な役税。畏レ。。民威ヲに 5課順したさがフ 旨ニれる者ハ労佞働。余リ、自おのヅカラ 不ラ之こ謂いン  フ為サ、 忠ト疏わ  *乎 や爵し盗ヲト。」対ヘ而。安い貴ク曰ハク、「づクス ルン言ヒ之ヲニゾ 、用ヰテ 君ニ而 見ら有レン ル重クレバ 難用ヰス、  ル不終法ヲヲ 身死セ 、 邪や無シ出   ト。」自よ難亡スレド、臣モ 不ざ ル リ ハ 送ラ何ゾ 是こ、 可べ死セ レ 数76疏裂年路ニ 不 拾ハ焉 遺チ。謀リタルヲ、テ 見る商10 レバ 従ハ 、旅終身 野や不亡ゼ 宿し、ゆ臣く ス 何ゾ焉送ラ。ン 焉政。治若もと シ人 間言ヒテ 不 見ら妄死也。故ニ忠臣ナ者ハ、能よ ク 2納いレテ 善ヲ 於君陥ル難ニ者下之直ヲ乎や。朕方まバ 地而封之 訳土地を分け与えて領爵而貴難、」と之は上し、やどう う曰ハ後いク、「うこ吾わと、れを 指自ラ為サバ 詐い、何ヲ以テ責も1分主 をと貴すくるす。 る之。 訳6爵位を分け与えて身「す終か身。無善於偽君り、。」「と詐は」、余リも「臣、下為自おが」のヅもどカこラ う不ラこすでるはこ為サ盗ヲ。安い用ヰ重ク法ヲ邪や ト。」自よ是こ「偽り」の意。*可謂忠乎。[反語]何若。[疑問]*忠臣之事其君之」とは、どういうことを指すか。而不ル見れ従ハ、出也。故ニ忠臣ナ者ハ、能よ太宗。唐の第二代皇帝。者。曰いク、「願ハクハ 3陽いつはリ 怒リ以も試ミ之こ、之直ヲ乎や。朕方ま〔十八史略〕1詐為 偽り。「1上書 天子に意ヨ 3陽怒 訳うわべ2佞臣 れヲ也ト。」5順旨 4「執試理 さニ6上 さニ 8賦 7徭 9廉吏 「偽り」の意。「と納か。善於君、」と*可謂忠乎。[反*忠臣之事其君おもねり道理を之」とは、天子の太宗。唐租税。夫役。民清廉潔行商人深め説苑る 八七手ペーがジ参か照。り▼「政治と人間」の多様なあり方を捉えよう。政治と人間チタルヲ一三ページ参照。政治と人間政治と人間演 習てみよう。晏子の考える「忠臣」とはどのよ6上 9廉吏 清廉潔白な役人。うな世の中であったことがわかるか 深める手がかり ▼「政治と人間」の多様なあり方を捉えよう。ような治世が行われていたと考えられるか、話し合ってみよう。読み比べ学習172171 以無事取天下/不能与君陥難 レ ル  レ ケン10 リ  レ テ  シ10商旅 172 ル  ハ ニ  ハニ 173 路不拾遺53教科書65ページ定番「鴻門之会」に登場する留侯(張良)と范増について北宋の蘇軾が論じた文章を掲載。あわせて読むことによって、「鴻門之会」への理解がより深まります。教科書64ページ教科書53ページ教科書170ページ政治や君主のあり方をテーマにし亡シ君ニ、テ た、ジャンルの異なる三つの文章而而  不ル送ラを掲載。能ハ之ヲ、 儒家と道家のそれぞれにおける考是レ与  君詐さ1え方の違いに思いを巡らせます。陥ル難ニ者史伝×文章思想×文章×史伝

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