ある人物をとりあげ,教科書では伝えきれなかったその人の魅力を探ります。今回は?
第1回 キェルケゴール





  【教科書対応ページ】

『新世界史A(旧課程版)』 P.107 *来年度から使用開始の新課程版でもとりあげています。
『新倫理(旧課程版)』 P.130〜131

★1813−1855。デンマークの哲学者。「実存主義哲学者」と呼ばれる。



########## 愛と不安と苦悩の人生 ##########


 人はだれでも思い悩むときがある。

 不安にかられ、苦悩にもがき苦しみ、絶望感にさいなまれることもある。生きていること自体が苦しい、そんな人生をどのように生きればよいのか、生涯ただひとりの女性を愛し続けながら、ひたすらそのことだけを考え続けた哲学者がいた。キェルケゴールである。

 キェルケゴールの父親は敬虔なキリスト教徒であったが、貧しい家に育ったため、若かりしころに神をのろったという。さらに、最初の妻に若くして先立たれ、その喪も明けぬうちに下女と再婚するが、このときすでにこの女性はキェルケゴールの姉にあたる子を宿していた。キリスト教徒にとってはいずれもが罪深い行為であった。
 彼は生涯罪悪感に悩まされる。この父親の苦悩は、父と母の秘密を知った青年キェルケゴールの苦悩となって継承されることになる。

 そんな憂いに満ちたキェルケゴールが、彼の人生を決定的に運命づけることになるひとりの少女と出会ったのは,24歳のときであった。9歳年下のレギーネという名の少女であった。
 キェルケゴールはひと目で恋に落ちてしまい、2年後、彼女に愛を告白する。そのときすでにレギーネには婚約者がいたが、聡明でどこか憂愁をたたえたキェルケゴールに彼女も心を引かれ、ふたりは愛し合うようになる。レギーネの愛を獲得したキェルケゴールは、彼女の父親にもはたらきかけて先の婚約を破棄させ、自分との間で新たな婚約を成立させることに成功する。幸福な人生への門出となるはずだった。

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 ところが、現実は逆であった。皮肉にも、このことが彼の苦悩の人生への出発点となったのである。

 彼にはいくつかの秘密があった。前述した父と母の秘密、彼自身の秘密(これについては,身体的なこと,かつて娼婦を買ったことなど諸説あるが,本当のところはわからない)、病的な憂い、キリスト教への懐疑……。どれをとってもレギーネを不幸にする材料にしか思えなかった。
 自分は彼女を幸せにすることができるのだろうか。愛すれば愛するほどその思いがつのり、不安におそわれ、苦しむことになった。そしてとうとうキェルケゴールは、レギーネを深く愛しつつも、彼女に対し一方的に婚約の破棄を通告する。レギーネの必死の説得も実を結ぶことはなかった。

 その後、キェルケゴールは著作活動に没頭し多くの書物を世に出すことになるが、そのいずれもが実はレギーネにあてて書かれたものであったという。彼にとって、思索し書くことは、レギーネへの愛を確かめさらに深める作業でもあった。一方、婚約を破棄され傷ついたレギーネは、やがて最初の婚約者と結婚する。

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 ところで、キェルケゴールは実存主義の創始者といわれている。彼は人間が真の「自己」に目覚める過程を3つの実存段階としてとらえた。
 教科書などでは次のように説明されている。

 まず第一の段階である美的実存の段階。
 美や快楽を求め、享楽的に生きることが人生の目的となる。しかし、求めるものが得られても得られなくても、そこにあるのは虚しさであり、挫折感と絶望感を味わうことになる。
 そこで、自らの人格を高め、良心的・道徳的に生きようとする第二段階の倫理的実存へと進むが、ここでも結局は自分の無力さを悟るか傲慢になるか、いずれにしても再度挫折し、より深い絶望へと突き進む。
 こうして最後に,人は神の実存を受け入れることで理性から飛躍し,真の自己にたどり着く。これが宗教的実存の段階である。

 これだけでは何のことかよくわからないが、これにレギーネとの関係を重ね合わせて想像をふくらませてみると、おぼろげながらその概要が見えてくるような気がする。

 まず、婚約時代のキェルケゴールは、レギーネとの愛を求め、愛し合うことで満たされる美的実存の段階であった。しかし、満足感と幸福感にひたりながらも、一方でこみ上げてくる一種の虚しさと行く先への不安がどうしようもなく大きくふくらみ、彼を苦しめる。
 自分には彼女を愛する資格がない、そう思いつめ婚約を破棄するが、解決とはならなかった。レギーネへの思いを断ち切ることができないばかりか、彼女を傷つけた罪悪感が重くのしかかり、さらには彼女が結婚するに至って嫉妬心にも悩まされることになる。
 この苦悩から逃れるには、自分の人格を高め、倫理的な人間に自分を近づける以外にない。一時はそう悟ったものの、倫理的に生きようとしてそうなりきれない自分と、倫理的に生きているという自己満足に陥っている傲慢な自分とのあいだでゆれ動く自分に限界を感じるようになり、激しい虚無感と無力感におそわれる。
 そして、死にも匹敵する絶望の末にたどり着いたのは、すべてを神にゆだねることであった。神を受け入れることで真の自分に目覚め、はじめて救われるに違いない、そうキェルケゴールは考えた……。

 事実はそう単純ではないだろうし、キリスト教という精神的背景を含めて、彼の哲学をそう簡単に理解することはできないに違いない。
 しかしこう想像してみることで、はるか雲の上の存在だった哲学者が、私たちと同じ身近な人間の姿となって浮かび上がってくる。

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 キェルケゴールはその遺言書に、自分の死後すべての財産を、今や人妻であるにもかかわらず、レギーネに贈ると記している。
 「死に至る病、それは絶望である」と語ったキェルケゴールは、42歳という決して長くはないその生涯を閉じるまで、レギーネただひとりを愛し続け、絶望を克服するために思索し続けた。彼があと10年長生きしたとしたら、果たして第4の段階が訪れたのであろうか。
 それはだれにもわからない。

(編集部 I)





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