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52636363歴史物語古文ジャンル解説*漢詩や和歌の歌謡集*短編小説集*今い様よ歌の歌謡集▽文学作品と時代との関わりを眺めよう。*1命令のこと。天皇の命令に勅命とは、天皇・上皇のよって文集・詩歌集を編纂古代中国には、有徳の為政することを勅ちょく撰せんという。者のもとでは優れた漢詩文方がある。勅撰和歌集を編が生み出されるという考え纂することは、良き天皇ので、天皇を権威づけるとともと良き歌が詠まれたことや『日本書紀』をはじめともに、和歌の地位を、漢詩する日本の正史と同等に押し上げる意味を持つ。*2学の影響を受け、伝奇的な古来の伝承を踏まえ漢文内容を扱うものが、『竹取物語』をはじめとする作り物語である。それに対し、る比較的短い逸話を集めた実在の人物の和歌にまつわものが、『伊勢物語』をはこの歌物語の、一つの逸話じめとする歌物語である。に和歌が配されるという形がれ、以後、歌物語は作りは、『源氏物語』に引き継物語に統合される。*3后が住まい、女房が仕える内裏で、皇后・中宮など殿舎を指す。娘を入じゅ内だいさせ娘が受けられるよう、莫ばく大だいた有力者は、天皇の寵愛をな費用を用い後宮を飾り立房として集めた。そこに貴て、えりすぐりの才媛を女族の子弟が集うなどして、成されていた。文化の薫り高いサロンが形らのつみ保ほう元げんの乱1156平へい治じの乱1159鳥瞰文学史中古(平安時代)中古の概観  平安京遷都794遣唐使廃止894唐滅亡907『土と佐さ日記』935頃『平へい中ちゅう物語』962頃『うつほ物語』『落おち窪くぼ物語』『和わ漢かん朗ろう詠えい集しゅう』1012頃『 栄えい花が物語』1030頃 藤ふ原わ道み長な摂政に1016『狭さ衣ごろも物語』1070頃『浜はま松まつ中納言物語』  院政開始1086『讃さぬ岐きの典す侍け日記』1112頃『今こん昔じゃく物語集』1120頃『 唐か ら物語』1165頃  『梁りょう塵じん秘抄』1169頃 ょう太た平へ記︵小こ島じま法師?︶ょうゃく今こ昔じ物語集      ゃくょうゅうゅう■せ集じ抄十じ二に訓き﨟ろ抄う左ざ︵衛え六ろく門も波はん入羅ら道?︶ゅうゅう発ほ心し集︵鴨か長ちょう明めい︶宇う治じ拾し遺い物語ものゅう古こ今こ著ち聞も 集じょうょうょう太た平へ記︵小こ島じま法師?︶ま 鎌で倉十初三期代︒百神じ四ん武む十天六皇年~間仁に︒ん明み紀ょう伝天体皇︒四し 鏡きょうものものを中古と言います。平安時代は、律りつ令りょう制に基づく天皇中心       平安京遷都から鎌倉幕府成立までの約四百年間関政治へと移ります。さらに、貴族の力が衰退し、院政を経の政治体制から、天皇の外戚として藤原氏が権力を振るう摂て武士階級が台頭します。和歌文学の復権 平安京に遷都後、唐の文化がより積極的に取化が重要視される一方で、和歌は私的な場で詠まれるものとり入れられました。男性貴族の間で漢詩や漢文などの漢字文して、低い位置づけにとどまっていました。しかし、主に女性が使い始めた平仮名や片仮名が、漢字では難しかった細やかな心情の表現を可能にし、恋のやりとりの際など、和歌は男性貴族にとっても、重要なものとなりました。そして、十世紀初め、醍だい醐ご天皇*の*勅ちょく命めいにより、『古今和歌集』が編へ纂ささ物語文学の成立 古くから伝えられてきた神話や伝承もまた、れ、和歌は公的なものとしての資格を獲得します。