4月のテーマ

◆北方領土

I.北方領土とは?

 歯舞(はぼまい)諸島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島及び択捉(えとろふ)島の4島をさす。総面積は4996平方キロメートル(ほぼ福岡県の面積)。日本政府はこれらの島々を、1855年2月7日に締結された日露和親条約で平和的に日本の領土とされたものであったとみなしている。

II.日露和親条約からサンフランシスコ条約まで

 日露和親条約では、千島列島の択捉島以南を日本領、ウルップ島以北をロシア領とし、樺太を両国人雑居の地と定めた。1875年にはロシアと、樺太・千島交換条約を結び、樺太をロシア領、千島全島を日本領とした。日露戦争後の1905年にはポーツマス条約で、ロシアは北緯50度以南の樺太と付属の諸島を日本に割譲した。

 1945年2月のヤルタ会談で、米・英・ソの3国首脳が戦後処理について話し合った。このときの秘密協定で、ソ連の対日参戦、南樺太・千島のソ連取得が決定された。日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏をした3日後の同年8月18日、ソ連は、日ソ中立条約を破棄して対日宣戦を布告、千島列島北端の占守島に上陸を始め、日本は応戦したが、23日、日本は北部方面司令官の命令で局地停戦協定を結び降伏した。その後ソ連軍は千島列島沿いに南下を始め、択捉島や国後島、色丹島、さらに歯舞諸島にまで及び、ことごとく占領した。このため島で生活していた人々のなかには、危険を冒して着の身着のままで脱出した人もおり、島にとどまった人々も1947年にはソ連軍によって強制的に日本へ送還された。

 1951年に調印されたサンフランシスコ平和条約において日本は、「千島列島」と「樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄」したが、日本政府は、この条約で放棄した「千島列島」に北方領土は含まれておらず、ソ連及びその後のロシアがこの島々を占拠しているのは不当であり、日本に返還されるべきであるとの立場をとっている。

II.日ソ国交正常化後の北方領土に関する政治的動き

●1956年10月 日ソ共同宣言
*国交を回復することに合意
*平和条約が締結された後に、歯舞諸島と色丹を日本に引き渡すと規定

●1960年 日米安全保障条約締結
*ソ連は「日本から全外国の軍隊の撤退という条件が加わってのみ、平和条約締結後の歯舞・色丹を引き渡す」と通告→以後ソ連は、日ソ間に領土問題は存在しないとの立場をとる。

●1993年10月 東京宣言
*領土問題を、北方4島の島名を列挙して、その帰属に関する問題であると位置づけた。
*歴史的、法的事実に立脚し、「両国の間で合意の上作成された諸文書」及び「法と正義の原則」を基礎として解決することに合意。
→しかし、東京宣言後も日ロ関係に具体的な進展なし。

●1997年11月 橋本・エリツィン会談……クラスノヤルスク合意
*北方領土問題に関する「東京宣言」に基づき、2000年末までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで合意。
*総合的な経済協力に関する「橋本・エリツィン・プラン」も同年までに実施することで合意。
→北方領土交渉は、関係全体を強化するなかで領土問題を解決するという新しい局面を迎えた。

III.1998年4月の日ロ首脳会談

 クラスノヤルスクでの合意を受けて、橋本龍太郎首相とロシアのエリツィン大統領は、4月18日と19日の両日、静岡県伊東市川奈のホテルで会談した。その中で大統領は、日露間で交渉を進めている平和条約の内容をより幅広いものとするため、「平和友好協力条約」という名称を提案、首相は検討する姿勢を示した。橋本首相は、日ロ間の国境線を北方4島の北側に引くよう求める「国境線画定」を提示。大統領もこれを前向きに受け止める姿勢を示した。この提案は、画定していない国境線を明確にすることで、結果的に4島の主権が日本にあることを認めさせようというもので、ロシアにとって「領土を奪われる」という印象になる返還要求より受け入れやすいのではないかという狙いがある。

 ロシア側も、国内の保守派や民族派の動向を見なければならず、検討には時間がかかる見通しで、9月に予想される首相のモスクワ訪問で「返事が返ってくる」(政府筋)と見られている。「モスクワ宣言」に国境線画定が盛り込まれれば、来年の大統領公式訪日で、平和条約締結の可能性がでてくる。

 北方領土に関する合意事項は次の通り。

*平和条約は東京宣言に基づいて、4島の帰属問題を解決することを内容とし、21世紀に向けて日ロの友好協力に関する原則などを盛り込む
*クラスノヤルスクでの合意の実質的な前進と、そのための作業の加速を図る。
*平和条約締結問題合同委員会の次官級分科会を5月にも開催する。

