教科書に登場する人物をとりあげ,教科書では伝えきれなかったその人の魅力を探ります。
今回は?
第10回 ロバート=オーウェン
★1771-1858。イギリスの初期社会主義者。
【教科書対応ページ】
新課程版 新世界史A p.78〜79
########## 理想社会の実現をめざして ##########
ロバート=オーウェンは,イギリス19世紀の産業革命まっただ中に活躍した初期の社会主義者である。
どんな人物なのか,まずは,世界史の教科書から紹介しよう。
「1800年に紡績工場を経営して成功,労働者の生活改善に努力した。1825年にはアメリカでニューハーモニー村(理想的共同社会)を建設したが失敗した。工場法の制定や,労働組合・協同組合の育成にも努力した。」(桐原書店『新世界史A』より)
実業家でありながら労働者の生活改善に努力し,失敗はしたものの「理想的共同社会」なるものを建設したという。たったこれだけの記述であるが,なかなか興味をそそれれる人物である。このオーウェンとは一体どんな人物だったのだろうか。そして,彼のめざした「理想的共同社会」とは一体どんな社会だったのだろうか。
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ということで,オーウェンについて調べようとすると,結構苦労することになる。社会の教科書にも出てくる人物ではあるが,一般の人が入手可能な参考資料が以外と少ないのである。たとえば,桐原書店のある東京都杉並区の区立図書館で「オーウェン」を書名に含む本をコンピュータ検索すると,134点もの本が検索されるのだが,いきなり『英語で阪神タイガースを応援できまっか?』なんていう書名が出てきてびっくりする。「オーウェン」ではなくて「応援」ではないか! しかもこの類の本(つまり「応援」の本)がほとんどで,お目当てのオーウェンの本はほんの十数冊しか含まれていない。「応援」と名のつく本がこれほど多く出版されていることにまず驚くが,オーウェンの本がこれほど少ないのにも驚かされる。
というわけで今回は,オーウェンをもっと応援しよう!(つまらないギャグでスミマセン) というのがテーマである。
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さて,オーウェンは,フランスのサン=シモン,フーリエとともに,「空想的社会主義者」とよばれている。
日本語の感覚だと,思想の世界で「空想的」と称されるのはかなり致命的な印象となる。議論をしていて,「おまえの言ってることは空想的だ」などという場合,それがほめ言葉であることは絶対にない。同じ類の言葉に「理想主義」とか「理想論」というのがある。いずれも「現実味のない机上の空論」的ニュアンスの,蔑称(べっしょう)に近い言葉である。「空想」も「理想」もプラスイメージの言葉なのに,それに「的」とか「主義」とか「論」がつくとなぜかマイナスイメージになってしまうのは面白い現象だが,それを考察するのが本旨ではないので深入りは避ける。ちなみに,「空想的社会主義者」オーウェンは,同時に「理想主義者」ともよばれている。これはもう救いがたいほど致命的である。「名誉毀損(きそん)で訴えてやる!」とならなかったのが不思議なくらいだ。
もっとも,「空想的」というのはもちろん翻訳であって,たとえば英語では Utopian Socialism である。Utopia は「理想郷」などと訳される。私はその道の専門家ではないので断定はできないが,「空想的」と「ユートピアン」ではかなりニュアンスが違うような気もする。
「空想的社会主義者(Utopian Socialism)」と命名したのは,マルクスとエンゲルスであるが,少なくとも,オーウェンがこの呼称に怒って,ふたりを訴えたという記録はない。
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マルクス・エンゲルスは『共産党宣言』(1848年)の中で,「批判的・空想的社会主義および共産主義」としてオーウェン,サン=シモン,フーリエの3人を取り上げている。
なぜ「空想的(Utopian)」と称したかというと,マルクス・エンゲルスの「科学的社会主義」(Scientific Socialism)と対比させるためである。確かにマルクス・エンゲルスは資本主義と歴史の推移を「科学的」に分析したかもしれないが,それにしても他人を「空想的」だと決めつけておいて,自分たちの主張こそが「科学的」だというのは,あまりにも身勝手すぎる感じがしなくもない。しかし,何しろあのマルクス・エンゲルスがそういうのであるから,それはもう絶対である……という時代が長らく続いた結果,オーウェンらに対する呼称も評価もそれで定着してしまった。
ただし,マルクス・エンゲルスは彼らをおとしめるためにそういったのではない。むしろ,社会主義思想の発展史における彼らの足跡を最大限評価している。