漢詩文や仮名文字との関わりによって、物語という新しい文学の形をとるようになりました。十世紀頃には、「*作*り物『伊勢物語』『大和物語』『平中物語』が作られました。また、語」の『竹取物語』『うつほ物語』『落窪物語』、「*歌*物語」の男性が仮名を使って書いた『土佐日記』は日記文学という新しいジャンルを開きました。ます。藤原氏が天皇家と婚姻関係を結び、外戚として力を振政治の権力はしだいに天皇から藤原氏に移り女房文学の全盛 るうという政治体制が確立されていきます。摂関政治においては、后きさきが天皇の寵ちょう愛あいを受けることが重要です。そのため、れて、さまざまな優れた作品が世に出ます。道長登場で藤原*後*宮に優秀な女房が集められ、そこに文化的な雰囲気が生ま氏が全盛期を迎える十一世紀初頭、平安女流文学も全盛期を響を受け、男女間の情趣をさまざまな角度から描いた『源氏迎えます。「作り物語」や「歌物語」、『蜻蛉日記』などの影物語』が誕生します。以後、『浜松中納言物語』『狭衣物語』、「歴史物語」の『栄花物語』などが書かれます。また、『和泉も生み出され、先の『蜻蛉日記』とあわせ、「女流日記」と式部日記』『紫式部日記』『更級日記』『讃岐典侍日記』など呼びます。また、随筆の『枕草子』なども時を同じくします。武士の台頭 説話は平安初期にも見受けられましたが、仏教色が強いものでした。やがて武士たちが台頭すると、これまで焦点が当てられなかった、地方の武士や庶民たちの生き生きとした姿が説話に描かれるようになります。平安末期の『今れます。中世に入ると、この「世俗説話」を集めた作品も多昔物語集』には「仏教説話」だけでなく「世俗説話」も見らく生まれています。諸平安相を記した世俗説話とに分類される︒要素も取り入れながら叙事的に描いた作合戦を中心として︑ある歴史を説話的あった中世を代表するジャンルである︒品をいう︒武士が活躍する動乱の時代ですでに中古の中期︑﹁将し門も記﹂﹁陸む奥つあり︑中世前期の﹁保ほ元げ物語﹂﹁平へ治じ物話記﹂といった漢文体の先駆的な作品が作﹁平へ家け物語﹂がその形を整えてくる︒語﹂とほぼ同じ頃には︑軍記物語の代表将門記陸奥話記 保元物語平治物語広義には伝説・神話 話・昔話などをも含合戦を中心として︑ 記ある歴史を説話的語﹂と保陸元奥ほ物話ぼ語記同 じ頃には︑軍記物語の代表保元物語平治物語◇主要な軍記作品◇説話集一今この千昔じ余系編物譜収語録集の 最 大 の 説 話 集前九年の役を描く平家一門の盛衰を和漢混交文で描く建武の中興︑南北朝の対立など︿仏教説話﹀一千余編収録の最大の説話集 ︿世俗説話﹀    ︵たち橘ばなの成なり季すえ︶前九年の役を描く建武の中興︑南北朝の対立など平家一門の盛衰を和漢混交文で描く建武の中興︑南北朝の対立など◇1000年平︿安落おう竹た作ちけつ取と窪く期りりぼほ物物物の源源夜よ夜よと狭さ浜は狭さ浜はつつ語語物堤堤語まるまるつつ松ま松ま氏氏ののり衣ご衣ごみみ物語﹀つつ中ちろろ中ち 中中物物寝ね寝ねかももゅゅ物物うう語 納納語語覚ざ納な覚ざ納なへ語語め︵め︵︵︵ 言言言ご言ごばの︵︵菅す菅す んんむむ物物紫紫がが物物やららみみ原わ原わ系 ささなな源源語語らら︿ききもも語語物式式のの︵︵とと大や平へ伊い孝た孝た歌譜のの語い部部かかま菅菅頼よ頼よと和勢せ中ち標す標す物りりゅ原原︶︶え国く国く物物うの語に物孝孝女む女むの語語すす﹀女む女む標標語めめすす??