探求 現代の国語/探求言語文化 付属教材・資料見本
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3発展…発展的な位置づけとなる解説や資料を豊富に掲げました。文学・古典教材については、作品をより深く鑑賞するための解説を掲げました。 賞3発展〈知〉の深化神様教科書(八〇〜八五)と語っている。「わたし」と「くま」の関係について、佐野正俊は「川上弘美「神様」の教材性ける読むことの倫理」において、「この両者の交わりは「わたし」にとって、あくまでも表面的なものであり、決して心の通ったものではないことに留意したい。(中略)ここに表出している語り手の「くま」に対する意識は、異種異類の者が自らに交わりを求めようとする以上は、相応の手続きあるいは処遇が前提になる、という極めて不遜なものである。先走っていえば、この語り手の深層にある意識を源とするこの手の条件は、実はもはや相手が異種異類であるという必要もなく、自らとの関係を結ぼうとする者の全て、つまりこの「わたし」という人物にとって、自己と自己以外の者という対他の関係の全般において必要とされる条件となっているのである。」と述べている。確かに、「くま」との散歩を通して、「わたし」に何か明確な変化があった様子はなく、また、「くま」に向けて心情を表すような言葉もないという点では表面的である。ただ、この「散歩」は、「わたし」が「くま」の誘いを受け入れたことで成り立ったのである。「徐行しながら大きくよけていく」車の運転手、「くまの顔を正面から見ようとはしない」シュノーケルの男な鑑ど、賞他の評論Ⅱ 「神様」は「わたし」が「くま」との散歩について語る短編小説である。井上ひさしは「神様」について、「ぼくは非常に感心しました。九五点なんですね。(中略)読んで気持ちよくなる、とてもいい話です。われわれ人間の世界でも、ひょっとしたらくまよりもっと離れた人たちがすみあっているのではないかと思わせたり、隣近所の切り離された様々な生活を逆に浮かび上がらせるテーマ性があるんですね。のんきでユーモラスで童話っぽいのですが、その底には隣人とか、人間と動物の関係を摑まえ直すたいへんいい薬を含んでいると思いまして、いい評価点を与えました。」と評している。 「神様」では「わたし」自身について直接語られることがなく、特徴的な存在である「くま」に注意が向く。「神様」の主題を理解するためには、「わたし」がどのような人物か考えることが重要なので、ここで検討してみたい。 「わたし」は「くま」の振る舞いについて、「ずいぶんな気の遣いようだと思ったが、くまであるから、やはりいろいろと周りに対する配慮が必要なのだろう」教室にお(「面と向かって尋ねるのも失礼」という判断は大人の   鑑― 人間たちは「くま」との関わりを極力避け、存在を無視しようとする。そのような状況において、「わたし」は「くま」と連れ立って散歩をし、昼食をとって昼寝をし、抱擁まで交わしている。「ツキノワグマなのか、ヒグマなのか、はたまたマレーグマなのか」と種類を考えてみるあたりは、「くま」に対して「子ども」のように「邪気がない」関心を持っているようでもある。ものである。)散歩の間、「くまの目にも水の中は人間と同じに見えているのであろうか」「やはりくま本来の発声なのである」など、「わたし」は「くま」を冷静な目で観察している節もあるが、そこには他の人間が「くま」に対して示したような異質なものへの忌避は見られない。「くま」の存在や行動をそのまま受けとめている。「わたし」は散歩の間に出会った他の人間に対しても、何かしらの思いは抱いたはずであるが、その言動を咎めることはしない。「わたし」の他者との関わり方は、相手が「くま」であっても人間であっても違いはないようである。 一方の「くま」にとっても、この散歩で何かが大きく変わったわけではない。「くま」は人間社会になじむ努力をしているが、人間らしくなることを望んでいるのではないようである。「くま本来」の行動を抑制する26*現代の国語 指導資料(〈知〉の深化)

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