エンゲルスは『反デューリング論』(1878年。のちにエンゲルスは,この中から3つの章を取り出して『空想から科学へ』という宣伝・学習用の小冊子を編んでいる)の中でも,「3人の偉大なる空想的社会主義者」としてこの3人を取り上げ,かなりの頁をさいて解説しており,資本主義の問題点を批判的にえぐり出してその解決策を模索した点について,高い評価を与えている(ただ,しつこいようだが,「偉大なる空想的社会主義者」という日本語の表現はブラックユーモアに近い)。
マルクス・エンゲルスは,すべての社会的変動と政治的変革の要因は経済(生産と交換)にあると喝破(かっぱ)した。さらに,すべての歴史は階級闘争の歴史であるとする唯物史観(ゆいぶつしかん)を打ち立てた。そして,資本主義は必然的にブルジョアジー(資本家階級)とプロレタリアート(労働者階級)の対立を生み出し,やがてプロレタリア革命によってプロレタリアートがブルジョアジーの搾取(さくしゅ)から解放されるのは歴史的必然であると考えた。オーウェンの活動は評価に値するものの,この階級闘争の意義を理解せず,ブルジョアジーの善意のもとでブルジョアジーとプロレタリアートが一体となって理想社会を実現しうるなどとと考えたのは,当時プロレタリアートがまだ階級として未成熟だったことを差し引いても,「空想的」で他愛もない妄想である,というのがマルクス・エンゲルスの主張であった。
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さてこの辺で,オーウェンの生涯を『オウエン自叙伝』(岩波文庫・絶版)に基づきながら,ざっと俯瞰(ふかん)してみることにしよう。
オーウェンが,ウェールズのニュータウンという町に生まれたのは,1771年であった。18世紀なかばごろから紡績業を中心に始まった産業革命が次第にそのスピードを速めながら,イギリス全土に広がりつつあった時期である。馬具や金物を扱う商人の家庭であった。
オーウェンが両親と一緒に暮らしたのはわずか10年である。10歳のときに,みずからの意志で(!)ロンドンに出て徒弟修業にはいる。最初に勤めたのはスタンフォードのジェイムズ・マクガフォッグの店であった。高級生地を扱う店で,顧客は上流階級の人々である。マクガフォッグは,正直な商人として彼らの信用を得ていた。この店でオーウェンは上流階級の人々との接し方を学んだという。彼は自叙伝に次のような思い出を挿入している。
ある日,大金持ちの未亡人が,高級織物を買いに来た。主人のマクガフォッグは,そのときたまたま店に置いてあった最高級の織物を未亡人に差し出した。必要以上の利益を得ず,どんな客にも掛値(かけね)なしで売ることを信条としていたマクガフォッグは,その値段が1ヤール(織物の単位)8シリングであると正直に告げた。すると未亡人は,「もっと上等なものが欲しいわ」と言う。もちろんこれ以上の織物は世界中どこを探してもない。しかしマクガフォッグは,上流階級の人々の性格を熟知していた。彼は「それでは」と言って倉に行き,同じ織物を持って戻ってきた。「ございました。ただお値段は10シリングになります」と言って未亡人に差し出しすと,未亡人はそれを手にとって調べ,「これこそ私が求めていたものです」と答えた。マクガフォッグは勘定書に値段を書き入れ,未亡人に手渡した。その勘定書には,1ヤール8シリングと記してあった。
マクガフォッグは,相手の無知や無経験に乗じて利益を得るような商人ではなかった,という逸話である。まるで,短編小説か童話にでもなりそうな話だが,利益最優先の資本主義における拝金主義は,このような商人の良心(人間の良心と言ったほうがよいか)を駆逐してしまった,とオーウェンは言いたかったのかもしれない。
このマクガフォッグの店で3年間修業したあと,オーウェンはフリント・パーマー商会に就職する。14歳であった。この店はマクガフォッグの店とは正反対に,下層階級の人々を顧客としていた。朝から晩まで働き,睡眠時間はわずか5時間という過酷な労働の中で,今度は下層階級の生活を知ることになる。
次に移ったマンチェスターのサタフィールドの店で,オーウェンはある若い職人と出会い,ふたりで工場を設立して経営者への道を歩み始める。この工場は長くは続かなかったものの,その後ドリンクウォーター紡績工場支配人等を経て,1996年にコールトン撚糸(ねんし:よりあわせた糸)会社を設立,このころにはすでに有能な経営者としてその名をはせていたという。99年にアン=カロライン=デイルという名の女性と結婚,彼女の父からスコットランドのニューラナーク工場を買い取り,支配人となる。これがオーウェンの名を歴史に刻むことになった工場である。
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何度も繰り返すようだが,当時イギリスは産業革命がリアルタイムで進行していた。農地を失った貧しい農民や工場の出現で職を失った職人たちの多くは,炭坑で働くか都会に出て工場労働者となった。しかし,坑夫や工場労働者には技術はさほど必要ではない。結果的に,賃金の安い女性や子どもたちがそれらの労働を主に担うようになっていった。その労働は技術は必要とはしないものの,劣悪な環境のもとで単調な仕事を長時間続けることを強いられるという,従来の労働とは異なった過酷さをもつものであった。一方で,成人男性は失業状態となる。こうして,労働者街はしだいにスラム化していき,犯罪も増加した。マルクス・エンゲルスが後に指摘したとおり,資本主義は,その誕生のときからすでにさまざまな矛盾や問題点を内包していたのである。
