探求 現代の国語 ダイジェスト版
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9 わからないぐらいがちょうどいい 対象となるものを変形させ、強調して表現すること。えているつもりで、実際には自分をどんどん打ち消して、もうまったく別物にしてしまう。他人と同じふりをしないと他人といられないのなら、それは、その人はそこにいる必要がないってことだ。そんな生き方は悲しすぎる。葉は簡単に、すべてを簡略化して、まったく違うものにしてしまう。クラスメイトと毎日昼食を食べて、音楽の話をするようになった、それだけでよかったのに、その関係性に「親友」と名付けてしまう。それだけで、きっとなにかが失われていた。自分だけの感情や関係を、他人に伝えるため、共有するため、たった一つの不思議な形をしていたそれらを、既存の概念に押し込んで、余計なものを削り落とした。そうでもしないと他人に伝えられないから。伝えられなかったら、「意味不明な子」って切り捨てられちゃうから。そう必死になっていた。けれど、実際のところ切り捨てたそれらは本当に「余計なもの」だったのか?かってもらおうとしている一方で、自分の存在を否定し続けていた。そして、そうやって捨ててきたものを、人は永遠に思い出せない。 懸命に他人にわ57*デフォルメ10わからないものを、わからないまま、受けとめたい―「わかりやすいこと」「伝わりやすいこと」が求められがちな現代にあって、言葉や人との向き合い方を問いかける最果タヒさんの文章を、冒頭に採録しました。〈〈知知〉〉ののココミミュュニニテティィへへ  言

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