探求 現代の国語/探求言語文化 付属教材・資料見本
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2本文研究…本文をさまざまな角度から分析・解説しました。 名作者と成立構成・内容2本文研究伊勢物語(芥川)教科書(六五〜六七)るのがこの物語の本来の形であるから書と名い・う作説、者なとど成立を・表構明す成る・歌内が容示されるという形式でほぼ統一されてである。このうち⑤⑥の説が有力であるが教、確材かのなと作者お享おり受よ、がそ古びの来出主な人さ典公れにのて「きつ男たい」。をてすのべて解在説原業、平作と品見なすころはわからない。 「伊勢物語」は一人の作者によって一時期に書き上げられたものではない。「古今和歌集」(九〇五年)成立以前に少ない章段で原型が作られ、その後数次にわたって増補・付加・改変され、しだいに現在の形に近づいてきたものと考えられている。したがって、作者は不明というほかない。原型の作者としては業平自身・紀貫之が有力視されているが、いずれにせよ、成立に関わったのが業平を敬愛する人々であったことは間違いないだろう。 「昔、男ありけり」「昔、男」「昔、」などの書き出しによって一つ一つの章段がはっきりと区別され、歌を中心とした百二十五段(伝本によって異同あり)で構成されている。各章段は、「男」を主として語り起こされ、その心情物語と軍記●「伊勢物語」 「在五が物語」(源氏物語・総あげ角まき)、「在五中将の日記」(狭衣物語)という別称(「在五中将」は、在原氏の五男で近衛の中将の意味)もあるが、現存の伝本のすべてが「伊勢物語」を書名としており、これが正式な書名と考えられる。最初の歌物語であり、その代表作。伝奇物語の「竹取物語」とともに、平安物語文学の嚆矢となった。歌物語・伝奇物語の二つの流れは、やがて「源氏物語」において融合されることになる。その影響は、「源氏物語」をはじめ、中世の謡曲(世阿弥「井筒」など)や近世の浮世草子(井原西鶴「好色一代男」など)にも及んでいる。 「伊勢物語」という名がつけられた理由については、中世からさまざまな説がある。例えば、①古今集時代の女流歌人伊勢が成立に関与したためという説、②「伊勢人はひがごとす」という当時のこ諺とわざから「ひがごと物語」の意とする説、③「妹いも兄せ物語」(男女物語の意)の約とする説、④「えせ物語」の転とする説、⑤伊勢斎宮密通事件を描いた第六十九段(狩の使)が全章段中最も重要だからという説、⑥伊勢斎宮の段が巻頭にあ立ていただ代け記まと捉すえ。ることができる。ただし、一代記といっても章段の配列は堅苦しいものではなく、緩やかな脈絡で連鎖していると言えよう。 題材の多くは恋愛である。その中でも、二条后物語・斎宮物語の二つの悲恋は特に印象的である。恋愛以外では、業平と縁続きで不遇な皇子だった惟喬親王との交流を描いた章段「小野の雪」も読者の心を打つ。そのほか、親子の情愛や交友のありさまなど題材は多岐にわたっている。 主題は、第一段に見える「みやび」だと言われるが、その内容把握は諸家で意見が分かれている。第一段に焦点を絞って、情動を歌という言語秩序に転位することによって心の流露を求める態度が「みやび」であるとした秋山虔氏の見方は参考になる。秋山氏はまた、「みやび」は一面的な風流ではなく、好色性と道徳性という互いに否定し合う両義性を抱えた、生に根ざしたしたたかなものだとも説明している。  書64*言語文化 指導資料(古文編)景のを構確成認やす内 最る容終全なこ段体ののとど「構をでつ成ひか掲、にら載学ゆ見くるし習道とまの」、(第し導臨一終た入段)の。なで「終教ど初わ冠材にる」「のおに男背役始」のま一り、

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