探求 現代の国語/探求言語文化 付属教材・資料見本
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(陳舜臣『小説十八史略』)教材研究や授業研究に役立つ図書を掲げました。②孟嘗君が秦に招かれた背景参考図書鶏鳴狗盗史伝諸侯は富国強兵をめざして人材集めに狂奔したが、その下の支藩のあるじたちも、おなじように有能な人間を迎えようとした。その代表的な例は戦国の四君といわれる人たちであった。  斉の田でん文ぶん、すなわち孟嘗君。  趙の趙ちょう勝しう、すなわち平原君。魏の公子無む忌き、すなわち信陵君。  楚の黄こう歇けつ、すなわち春申君。  彼らは小型諸侯であり、彼らが身辺にあつめた人材も大型はすくなかった。たとえば、孟嘗君は斉の公族だが、斉には稷下のアカデミーがあるので、そこからおちこぼれた二級品を掬いあげることになった。孟嘗君の名を挙げると、「鶏鳴狗盗」という言葉が、こだまのように返ってくる。彼は二級でも三級でも、人物はどうでもよく、とにかく一芸に秀でた人間をあつめた。泥棒も物真似も、技芸のなかにはいる。戦国時代は、各地で産業を奨励し、道路を整備して、交通運輸の便をはかった。そのため、旅行がやりやすくなり、旅芸人や行商人が各地を渡り歩くようになった。彼らが情報伝達の役をつとめたのである。村や町でふりまかれる噂が、しだいに上層に達して、諸侯の耳にまで入る。諸侯は諸侯で、各地に諜者を放って、情報をあつめ、それを民間の噂と照らし合わせ、その正確度を測定したものだった。――孟嘗君はよくできる。当代、比肩する者はいない――という噂が秦の昭王の耳に達した。「孟嘗君を呼ぼうではないか」と、昭王は家臣に命じた。人材の交流が盛んであるとはいえ、斉王の一族である孟嘗君を、秦の王が招こうとするのだから、そんなにかんたんなことではない。招かれたからといって、のこのこ出かけ、むこうで殺されては物笑いの種になる。そんなときは、適当な人質を差し出すのである。人質についても、釣合いがとれているかどうか、くわしく検討しなければならない。はじめから殺されるのを承知で、値打ちのない人質を送ることもあったから。秦は涇けい陽よう君を人質に送って、孟嘗君の来秦を要請したのである。……だが、このときは話は成立せずに、沙汰やみになった。斉の湣びん王二十五年、また話が出て、孟嘗君の秦行きが実現した。紀元前二九九年のことである。・重野安繹『漢文大系十八史略・小学・孝経・弟子参考図書職』(明43/増補版昭48・冨山房)・辛島驍『新十八史略詳解』(昭34・明治書院)・林秀一『十八史略・史記・漢書』(昭41・學燈社)・林秀一『新釈漢文大系十八史略明治書院)・市川任三『中国古典新書版社)・丸山松幸・西野広祥『十八史略』(昭50・徳間書店)・森下修一『完訳十八史略社)教科書(一五二〜一五五)上・下』(昭42・十八史略』(昭43・明徳出上巻』(昭58・近藤出版・今西凱夫『中国の古典十八史略・竹内弘行『鑑賞中国の古典書店)・陳舜臣『小説十八史略社)上・下』(昭58/十八史略』(平元・角川上・下』(平8・毎日新聞             ょ          8560・学習研究社)*言語文化 指導資料(漢文編)

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