探求 言語文化 ダイジェスト版
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ゃくくた芥あ川がわ龍り之の介すけゅう羅生門羅生門2丹3朱雀大 路4市女笠5揉烏帽子近代の小説しら柱ばに、きりぎりすが一匹とまっている。羅生門が、3朱す雀ざ大お路じにある以上は、この男のほゅうとすろくくじぜんみさち5くおるげさ1 しはんいんすと比較で深める▼「羅ら城せ門もの上う層こに登りて死人を見る盗ぬ人びのこと〔今こ昔じ物語集〕」(二一七ページ)平安京の正門。朱雀大路の 南方正面の大門で、平安京の出入り口であった。「羅城門」のこと。赤色の顔料。平安京の中央を羅生門か ら朱雀門漆塗りの菅す笠が。ここでは、 それをかぶった女のこと。漆を薄く塗り、もんで柔 らかくし ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅1生門の下で雨やみを待っていた。 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々2丹に塗ぬりの剝げた、大きな円まかにも、雨やみをする4市い女め笠がや5揉も烏え帽ぼ子しが、もう二、三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。 なぜかというと、この二、三年、京都には、地震とか6辻つ風かとか火事とか飢き饉きとかいう災いが続いて起こった。そこで7洛ら中ちの寂れ方はひととおりではない。旧8記によると、仏像や仏具を打ち砕いて、その丹が付いたり、金銀の箔はが付いたりした木を、道端に積み重ねて、薪の料しに売っていたということである。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、もとより誰も捨てて顧みる者がなかった。するとその荒れ果てたのをよいことにして、狐こ狸りが棲すむ。盗ぬ人びが棲む。とうとうしまいには、引き取り手のない死人を、この門へ持ってきて、捨てていくという習慣さえできた。そこで、日の目が見えな4010204たま定番の「羅生門」は言語文化で学習。烏で帽南「今昔物語集」と連続して学習すること子北。にで、古典作品が近代文学へ継承されてこ通こずいることがわかります。でるは大、路。

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