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加藤歩の世界紀行 第15回大学へ行こう‐アルメニア編‐
アルメニアの首都イエレヴァンには,日本語コースを設置している大学がひとつだけある。私がその大学に通いはじめて1週間になる。
そもそものきっかけは,グルジアで出会った日本人旅行者H君にぜひ行ってみろと勧められたことにある。アルメニアから戻ってきたところだという彼は,いろいろ楽しかった体験について語ってくれた。
さっそくイエレヴァンに着いた翌日,H君が書いてくれた地図を頼りに,大学を訪ねてみた。
英語を話す学生に,学長室へ行くように言われ,行ってみると本棚には,アルメニア語の本にまじって,日本語の文法解説書や,文庫本の小説などがたくさん並んでいた。言うべきアルメニア語もロシア語もわからないので「バーレフゼース(アルメニア語で“こんにちは”)」と言ったあと,「ヤポンスキー(ロシア語で“日本語”)」という単語を繰り返すと,学長と思われる女性が日本語のできる学生をひとりつれてきてくれた。
「私はH君の友だちです。みなさんとお話がしたくて参りました」
と言うと,彼女は,
「よろしかったら,私たちの授業にいらっしゃって下さい」
と,ひとつひとつ言葉を選びながら言った。
それは3年生と4年生の合同の授業だった。3年生が5人,4年生が2人,すべて女性である。文法の授業の最中だったが,先生は私を迎え入れるとすぐに会話の授業に切り替え,学生たちにアルメニアの文化や歴史,地理などについて話させた。
ノアの箱舟の漂着したアララト山は現在トルコ領だが,以前はアルメニア領だった。だから,全人類はアルメニア人からはじまっている,という言い方をする人もいるということを,このとき知った。
あるいは301年にキリスト教が国教化されて,今年は1700周年なので,それにあわせて今,新しい教会を市の中心部に建設中だとか,カフカス最大の湖で,夏になると水浴客で賑わうセヴァン湖が,発電などのために大量に水を使った結果,水位が下がっているとか,そんな話も出た。
授業のおわりには,こんどいっしょにパラジャーノフ(映画監督・芸術家)博物館へ行きましょう,マテナダラン(古文書研究所)に行きましょうといって,みんなして電話番号を教えてくれた。
それからというもの,毎日大学へ行き,1,2年生の授業にも参加している。1年生は10人(うち2人は男性),2年生は4人。ようやく半分くらい名前を覚えた。
たいてい日本語の授業は午後からなので,午前中に学生たちと観光名所を訪れ,午後は授業に出席した。いろいろな所に連れていってもらったが,とくに印象に残っているのは,ツィツェルナカベルドだろうか。ここには,1915年にオスマントルコで起きた,アルメニア人大虐殺について展示した博物館と,その犠牲者を追悼したモニュメントとがある。私を連れていってくれた2年生の女の子は,まえもって調べてきたメモを手に,丁寧に説明してくれた。
この大虐殺は3年間続き,66の都市,2500の村,2350の教会,1500の学校が破壊され,女,子どもを含め150万人が殺されたという。
別の時代,別の場所でも同じようなことはいくつも起こっている。「歴史から学ばないのが人間だ」と言った歴史家もいたが,所詮人間なんてそんなもんさ,と言ってしまったら救いようがない。出口にあった記帳用ノートに「歴史から学ぶ努力をしたいものです」と書いて博物館をあとにした。
彼女は,日曜日に,村に住むおばさんの家へも連れていってくれ,自家製のチーズやフルーツジュースなどをご馳走になったり,古い教会を訪れたりと,貴重な体験をさせてもらった。村に日本人が来たのは初めてとのことで,私を見るために近所からわらわらと人がつめかけてきたりした。
日本語の授業は,カリネ先生という中年の女性と,ザラ先生という20代半ばの女性,そして明子さんという日本人の女性が受けもっている。明子さんは本業は学生で,アルメニア文学を勉強している。
カリネ先生は,もともとの専門は化学で,ソ連時代に日本語で書かれた技術書を読む必要から日本語をはじめたそうだ。今では日本語の方が専門になっている。日本で数ヶ月間勉強したこともあるという。
ザラ先生も9月から日本で勉強する。これはとてもラッキーなことだ。日本語を勉強しても,日本へ行くことのできる人はごく僅かである。
学生はみな熱心で,その勉強ぶりには頭が下がる。先生が何か質問をすると,我勝ちに答えようとするし,授業のあとも「先生,質問があります」と,廊下で先生をつかまえる。
授業が終わってから,学生の1人に家に招待されたことがある。彼は30才で,妻と2人の子どもがいる。たばこの輸入会社に勤めながら日本語を勉強している。禅についての本を読んだのが日本語を始めたきっかけで,将来は日本で禅を学びたいという夢をもっている。
彼の寝室の壁には2メートル四方ほどの大きさの紙が貼ってあり,そこに大きめの字で,漢字がびっしり書き込んであった。「寝るまえにこれを見て,覚えます」という。
学生たちに将来の夢についてきくと,たいてい言語学者か通訳,あるいは翻訳者になりたいという答えが返ってくる。しかし,いくらがんばって勉強しても,彼らが日本語で食べていける可能性は限りなく低いと明子さんは言う。
アルメニアに住む日本人は少ない。日本人観光客も少ない(現在,私ひとりじゃないかとも思う)。アルメニアには日本大使館すらないのだ。
学生たちの努力が報われる日が来るのを願うばかりである。
これを読んで,この勉強熱心な学生たちに興味をもたれた方,ぜひアルメニアのイエレヴァン人文学大学に行ってみて下さい。
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