探求 現代の国語/探求言語文化 付属教材・資料見本
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載しました。指導資料各分冊の巻末にまとめて掲載していま物軍語記すと。伊勢物語(芥川)振り仮名付き本文総覧  て行いきけり。道みち知しれる人ひともな人く々てとは、対惑まど極ひに行い位き置けすりる。、高貴な女性との恋であり、教科書(古文編全教材)伊勢物語 筒井コラあムるが、その中で「惟喬親王」と「男」との印象的な 「 伊伊勢勢物の語」は斎平宮安と京の「貴伊族社勢会物の中語で」生まれた、恋をそ中の心恋とのしうたち歌、物後語ので「あ二にる。じ条ょうの后き高たかい子こ」と「男」との許されぬ恋が、物語が開始されて間もない第三段か和天皇の女御となる高子との恋が許されるはずはない。やむなく、男は高子を盗み出して連れ去る。教科書に取り上げた第六段「芥川」は、女を連れて逃げる途中の場面だが、そこで女は、その兄弟によって、男の手から奪い返されてしまう。この許されぬ恋の代償は大きく、続く第七段から、「男」は京を離れて東の国へと漂泊することになる。すなわち「東下り」の物語である。教科書に取り上げた第九段「東下り」は、その中心となる部分で、「伊勢物語」前半部分を特徴づける、時の権力から見放された「男」の姿が描かれている。 「東下り」の後も、男と女の恋の場面が、歌を中心にしてさまざまに描かれていく。その中で印象的なのが、教科書でも取り上げた第二十三段「筒井筒」と、第二十四段「梓弓」などである。しな百が二ら十年五齢段をに重及ねぶて「い伊く勢男物の語姿」をの彷ほ後う半彿ふつはと、さ宮せ仕るえ章を段が続く。むろん、権力の座には遠い不満な宮仕えでは親しらん王のれうとるの。伊恋勢が、神第宮六に十仕え九る段「斎狩宮りとのの使禁ひ断」のを恋は中認心にめ振語らりへ当仮のた名丁る寧か付なら接でき待あ本をる指。文示し総た覧のだが、それは男が親族にさきれるはずはないが、惟喬親王と業平とは縁続きであり、惟喬親王は恬子内親王の同腹の兄であったことから生じた恋であった。 ところで、それだけ重要視泣なさけれどた第も六か十ひ九な段しの。「狩りの使ひ」の場面とはどのような白し内ら容玉たまなかの何なにかぞ、と以人ひ下とのに問とひしのも女と章の、き段で惟これのす喬た露つかゆ最)のと親後と答こ王たに記へのはして妹「て消き。斎」、宮えと尾はなあ張水みまるのづのし。国尾をもへののと御た時をっ、て文もん行徳とくっ天た皇。のそ御見てみよう。その冒頭は、昔、男ありけり。その男、伊勢の国に狩りの使   「やひ常れにのり行使けきひれけよばるり、には親、、のかこの言このと伊な人東あ 伊勢りづよ昔むまの勢のけかくし、方か物斎れいた男をば宮に語とたこあな、住すはりい 東りむれけとけべ下。」るねりきりと人む。国く(言のごにそ求も↓ひ親ろとのめ「、男をに品と「こ、と詞物と 東て身み分語の斎下行ゆを解」禁き宮んりに忌きとえき」」おをのうけはにい超恋なり四象えてはき。五徴注た、ももペさ切目結のとーれすな局によジるべるは思おり)よき恋未も友とひう内情遂もななとを容に地しすで語終方てるあっわにるたっ、人ひと住京き。こた、やむのそのうに一ひ低段れだとはり人いははがあ二ふ身、「ま、たらり人分伊た斎じし勢、宮の、にいたはりけり。教科書(六五〜六七) しかし、男は、斎宮に会いたいと告げ、斎宮もそれに応じて、夜に男の部屋に来たのだが、まだ打ち解けて話し合わないうちに、斎宮は戻ってしまった。落胆遠とほくも来きにける水みづの上うへに遊あそびつ守もりに問とひければ  唐から衣ごもきつと詠よめりければ 行ゆき行ゆきて駿すいと暗くらう細ほそきことと思おもふに、を見みれば、見みし  駿するが河なるう 富ふ士じの山やまを見み  時とき知しらぬ山やまその山やまは、ここなりは塩しほ尻じりのや なほ行ゆき行ゆきそれをすみだ川がはぬ。」と言いふに、なきにしもあら  名なにし負おはと詠よめりければ 昔むし、田ゐなか舎わたになりにければと思おもふ。