めめ女女??︶︶??︶︶︶︶また故実先例を伝えるため︑日々漢文でく体に験随した・がっ感て想自・由見に聞書なきどつをづ︑っ筆たの散お文もむを日記は元来︑宮廷貴族が備忘のため︑記した記録であった︒しかし︑中古初期いう︒文学史上最初の随筆は︑中古中期の仮名文字の発明と和文体の発達により︑﹁枕まの﹁土と佐さ日記﹂であり︑続いて平安女流し丈じょたう記き姿﹂﹁を徒つ示れ然づしれ草ぐてさ﹂いがる書︒か続れく︑中こ世のに三は作﹁を方ほなく回想記に近い︶が次々に書かれた︒もって古典三大随筆と称している︒日記と通称される作品群︵明確な日付は土佐日記︵紀貫之︶枕草子︵清せい少しょう納な言ごん︶一〇〇〇年頃があ貴る族︒階級が衰退してきた平安時代後期◇って平表安さ期れのた読物み語物のと系して譜の話を指す︒◇を語栄え栄えいい仮と主花が花が名い物物な語語でう  歴︒物 平 平た史藤語え安安原風る中中物︒期期氏に語時︒︒の叙代藤ふ藤ふ述過じじ順原わ原わららし去ののの道み道み編たのちち長な長な年ががも栄のの体の光栄栄︒華華をををを歴懐たた古史物す◇に生主まなれ歴た史︑歴物史語上の人物や出来事など◇発平生︿安作当期り初物の︿語物作﹀ り語 物 の 語系 ︿﹀︿歌譜歌物語物﹀語﹀と呼とりかへばや物語とりかへばや物語日記は元来︑宮廷貴 記族が備忘のため︑の﹁土と土土佐佐佐さか日日ら記記︵京紀﹂ま貫でで之五あ︶十り五︑日間続のい旅て日平記安女流◇日な1000年1000年記く平と回蜻か和い和い蜻か土親兼か兼か安ねねげげずず家い家い佐王み泉み泉蛉ろ蛉ろ通想ええううののかと期式し式し日日称記きき妻妻らの部ぶ部ぶ記記のさに︵︵とと京恋日日藤ふ藤ふれ近ししまを主記記じじててで三原わ原わ︵︵るいらら要のの五人のの和和道み道み作︶苦苦十称ちち泉泉な綱つ綱つ品が悩悩五でなな式式のの日母は母は群次とと日物部部はは︶︶道道間語︶︶︵々記綱綱の風に明作へへ旅に書確のの日記品かな愛愛記すれ日た付は︒◇方方序章古︑段丈丈に典天記記︵︵大変三鴨か鴨か別地ものさ大異長ち長ちょょれのうう随明め明める体いい︶︶︒筆験一一︑二二閑一一居二二の年年叙述と︑整然む紫らさき式部日記︵紫式部︶徒然草︵兼けん好こう法ほう師し︶一三三一年頃のくちらのょ草そうう子しど﹂一で︑〇早〇く〇も年随頃筆に文成学立のし完た成えのがみがみえのにの今いま増ま増ま大おおすすえのがみ水みずにの増ますがみ更さら級しな日記︵菅すが原わらの孝たか標す女むすめ︶えの﹁源げん氏じ物語﹂と並ぶ平安文学の代表作︒約三土佐から京まで五十五日間の旅日記百段は︑類るい聚じゅう的章段︑随想的章段︑日記的親王との恋を三人称で物語風に記すとした構成を持つ︒和漢混交文体で無常観宮廷生活の記録と鋭い女房評などを表す︒ 鏡か 鏡か 鏡かがががみみみ   ま 南 平天 南批で皇判安北北五まも後朝朝十で︒期前前四十人︒期期代五物藤︒︒︒代中原後ご後ご編︒心氏鳥と鳥と年編のの羽ば羽ば体年紀繁天天︒体伝栄皇皇︒体を~~︒描後ご後ごく醍だ醍だいいが醐ご醐ご︑ 鏡か  鏡か  鏡か ﹁をと源げ表しん氏じすた物︒構語成﹂をと持並つぶ︒平和安漢文混学交の文代体表で作無︒常約三観土土宮親むむ紫紫らら佐廷王佐ささききか生と式式日ら活の部部記︵京の恋日日紀ま記を記記貫で録三︵︵之五と人紫紫︶十鋭称式式五いで部部日女物︶︶間房語の評風旅なに日ど記記すは﹁枕草子﹂に似るが基調は無常観︒とした構成を持つ︒和漢混交文体で無常観を表す︒宮廷生活の記録と鋭い女房評など序段と二百四十三段から成り︑広い見聞とは﹁枕草子﹂に似るが基調は無常観︒豊かな思索で随筆文学の典型を成す︒形式◇古典三大随筆◇平安期の主要な日記作品﹁◇◇の枕まくち古古らのょ典典草そうう子し三三ど﹂大大一で随随︑〇筆筆早〇く〇も年随頃筆に文成学立のし完た成 平天安皇末ま期で︒十後ご五一い代ち︒条じょ編う天年皇体~︒高倉天皇まで五十四代︒編年体︒天皇まで十五代︒編年体︒ 南北朝前期︒後ご鳥と羽ば天皇~後ご醍だい醐ご文学史的観点からの学習1100年讃さ少ぬ女岐きの時典す代侍けか日ら記お︵よ藤そ原四長ちょ十う子し年︶間の回想P.216『松まつ浦らの宮みや物語』1189頃P.66・234『*大お藤お鏡か原が氏み』の1119栄頃華を描くP.221『俊とし頼より髄ずい脳のう』1115頃鎌倉平家物語室町室町平安室町太た太た陸将平建い家武平へ平へ奥門い一の記記話記︵︵門中記小こ小この興 島じ島じ盛︑前まま法法衰南九師師を北年??和朝の︶︶漢の役混対を交立描文なくでど描く1100年1100年1000年讃さ讃さ更さ更さ和い蜻か宮親少少兼かねぬらぬらげず家い廷王女女み泉岐き岐き級し級し蛉ろえななうののの生と時時式し典す典す日日日き妻活の代代侍け侍け部ぶ記記記︵︵︵との恋かか日日日菅す菅す藤ふし記をらら記記記ががじて録三おお原わ原わ原わ︵︵︵らららのと人よよののの藤藤和孝た孝た道み苦鋭称そそかかち原原泉標す標す綱つ悩いで四四えなえ式長ち長ちのののょょ母はと女物十十女む女む部ううすすは子し子し︶道語房年年めめ︶︶︶︶︶綱評風間間へになののの記ど回回愛す想想P.50『更さら級しな日記』1060頃P.213『堤つ中ちゅう納な言ごん物語』1055頃P.179『む紫らさき式しき部ぶ日記』1010頃1100年P.98・188『源氏物語』1008頃P.58・158『ま枕くらの草そう子し』1000頃P.173『和いずみ泉式しき部ぶ日記』P.168『蜻かげ蛉ろう日記』974頃鎌倉沙し石せ集︵無む住じゅう︶鎌倉平安鎌倉沙し沙し■せ■せ発ほ発ほ三さ日宝ぼ石せ石せ心し心し本集じ集じうゅん絵え集集集集う霊り一抄抄︵︵︵︵詞こ今こ千と異い無む無む鴨か鴨かんばもも昔じ余︵住じ住じ記のの ゃゅゅ長ち長ち︵く編みううょょ 物︶︶なうう源景き収も明め明め ょ語といいう録の︶︶ 戒か為た集いのめ ︶十じ十じ古こ古こ宇う宇う  憲の最りっっ二に二に   ︶今こ今こ訓き治じ訓き治じ大﨟ろ﨟ろんんんん   著ち著ち抄抄うう拾し拾しの左ざ左ざゅょょ  ︵ ︵︵︵聞も聞もう説衛え衛え 遺い遺い六ろ六ろんんたたくく 集じ 集じ話門も門も ちち波は波は物物橘橘ゅゅんんばば集うう入入なな羅ら羅ら語語のの道道成な成なりり??