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◆少子化問題
 近年、日本の出生数は急激に減少しており、「少子化問題」として危惧されている。将来的には、生産年齢人口の減少が経済構造や労働市場の面でのマイナス要因となることや、高齢化の進行による年金などの負担の増加など、さまざまな弊害の可能性が指摘されている。

I.少子化の現状

 年間出生数が209万人を数え第2次ベビーブームといわれた1973年以降、出生数は年々減少し、1995年の出生数は、現行のような統計が取られるようになった1899年以降最低を記録し、118万7,064人だった。

 96年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に出産する平均子ども数)は史上最低の1.42で、現在の人口を将来も維持するのに必要な2.08を大きく下回っている。日本の合計特殊出生率は、欧米諸国と比較しても、イタリア、ドイツなどに次いで低い水準となっている。

 今年4月1日現在の15歳未満の子供の数は1918万人で、戦後最低を更新した。少子・高齢化社会を反映し、戦後初めて65歳以上の老年人口を下回った。

II.出生率低下の原因

(1) 未婚率の上昇

 1970年代以降、男女とも晩婚化が進むなか、女子の未婚率はこの10年で、25〜29歳が3割から5割に、30〜34歳が1割から2割に上昇している。晩婚化の原因としては、女性の社会進出と経済力の向上、独身生活の自由、未婚女性に対する世間の見方の変化などが挙げられる。昨年11月の都の世論調査によると、若い女性の結婚観・人生観の変化で、結婚に対するこだわりは薄れ、1人で暮らしていければあえて結婚する必要はないという女性は2人に1人という結果がでている。一方で、未婚女性の9割が「いずれ結婚するつもり」だという調査結果もある。

(2) 夫婦の平均出生児数の低下

 厚生省の調査では、夫婦の平均理想子ども数は2.6人であるが、予定子ども数は2.2人であった。理想の数の子供を持とうとしない理由としては、子どもの養育費・教育費など経済的な理由が最も多く、次いで育児に対する心理的・肉体的負担などがあがっている。

(3) 女性の就業人口の増加

 女性の社会進出に伴い、出産後も女性が就業を続ける方がよいとする者の割合は男女とも増加してきている。仕事を続けるために結婚しない、あるいは子供を持たないという女性の割合も高く、女性が働きながら子どもを育てることができる環境づくりが求められる。

III.少子化による影響

(1) 経済全般に対する影響

 日本の総人口の推移を見ると、2050年には1億人と、現在の1億2,600万人より2割減となり、その後もさらに減少するものと予測される。急速な高齢化の下での少子化は、生産年齢人口の割合の大幅な低下をもたらし、これが労働力供給面での制約要因になり、産業構造、消費市場等に大きな影響を与える可能性がある。

(2) 社会保障負担の増大

 少子化の進行と平均寿命の伸長により、21世紀半ばには、国民の約3人に1人が65歳以上という、超高齢社会が到来することが予測されている。これにより、社会保障の負担が一層増加するとともに、老人介護等の保健福祉マンパワーの確保にも支障が生じる可能性がある。

(3) 子どもの社会性の低下

 子ども数の減少により、子どもが仲間の中でもまれながら、人とのつきあい方のルールを学ぶ機会が減少し、社会性を身につけることが困難になると予想される。

IV.少子化対策

 少子化対策の一環として1994年12月16日、文部・厚生・労働・建設4大臣合意で「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」(エンゼルプラン)が策定された。

〈内容〉
(1) 子育てと仕事の両立支援(育児休業給付の実施、多様な保育サービスの充実など)
(2) 家庭における子育て支援(地域子育て支援センターの大幅拡充、母子保健医療体制の充実など)
(3) 子育てのための住宅及び生活環境の実現(ゆとりある住宅の整備など)
(4) ゆとりある教育の実現と健全育成(教育内容・方法の改善など)
(5) 子育てコストの軽減(育英奨学事業の充実など)

 エンゼルプランに見られる生活環境に関する支援のほか、企業による労働環境の整備も不可欠である。高齢者、女性の雇用を促進し、結婚・出産した女性が働きにくい従来の雇用慣行を改める必要がある。また、子育てに支障のないよう、単身赴任など人事管理にも配慮が求められる。

 家庭生活においては、男性が女性と協力して家事・育児を積極的に分担することが重要である。そのためには男性の意識改革も必要だが、企業による配慮も欠かせない。実労働時間短縮や男女の賃金格差解消も重要な課題であるといえよう。




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桐原書店

98年6月4日