探求 現代の国語/探求言語文化 付属教材・資料見本
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上段には「書き下し文」を、下段には「現代語訳」を、対照して示しました。●書き下し文 ❶靖せい郭くわく君くん田でん嬰えいは、斉せいの宣せん王わうの庶しよ弟ていなり。❷薛せつに封ほうぜらる。❸子こ有あり文ぶんと曰いふ。❹食しよく客かく数すう千せん人にん。❺名めい声せい諸しよ侯こうに聞きこゆ。❻号がうして孟まう嘗しやう君くんと為なす。⓬客かくに能よく狗く盗たうを為なす者もの有あり。⓭秦しんの蔵ざう中ちうに入いり、裘きうを取とりて以もつて姫きにの後のちに悔くいて之これを追おはんことを恐おそる。⓲客かくに能よく鶏けい鳴めいを為なす者もの有あり。たして至いたるも、及およばず。●現代語訳鶏鳴狗盗教科書(一五二〜一五五)史伝昭せう王わうの幸かう姫きに抵いたり解とかんことを求もとめしむ。❿姫き曰いはく、「願ねがはくは君きみの献けんず。⓮姫き為ために言いひて釈ゆるさるるを得えたり。⓯即すはち馳はせ去さり、姓せい名めいを変へんじ、狐こ白はく裘きうを得えん。」と。⓫蓋けだし孟まう嘗しやう君くん、嘗かつて以もつて昭せう王わうに献けんじ、他たの裘きう無なし。夜や半はんに函かん谷こく関くんに至いたる。⓰関くんの法はふ、に鶏はとり鳴なきて方まさに客かくを出いだす。⓱秦しん王わう⓳に鶏はとりこ尽とごとく鳴なく。⓴遂つひに伝でんを発はつす。�出いでて食しよく頃けいにして、追おふ者もの果はわわわゆなり名を文といった。❹(田文の)食客は数千人。❺その評判は諸侯の間で有名であった。❻(彼は)孟嘗君と号した。申し込んだ。❽(孟嘗君が)秦に行くと(昭王は)これを引き止め、捕らえて殺そうとした。❾孟嘗君は人を昭王の寵愛している女性のもとへやって自分を解放し救ってくれるように頼ませた。❿(すると)その女性は、「どうかあなたのきつねの白い皮衣をください。」と言った。⓫実は孟嘗君は、先にそのきつねの白い皮衣を昭王に献上し、ほかの皮衣がなかった。⓬食客の中にこそ泥の上手な者がいた。⓭(その者が)秦の蔵の中に忍び込み、(先に献上した)皮衣を盗み出してそれを女性に献上した。⓮女性は孟嘗君のために取りなしてくれたので(孟嘗君は)釈放されることになった。⓯(孟嘗君らは)すぐに馬を走らせて逃げ、姓名を変えて、夜半に函谷関にたどり着いた。⓰(しかし)関所の規則では、(朝になって)鶏が鳴いて初めて旅人を通すことになっていた。⓱(孟嘗君は)秦王が後になって(自分を釈放したことを)後悔して追ってくるのを恐れた。⓲食客の中に鶏の鳴きまねの上手な者がいた。⓳(その者が一声鳴きまねをすると、付近の)鶏がすべて鳴きだした。⓴(関所の役人は)そのまま通行を許可した。�(孟嘗君らが、関所から)出てまもなく、追っ手が果たしてやって来たが、間に合わなかった。込んだ。�秦は城(町)を割いて与え(斉と)和睦した。 ❶靖郭君田嬰は、斉の宣王の異母弟である。❷薛の領主になった。❸子どもがお ❼秦の昭王が、彼の賢明なことを聞いて、そこでまず人質を斉に送って、会見を �孟嘗君は、(斉に)帰って秦を怨み、韓・魏とともに秦を討ち、函谷関まで攻め書き下し文・現代語訳 秦しん城し�ろを孟まう割さ嘗しやきう君くてん、以も帰かつてへり和わてす秦し。んを怨うらみ、韓かん・魏ぎと之これを伐うち、函かん谷こく関くんに入いる。�79 求もと❼む。秦しん❽の至い昭せたうれ王わうば、則す其そなはちの止と賢けどんめを、聞き囚ときらへ、て乃すな之こはちれを先ま殺こづろさ質ちんをと斉せい欲ほにつす納い。れ❾、孟ま以もう嘗しつてやう君く見みん人ひんとをこしとてを*言語文化 指導資料(漢文編)

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