季す季すええ︶︶︶︶1000年1100年1100年んんっP.32『 竹た け取とり物語』P.113〜『 古こ 今きん和歌集』905平安室町鎌倉平家物語1000年蜻か和い兼かねげず家いみ泉蛉ろえうの式し日き妻部ぶ記︵たこ知たこ知と日藤ふし︒る︒ここる記じて原わ︵学こ学ににこらのの和道み習と習ははと苦ち泉綱つのにの︑︑に悩な式の母はと部よ際際古古よは︶道︶︑文っ︑文っ綱ジてジ編編てへャ︑ャでで︑の愛作ンン扱扱作品ルルうう品へ内内作作へののの品品の理流流のの理解れれ属属解ををすををす深深る把把る方序章め握握各各め︑段丈に天るるジししジ記︵大変ここャそそャ鴨か別地ととンののンさ異長ちが作ルが作ルょれのう明めるででに品品に体い︶︒験ききののつつ一︑よよ文文いい二閑うう学学てて一居二︒︒史史概概の年上上略略叙述ののををと位位まま︑置とと置整ををめめ然56うまじちがんん67    5656いいいいいい  軍んうんいんうんいんい軍んきゃんっきゃんきゃんっんうんんうんんょんんっ 日日 随ううう随   いい説 説 い んうんい軍  日う 随 記 記 筆 話 記 記 筆は豊序﹁︑か枕天な草変思子地索﹂異でにの随似体筆る験文が︑学基閑の調居典はの型無叙を常述成観とす︒︑︒整形然式方豊序か段丈なと記︵思二鴨か索百もので四長ちょ随十う明め筆三い︶文段一学か二のら一典成二型り年︑を広成いす︒見形聞式と枕と序︑し草天た子︵変構清せ地成い少し異をょうの持納な体つ言ごん︒験︶︑和一漢閑〇混居〇〇交の年文叙頃体述でと︑無整常然観武士の台頭 後宮◇作鎌倉鎌倉﹁主平へ平平平保平平要い家治家治元家家け一な物物物物物物門語語語語語軍語の﹂盛記衰が作をそ和品の漢形混交を文整でえ描てくくる︒話あ平安平安記り﹂陸将将︑奥門門と中話記記い世記っ前 た期前漢九の年文﹁の体保ほ役うの元げをん先描物く駆語的﹂﹁な平へ作治じ品物が徒徒百序を章表段段段然然すにはと草草︵︵︒大︑二兼け兼け別類る百んんい好こ好こさ聚じ四ううゅ法ほ法ほれう十うう的師し師しる三章︶︶︒段段一一か︑三三ら随三三成想一一り的年年︑章頃頃広段い︑見日聞記と的もし丈じ﹁﹁ょ枕枕百百章ったう源げ源げ記き段段段んん草草て姿氏じ氏じにはは﹂子子物物古﹁を︵︵大︑︑語語清せ清せ典徒つ示別類る類るいい﹂﹂いいれ少し少しさ聚じ聚じ三然づしょょととゅゅううれれうう納な納な大草ぐて的的並並るさ言ご言ご章章ぶぶ随﹂いんん︒︶︶段段平平筆がる一一︑︑安安書と︒〇〇随随文文〇〇か称続想想学学〇〇的的ののれしく年年章章代代︑て中頃頃段段表表こい世︑︑作作のるに日日︒︒記記約約三︒は三三的的作﹁を方ほ◇◇日あ記る平平文主土安安佐学題期期日がの記のの誕も︵紀生と主主貫すに要要之る作︶なな︒者日日そのの内記記最面作作初を品品が表紀き現の貫つすら之ゆるき◇◇ す主主で要要になな中軍軍古記記の中作作期品品︑﹁将し門も記﹂﹁陸む奥つ権力 天皇から貴族へ藤原氏の全盛 女房文学の全盛作あ﹁っ平へた家け中物世語を﹂代が表そすのる形ジをャ整ンえルてでくあるる︒︒作語品﹁﹂を平へといほ家けうぼ物︒同語武じ﹂士頃ががにそ活はの躍︑形す軍をる記整動物え乱語てののく時代る代表︒で語あ要﹂素りとも︑ほ取中ぼり世同入前じれ期頃なのにが﹁はら保ほ︑叙元げ軍事物記的語物に﹂﹁語描平へのい治じ代た表物作あ話 記合り﹂戦︑とを中い中世っ心前たと期漢しの文て﹁体︑保ほのあ元げ先る物駆歴語的史﹂﹁なを平へ作説治じ品話物が的あ品あ話 っをっ記すすたいた﹂でで中う中とにに世︒世い中中を武をっ古古代士代たのの軍表が表漢中中す活す文期期る躍る体︑︑ 記﹁﹁ジすジの将し将しャるャ先ン動ン駆門も門もル乱ル的記記でのでな﹂﹁﹂﹁あ時あ作陸む陸むる代る品奥つ奥つ︒で︒が品要を素いもう取︒り武入士れがな活が躍らす叙る事動的乱にの描時い代たで作要 