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らの清き原は元も輔す(九〇八~九九〇)。らのちの二にへ戸郡一い戸へ町にある浪な打う峠のことともいわるわ廓くに入った後、気が塞いでい 盛る装こしとて。山やの家に下宿する。彼は、そこで葉山やう樋ひ口ぐ一い葉よ尾お崎ざ紅こ葉よたけくらべ(末尾) 242何なん等らの特操なき心ぞ、「う承けたまはり侍はべり」と応へたるは。……この手にしも縋すがらずば、本国をも失ひ、名誉を挽ひきかへさん道をも絶ち、身はこの広漠たる欧州大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝ついて起おれり。嗚あ呼あ、とも思はれず、唯ただ何事も恥はづかしうのみ有けるに、或ある霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有けり、誰たれの仕業と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懐かしき思ひにて違ひ棚の一輪ざしに入れて淋さしく清き姿をめでけるが、聞くともなしに伝へ聞く其明けの日は信如が何がしの学林に袖の色かへぬべき当日なりしとぞ。……その情の篤あついことはお夥びただしいもので、実に見苦しいほど其そ妻つには惚ほれてゐた。一も妻さい、二も妻、三も四も五も類るゐで無くては、柳りう之の助すけの夜は明けなかつた。彼の同僚は「妻さいが」先生と仇あだ名なを付けたほどで、妻さいは彼の命であつたものを、彼は今その妻に死なれたのである。……にとってそれは必ずしも不明な時代ではない。古文書を丁寧に読み解けば、多くのことがわかるからである。雑誌「1歴史地理第八巻」に収められたわずか八ページの論文は、人間が忘れてしまっていても、地名が憶おえているということを簡潔に示したのだった。 かたみに袖をしぼりつつ 震災後に幾度も引用された百3人一首の歌。こ4の「末の松山」を多賀城市八や幡わにある宝ほうは、蔵書など必要ない、図書館があれば十分というくらいの、驚異的な記憶力にある。おそらくどんな地名を聞いても、比較できる例が頭に浮かんだことだろう。それに記録の細部を見逃さない観察眼と、地理と歴史を一つのものとして大観する、マ5クロな視角が備わっている。 「浦」とあれば、似たような地形の全国の浦を思い浮かべただろうし、古今の震災と頭の中で突き合わせたことだろう。貞観地震についても、その震源が内陸ではなく沖合いにあることや、津波の痕跡がほかにもあることを説得力を持って推論している。特に人間の活動が、かつてあった風景の痕跡を消してゆくことに注意している。陸地に見える所も、かつては入り江や港だった所があるから、沿革を知ることが大事になる。例えば「多賀の6湊み」について、次のように書いている。 彼の歴史地理学的視角は、こうして、田野で見えなくなった過去の痕跡を透視してしまうのだ。 1 契2りきな国こ寺じ裏の丘と見定めたのが吉田東伍だった。日本全国の地名を研究してきた吉田の特徴なと 末の松山 波越さじとは末の松山(宮城県多賀城市)1「契りきな」の歌を、|びこ ちちうのま|き ううねまい11  りんいう5くたぼ5 ちみのらじだえんけとよ  たけくらべ少女美登利は、寺の跡取り息子信如を慕っていた。信如が仏門の学校に入るのと時を同じくするように、彼女は遊   仙 こ台ん藩に祖ちのは7貞て全山ざく堀ぼ港(の運形河状)をを備造えらてれ居おらしぬたがめ、にそ、れ此この海かに8い口こは、沿埋革9塞がしあたるのこでとあでるあ。る。即ち、女となっていく。此処しばらくの怪しの現象多情多恨愛妻類る子こを亡くした柳之助は、親友葉はの妻お種たに恋をして、追い出される。「歴史地理第八巻」一九〇六(明治39)年発行 。平安時代中期の歌 人、作者は2契りきな……四・恋四所収。「末の「後拾遺和歌集」巻十った地名で、海の近く松山」は陸奥の国にあにあるが決して波の越れていた。えない場所として知ら「末の松山」に込められた意味に注意して、してみよう。わかりやすく現代語訳3百人一首とされる)を指す。一首」(藤ふ原わ定さ 家いの撰せ……見定めた「末の4この「末の松山」を松山」は、多賀城市 八幡の丘のほか、岩手県れる。5マクロ巨大、大規 模なさま。6湊7貞山堀 宮城県東部、仙台湾の海 岸線沿いに造られた運河。江戸時代から明治時代にかけ8海口港のこと。て工事が行われた。9埋塞埋 もれて塞がること。蔵書 沿革近代の文体⃝5文語体(和文調)⃝6言文一致体(「である」調)伝統と文化伝統と文化文体の変遷について理解する「近代の文体」和歌の伝統に関する評論を学ぶ「伝統と文化」10246⃝5247 場所の記憶を残す恋歌⃝6多た情じ多た恨こん(抜粋)「港」と同じ意。「小お倉ぐ百人   一八九六(明治29)年 推論 透視…き…、龍り有ありうし華げ意寺じ地のを信しんば如によ其そがの我まがま宗にの封修じ業込のめ庭てに、1立た此こち処こ出いづしるば風うわらさ説くをもの美み怪し登どの利り現さは象ま絶えにて我聞れかをざ我りれ 一八九五(明治28)年35教科書240・242ページ教科書245・247ページ「当世書生気質」以降の明治期の小説8作品を引用し、文体の違いを味わいます。歌枕(末の松山)を通じて「古典世界」と「現代」mとの接点を見出すことacro(ができる作品です。英語)。

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