探求 現代の国語 ダイジェスト版
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焦土 激動 右に掲げた文章は、一九七〇年にやなせたかしが書いた童話「アンパンマン」から引用した一節である。アンパンマンといえば、おそらく多くの人が知っているとおり、現在も子どもたちの人気を集める漫画の一つである。おなかがすいた人がいると、アンパンマンは自分の顔をちぎって食べさせるという場面が有名であるが、実は一番始めにやなせが描いたのは、「パンを配る空飛ぶおじさん」、という想定であった。いずれにしても、おなかがすいた子どもたちを助けるというコンセプトは一貫して変わっていない。 やなせは「『なんのために生まれて詞した『アンパンマンのマーチ』の一節だが、実はこの言葉は自分自身への問いかけであった。」と語っている。一九一九(大正8)年生まれのやなせは、幼い頃に父と死別し、青年期には戦地へ赴き、焦土となった敗戦の祖国へ引き揚げてきたとき、唯一の家族であった弟は戦死していた。そうした状況の中で、何一つ希望を見いだすことができなかったことを振り返り、「ぼくの人生はまさに戦前、戦中、戦後を通過してきた。いつ死んでもおかしくない激動の時代だった。ぼくは何とか生き延びてきた。」とその人生を語っている。 最初のアンパンマンは一九六九(昭和44)年、やなせが五十歳のときに誕生した。自分でパンを焼いているから、マントには焼け焦げがあり、格好よいさっそうとしたヒー なにをして生きるのか』というのは、ぼくの作15105153 食の履歴書27評評評評論論論論ⅣⅣⅣⅣ

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