素合も戦取をり中入心れとなしがてら︑叙あ事る的歴に史描をい説た話作的な日記く記し回とた想通記記称録にさで近れあいるっ︶作たが品︒次群し々︵かに明し書確︑かな中れ日古た付初︒は期なのく仮回名想文記字にの近発い明︶とが和次文々体にの書発か達れにたよ︒り︑日まの記た﹁と故土と通佐さ実称日先さ記例れ﹂をるで伝作あえり品る群︑た続︵め明い︑確て日平な々日安漢女付文は流での記日 日ああのの仮し記日記るる仮﹁名た文記文主主名土と佐さ文記学は学題題文日字録が元がのの字記のでも誕来誕もの﹂発あ生︑生とと発日で明っす宮すにに明あとたる廷る作作とり貴和︒︒︒者者和 記︑文しそ族そのの文続体かのがの内内体いのし最備最面面のて発︑初忘初をを発平の達中がが表表達安に古紀きた紀き現現にのの貫つ貫つ女よ初めすよすらら之ゆ之ゆ流り期︑るりるきき︑︑記ましたた故記実録先で例あをっ伝たえ︒るしたかめし︑︑日中々古漢初文期でま た日故記実は先元例来を︑伝宮え廷貴るた族めが︑備日忘の々漢た文めで︑﹁﹁のいのもく しし丈じ丈じょょ枕ま枕まうっ体たたにううくくちち記き記きらら︒て験姿姿のの随しょょ﹂﹂草そ草そた文古﹁﹁・ををがううううっ子し子し学典徒つ徒つ感示示どどれれて﹂﹂史三然づ然づ想ししれれ自一一でで上大草ぐ草ぐ・ててささ随︑︑由〇〇最随﹂﹂見いい早早に〇〇初筆がが聞るるくく書の書書とな︒︒〇〇 筆ももき随かか称ど続続年年随随つ筆れれしをくく頃頃筆筆づは︑︑て︑中中にに文文っ︑ここい筆世世成成学学た中ののるのにに立立のの散古三三︒おははしし完完文中作作も﹁﹁た期たをを成成むを方ほ方ほいもうっ︒て文古学典史三上大最随初筆のと随称筆しはて︑い中る古︒中期いくく う体体にに︒験験随し随したた文・・ががっっ学感感てて史想想自自上・・由由最見見にに初聞聞書書のなな 筆きき随どどつつ筆ををづづは︑︑っっ︑筆筆たた中のの散散古おお文文中もも期むむをを◇水み今い栄え今い水みずいずまま主花が 鏡か 鏡か 鏡か 鏡か物ながががが語みみみみ     歴まま 平 平ま 鎌 鎌批 平たでで安安で判倉倉史え安十十末末五も初初る中物三三期期十︒期期︒期代代︒︒四人語︒︒時︒百百後ご後ご代物神じ神じ代藤ふ四四んん一い一い︒中じ武む武む順ちち原わ十十編心条じ条じら天天のょょの六六年のうう道み天天編皇皇ち年年体紀長な皇皇年~~が間間︒伝の~~体仁に仁に︒︒体んん栄高高︒明み明み紀紀︒ょょ華倉倉うう伝伝天天を天天体体皇皇た皇皇︒︒四し 鏡きょう四し 鏡きょう◇◇いめわ 平安うてる広説説︿︿話︒︑義三さ日三さ日仏仏話話宝ぼ宝ぼ本本内事にが教教集集絵え絵え霊り霊り主容実は説説ょ詞こ詞こう話話のの流上と伝とと異い異いばば﹀﹀︵︵記記のかし説  系系︵︵みみ  仏らて・なな源源景き景き譜譜もも  ょょとと教大民神ううのの  戒か戒か為た為たいい話間き説めめ ︿ ︿︶︶憲の憲のりり世世にく話・︶︶俗俗と昔伝は説説︑承︑話話話民なさ信﹀﹀衆仰れど生にたを活ま話も含をつの平  安P.45P.36『『大や伊いまと和勢せ物物語語』』物語文学の成立 作り物語・歌物語めば学1000年先れ史行る上︿う落お落おう竹た竹た文の二作ちけちけつつ窪く窪く取と取とり学傑系りりぼぼ物ほ物物物ほ物の作列語物語語物語語成﹁が語語﹀ 源げ果あ ん氏じをっ 物たみ  