探求 現代の国語 ダイジェスト版
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わからないぐらいがちょうどいい最さい果はてタヒ どんなにシェアされたって、私が聞きたいのはそれじゃない、と思う。SNSで教えてもらった好きな食べ物、好きな音楽、そんなものを知ったところで私はまだまだきみを知らず、きみに会いたいとも思わない。SNSはつながるだけで「友達」だなんて言うけれど、でも他人がかき集めた「好きなもの」を見ただけで、その人のことを知ったつもりになるわけに、いかないんだ。失礼だろう。 共有したいっていう感情が、ずっとずっと邪魔だった。わからないものは怖くて、みんなが避けてしまうから、だから「わかる人だよ」と伝えるためにも、たくさんの自分の事柄を他人と共有しなくちゃいけない。みんなの知っているものが私は好きで、みんなの知っているような友達がいて、みんなの知っているような服を着る。そうやって自分をデフォルメして、他人に伝える、理解してもらうという、そういう作業が気持ち悪くて仕方がない。自分のことを伝*58610〈〈知知〉〉ののココミミュュニニテティィへへ

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