探求 現代の国語 ダイジェスト版
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評論解析C1松まつ井い 孝たか典ふみ我関わる、ゆえに我あり 我とは何か。 哲学的人間論によれば、我とは「認識する主体」です。「近代哲学の父」と呼ばれる十七世紀フランスの哲学者ル1ネ・デカルトは、すべてを疑い尽くして、それでも最後に残るものとして、 「我思う、ゆえに我あり」と 現 しい①代かうのし結脳、論科私に学のたに考どよえりれる着ば「き、我ま我」すすは。な少哲わし学ち異史自なに己り残はまるす、歴免。史2疫的機な名能と言しとて言定って義さよれいるで自し己ょはう別。として、最初から脳の内部に形成されているものではないことがわかっています。脳における認識主体としての自己とは、生後の人生において育まれる こもこのでないのうで脳すの。働つきまとりは、外生界後か、ら脳投の影働さきれをた通情し報てを形処成理さすれるてこいとく、もすのな、わそちれ大が3脳我皮で質すの。ニューロンが接続し回路を形成することです。 私は認識の本質を「外界の情報を大脳皮質の内部に投影し、内部モデルを作ること」と考えています。し②たがって、この過程によって形成される内部モデルこそが、私の言うところの認識であり、それが認識主体としての我というこ解析マスター②+解析マスター⑤ 接続表現対比構造に着目する巻頭1評論を読み解く解析マスター5 -      -*C1・2の文章の話題は、いずれも「主体」としての「我」「私」である。比較を意識して読みなさい。(設問は二二五ページ)一九四六(昭和21)年~。惑星物理学者。静岡県生まれ。本文は「我関わる、ゆえに我あり」(二〇一二年刊)によった。    1022236評評論論解解析析CC――――見見解解をを比比べべるる

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