語がご︿大や大や平へ平へ伊い伊い﹂︑と歌いいままと和と和勢せ勢せ中ち中ち物はこにゅゅ物物物物うう語物物誕れ生語語語語﹀語語生からししをた︑は︒じ文学学的めめ ばっば 史史に先先本れてれ発発上上は行行来る表る生生のの主文文は二さ二当当傑傑に学学口系れ系初初作作中のの承列た列︿︿﹁﹁古成成のが読が作作物源げ源げ・果果類あみありりんん氏じ氏じをっをい中物っ物物物物をみたみ世とた語語 語語語ごがごもをしが﹀︿﹀︿﹂﹂と︑と含中て︑歌歌ははにこにむ心のこ物物誕誕生れ生がに話れ語語生生︑からか文をら﹀﹀しししをし文字指をととたた︑は︑学にすは︒︒呼呼文じ文史よ︒じ源夜よ狭さ浜はつ堤まるつ松ま氏の衣ごみつろ中ち中物寝ねもゅ物う納語覚ざ納な語め︵︵言言ご︵菅すんむ物紫が物らみ原わさな源語らきも語式の︵と孝たの部か菅頼よ標すり原︶国く孝女むす女む標めす?め女?︶?︶︶がる大お大おおおあ作 鏡か 鏡か品るがみや︒  ︑ 平批 平た判安安摂えも後後関る︒期期︒政人︒︒時治物藤藤代中原原を順心氏氏批のののの編判紀繁繁年す伝栄栄体体るをを︒︒描描作くく品ががな︑︑どがるあ作る品︒や︑摂関政治を批判する作品など和歌文学の復権 勅命諸わい諸わ相るう相るを話︒を話記が内記がし主容し主た流上た流世のか世の説俗仏ら俗仏説教大説教話説き話説 話と話くと話にとはにと分︑︑分︑類民信類民さ衆仰さ衆れ生にれ生る活まる活︒のつ︒のいめうて︒︑内事容実上とかしらて大民き間くには伝︑承信さ仰れにたま話つをめ て広︑義事に実はと伝し説て・民神間話に・伝昔承話さなれどたを話もを含的っ的 1100年に本本てには来来表は更さ讃さ少む紫ぬらら女級し岐きさ主ははさ主なのき時日式典すに口口にれ代侍け部記中承中承た︵こた知か日日菅す古の古の読らこ︒る記記が物物お原わ︵︵・類・類みに学こらよの紫藤孝た中い中い物は習とそか式原標すををと世世︑のに四部長ち 語 語ょもしををも十女む︶う際古よす子し年め中含含中て︶文︑っ︶間む心むの心編ジてのがにが話にでャ︑回︑︑文を文想扱ン作字文指字文うル品に学すに学作内へよ史︒よ史品のの理流の属れ解すををにに  をる深把徒豊序は生生貴貴仮各め握﹁段か然族ま族名ま枕ジるしとな草れれ階階で︵草二思ャそこ兼けたた級級物子百索んンのと好こ﹂四で︑︑がが語うル作が法ほに歴十随う歴歴衰衰風師し似に品で三筆史史退退に︶る史段文つのき一上上しし叙がか学い文よ三基物ののてて述らのて学う三調成典人人ききし一は概史︒語り型物物たたた年無略上︑を頃やや平平も常広成をの観出出安安のいすま位︒時時来を来見︒と置聞形事代代歴事めをと式な後後史な期ど期物ど語をる語と仮作とい名品いうでやう︒物︑︒藤語摂藤歴原風関原氏に政氏史の叙治の物過述を過去し批去語のた判の栄もす栄光のる光をを作を懐歴品懐古史な古す物どす日あ記る文主学題がの誕も生とすにる作︒者そのの内最面初をが表紀き現の貫つすら之ゆるき45教科書 巻末「上代/中古/中世/近世」の各時代の文学史の流れをまとめました。文学作品と時代との関わりを包括的に眺めることができます。教科書 巻頭「説話/物語/歴史物語/軍記/日記/随筆/和歌・俳諧/評論」といった、掲載作品の属する主要ジャンルについて、巻頭で確認することが可能です。古古文文ジジャャンンルル解解説説

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