女をんなはこさて、この隣となりの71兄に物で関語発成わあが展立るる展物が開的の語さ、な背がれ不解景遇始てまない説や日っくと作々て。間を惟し品も喬送てのっな親くて王、特い、は随徴た伊清勢。和所なの天そにど斎さ皇のい惟の宮ぐコにう喬異恬やすつラ親腹子この王内ないムいてを接も斎と宮勅ち掲のょ待て宮あ中く使ししなのっでのたし親てのことなが、宴といさ、男会。ういそが用京。との伊の「に言男勢野狩いっをの鳥りたたい国をの親のつへ使捕かでも狩ひるら蛛もの 咲さり、のり」た、上か手で三みのき斎狩のとみめ娘な河かに木き宮り使はたはにの振はのい、据すれののり諸斎男使と鷹たば陰か国くゑり。かげに国宮をいし狩が、てに八やそ仮すにつにねよてり橋は下お橋は、れ名遣対ししんり行にべ旅たりをとをわしごもっよび付のゐ八やいて見みしてろたよっき心こてふつてこ男にがくてたの所とろを本、渡わ、こ、、たろに漢乾か詠よせあ文れる至い飯いめと っそる字総ひたに。」食くりいちたれ人ひに覧とよひぬ。はう思つなのと振業み「はひり。けい言いざにに伊平てそりはりひ勢の行、りな。こくけ仮男物辞くしむそを、れを道の語世「、の八や名ばと一」のつか八や沢さ橋はを歌は代の、つはしきに橋はと「をか記詠よし付つとかいでみもねめばいきひしやってもるたひつけあびて聞た。、ばけるきる」、本とるたはし「を閉いか伊支じ。、い文えら勢どふそ水みとづを物るれ昨五いのおゆつ日語物て文も、沢さもくは語い今」字じし川かのはでる日はをろほのと、も。くと蜘く句くはあ   かろ語後すとも」にるい現流の見う存布内方物しし容は語てたは可名お本、能がり文そで生、でれあじそあほるたうるどと。し単「まだた純初うがで古ひ雨ありや胡やで、はいかなめ冠う簶ぐもけひはそ言形ぶひりいをりとなれ本ぼい態んいゆ」きのた負お。口くちかえへれ本うにひやらにとな文降ふ食くてう「で発いかひ戸とりや伊あ展。「らてけ口ぐう勢るし伊、ちけれに夜よ物。た勢そ語ばり居をもと物の」。、明あり「あ。けあ(ばはゆとなとらなあ「らやくこいれやな今な夜よに。ろ、た。宵が斎男る」、もと会宮、は倉くと見み明あの「いらかそ言いれにけ縁またらのばひ、な「たはい夜女を率ゐむけ徒か逢浅ん。は」なをとれて歩ち坂い国と人びものばど思お来こののとも関のの、しひ奥お返守くでは渡女を神かつにの歌んみしれ越なもつ鳴な押お接をえたどゐるなし詠待なねぬたし騒さ入いんがむ)とれわであり。ぎれぬ」(り狩記け足あにてえし、りまさる、、ずにに斎れた男をにえりしと宮出た会こ、、聞きをあにか盃い鬼おしか弓ゆれ会けたをにみばてざ・はたえ贈い」。場つの実 き面い冒ら斎なでた頭ぬ宮特あとに恋と徴っの置にでいた説か心うあ。もれ苦女る斎あてし性。宮るいむを斎とほた物登宮のどた語と場恋、めをさのを当に描せ恋ばか伊 先さ冒時「、くがき昔む多お勢、ら頭に伊密の、かほし、物く草くにお勢かも最うさ男をおい」、に初語、のじと「こあくてと男に夜よ上うて伊へ「はいと成 芥りもに盗ぬ勢す注う心立狩か川更ふ置おけみ物り目物しをの(りけき語使つ出いす語交たか↓。にた」ひでべ名わの物本ぼ女をん「りけてんきがし大語」なの品れけ、、ば詞るえい分露つ、得うとしとゆ解鬼おをまのて暗くにら」あじ、「めか歌い君寝きよきるやがてはかるにか所とく来か届男三りこ来きれらいのし覚ろと五けけはすもわためペるもり何な心。とれてーを知しに。ぞのやか男へジ、ら芥あ闇行は、。」く)年とでたにひ斎きし川が、をとは惑け宮どと神か経へなひかむくみいむてさにら思泣ふ男をへよきい、ほとこに川かばい夢てえはをうず、とひ問とつ夢率ゐいわひつかてみたけとう行いりじるはつきうけ。今つけ鳴なる行ゆ宵かをれりく定、、のら若語者らでれあるる。。男時はの在権原力業者平でをあ思るわ藤せ原る長な元が良ら服のし女むたすめでばか、り清*言語文化 指導資料(古文編)

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