それらの矛盾や問題点を,オーウェンはニューラナーク工場で解決しようと試みた。
彼は,諸悪の根元は労働環境の悪さにある,人間の性格を形作るのは環境であるから,環境を整えない限り問題解決ははかれない,と考えた。そのために,労働者が住む住宅を用意し,生活に必要な品物をまとめて仕入れて原価で販売するシステムを作り,生活全般の面倒をみることのできる環境を作ろうと考え,それを実行した。なかでも,もっとも重要視したのは教育で,とりわけ幼児教育に力を注いだ(オーウェンは幼稚園の父ともよばれる)。
もはや工場を中心とするひとつの町づくりであった。ニューラナークは,社会改良のメッカとして世界中から注目された。一方で,労働者たちは意欲的に働くようになり,結果的に効率が上がって工場経営的にも大成功をおさめる。これらの経験に基づき,1913年から14年にかけて,オーウェンは主著『社会にかんする新見解』(『新社会観』ともいう)を出版する。これによって,彼の理論は「性格形成論」として広く知れわたることになった。このニューラナークの成功は,のちのニューハーモニーの実験へと発展していく。
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さて,この時点でオーウェンは40代前半である。彼の人生は87年であるから,まだその半分を語ったに過ぎない。これだけでも「波瀾万丈」に3回ぐらい出演できそうなほど十分波乱に富んだ人生であるが,こののちも前半生に劣らず波乱の人生が続く。詳細に触れる余裕はないので,概略だけをたどってみる。
1815年 工場労働時間規制法の提唱(33年の「工場法」の原案となる)
17年 協同コミュニティ構想を提唱
25年 アメリカで理想社会ニューハーモニー=コミュニティの建設を開始
28年 全財産をつぎ込んだニューハーモニー計画が失敗に終わる
29年 イギリスで協同知識普及協会創立
31年 妻カロライン死去
32年 雑誌「クライシス」発刊。労働公正交換所開設
34年 全国労働組合大連合結成
35年 万国全階級協会創立
このように,オーウェンの後半生は,ひたすら理想社会の実現と労働者の生活・権利向上のために捧げられた。それは,右肩上がりの前半生とは違って,苦心して資金を集めては新しいコミュニティ建設に乗り出すものの,そのことごとくが短期間で失敗する,という繰り返しでもあったが,とにかく,そのすさまじい執念と行動力にはただただ脱帽するばかりである。
こうして社会変革の先頭を走り続けたオーウェンも,30年代後半あたりから次第にその影響力を失っていき,過去の人となっていく。それでもオーウェンは,生涯,社会変革への意欲を失うことはなかったという。晩年には心霊の世界にのめり込んでいたというオーウェンがこの世を去ったのは,1858年,87歳であった。
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マルクス・エンゲルスは,ブルジョアジーとプロレタリアートの対立と,その後に来たるべきプロレタリア革命を,歴史の必然であると考えた。しかし,オーウェンのコミュニティ実験と同様,20世紀の社会主義国家建設の壮大なる実験もまた失敗に終わり,世界は今やほぼ資本主義一色に染まっている。団結してともに手をたずさえ立ち上がるべきプロレタリアートは個人の幸福を追究し,資本主義は彼らにそこそこの幸福を与え,いつかはブルジョアジーにはい上がれるという宝くじに当たるにも等しい確率のアメリカンドリーム的可能性を根拠に,ブルジョアジーとプロレタリアートの境界線自体が曖昧模糊としたものになってしまった。
マルクス・エンゲルスは,オーウェンらの思想を「空想的社会主義」としてみずからの「科学的社会主義」と区別したが,少なくとも社会の問題点に目を向け,それを批判し,よりよい社会をつくろうと考えたその出発点において両者は共通していた。さらにいえば,空想的社会主義のみならず,科学的社会主義というところのマルクス主義もまた,それ自体大いなるユートピア性を秘めていた,と言えなくもない。あれほど多くの世界中の若者の正義感をとらえて離さなかったのは,まさにそのユートピア性にあったのではないだろうか。そして,そう考えることは,決してマルクス主義を矮小化することにも,逆に美化することにもならないと思うのだが,そのあたりの判断は浅学な私の頭脳の及ぶところではない。
ただ言えるのは,ユートピアを夢見ることすらできない社会は暗澹(あんたん)たる社会でしかない,ということだ。世界の人々は今,果たしてどんなユートピアを思い描くことができるのだろうか。
そしてまた,私たちが21世紀の新しいユートピアを描こうとするとき,オーウェンは一体何を私たちに語りかけてくれるだろうか。
(編集部 I)
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