探求 言語文化 ダイジェスト版
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ょう賀が城じ市に築 かれた古ょうょう港み千ち尋ひろなと場所の記憶を残す恋歌のんんうしん5  く1  つ  なは東日本大震災2貞観地震3吉田東伍4陸奥5国府6多賀城伝統と文化伝統と文化ょう 二〇一一年三月十一日に 発生した、三陸沖を震源とする大地震による災害。 平安時代初期の八六九( 貞観11)年に発生した、三陸沖を震源とする大地震。 一八六四~一歴史地理学者 。 旧国名。律り令り制に基づ く令政国の名青森県の四県と、秋田県の一部に相当する。 律令制のもと、行政の府。 今の宮城県多た代の城じ柵さ。七二四年の創建とされる。奈良・平安時代を通じて、類似 痕跡 論考九一八。 「千年に一度の」と形容されるようになった東1日本大震災だが、直後から言われたのが貞じ観が十一年、西暦八六九年に起きた「2貞観地震」との類似だった。貞観地震によって内陸を襲った津波の痕跡は、震災前から広範囲にわたる調査で明らかにされてきたから、改めて注目されたと言ったほうが正確だが、貞観津波が到達した場所を最初に特定したのが3吉よ田だ東と伍ごだった。地名辞書の編へ纂さのかたわら、災害史の研究にも力を入れていた吉田は、貞観地震と津波についての論考を一九〇六年に発表している。  貞観十一年、西暦八六九年と申せば、早、一千年の昔である。その年、五月の二十六日に4陸む奥つの国5府、即すち、6多た賀か城きの辺に大地震大津波がありました、その事について愚案をいささかばかり申したい。 一千年の昔、という書き出しはわたしたちと同じ時間感覚を示しているが、吉田東伍4410245 場所の記憶を残す恋歌国称県陸「伝統と文化」では、いにしえの和歌にごの・奥と一宮国関する評論を読むことで、文学には現につ城府 置。県が代と過去とをつなぐ接点としての意義か現・置れ在岩かがあることを学びます。たの手れ地福県た方島・。

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